riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

砂糖の歴史、奴隷の歴史、薩摩藩のソテツ地獄

砂糖の歴史 エリザベス・アボット著 生産と消費にかかわった民衆  
2011/7/17付

 
 1904年アメリカ合衆国セントルイスで開催された万国博覧会では、アイスクリーム・ソーダが大人気を博した。観客は砂糖入り炭酸飲料で、ファストフードをお腹に流し込み、エネルギーを補給して、会場を歩き回った。テーブルに座る時間を節約し、移動しながら食べやすいようにと、この博覧会では包装に工夫を施した各種ファストフードが登場した。歩きながら物を食べるのは行儀が悪いという観念をくつがえしたという。初めて見るコーンに入ったアイスクリーム、甘くてフワフワの綿菓子が観客の心をつかんだ。
http://www.nikkei.com/content/pic/20110717/96958A96889DE1E0E1E7E3E1E3E2E3E4E2E5E0E2E3E39F8891E2E2E3-DSXDZO3235133016072011MZC001-PN1-3.jpg
http://assets.nikkei.jp/release/v1.18.10/parts/ds/images/common/icon_zoom_off.gif
(樋口幸子訳、河出書房新社・3500円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
 甘さ、便利さ、娯楽の楽しみなど、新奇なものが醸し出す複合的な魅力が、20世紀初頭の庶民をとらえ、甘いものに慣れた身体を作り出していった。
 砂糖が近現代の世界システム的特徴を具現した「世界商品」で、「周辺」部における苦役労働の代償の上に供給されてきた産物であることは、これまでも数々の研究書に言及されている。
 本書は、これと同様のマクロ的・歴史的視点に立脚して、グローバルな全体像を俯瞰(ふかん)しつつ、虫メガネでのぞき込むように、ミクロな側面を詳細に記述し、浩瀚(こうかん)な一冊に仕上げている。
 筆者独特の細密画に描き出されたものは、砂糖の生産・消費構造と関わってきた民衆の歴史である。従前の類書で紹介されてきた砂糖をめぐる権力構造や、収奪される労働者の悲惨・貧困を本書も記しているが、労働者の受身の側面を描くことに留まっていない。
 サトウキビ労働者が従順な奴隷というペルソナを生きる日常と、生気を吹き返し、人間性をとりもどそうとする非日常など、多重的な生活の細部が、資料を駆使して、生き生きと記述されている。
 砂糖生産の苦役に泣いてきたのは民衆だったが、近現代に砂糖市場の最大の消費者に仕立て上げられたのも民衆であった。心身ともに甘さに馴化(じゅんか)し、世界システム的な砂糖の生産・消費構造を支える役割にはまっていった。
 近年では、中南米でサトウキビから精製されたエタノールが混合燃料として使われている。甘味とは異なる、生活への浸透のプロセスをたどり始めているらしい。
武蔵大学教授 武田尚子)
日本経済新聞朝刊2011年7月17日付]
 

2012年8月23日木曜日

『砂糖の歴史』 エリザベス・アボット

 
この書籍も、今までの自分の研究を根本的に見なおさねばならないことを感じさせられました。
私は「奄美の歴史」は日本の歴史において非常に「不都合な歴史」と常々思ってきました。
あの歯切れの良い小熊英二氏でさえ「日本人の境界」で深いりすることをためらう地域ですから、よほど覚悟を持って歴史認識を考えないといけないと思っています。
やはり、一番の問題は村落によっては人口比3割を超えたという、ヤンチュの問題です。
奴隷、人身売買、年季奉公というような分析用語で簡単に括るわけには行きません。
色々と読みあさりましたが、今回読んだこの書籍はタイトルが「砂糖の歴史」と言いながら、実は近代奴隷制度の歴史であり、生活史でもありました。
『近世奄美の支配と社会』 (松下志朗 1983  第一書房)と一緒に読んで頂ければ、他人事ではないことに気付かされる筈です。
この書では中国とインドがプランテーション化を免れた地域として扱い、年季奉公者の部分を大きく取り上げていますが、奄美や台湾を考える時にはそれでは済まされないと思います。
オランダを媒介として仕組まれたシステムとして(専売制と日本の歴史家は呼ぶでしょうが)、近代奴隷制度による植民地としての視角を持つべき事を確証させてくれた書籍です。 引用終わり
 
図書館で又偶然手にしたこの分厚い本、
 
昔読んだアフリカ人奴隷の歴史や映画を思い出しました。
 
ぞっとするような搾取、苛斂誅求
 
アフリカから連行され途中絶望して自殺する人や、
詰め込まれ非常に不衛生な船の中で病気などで亡くなる人も多かった。
 
現地に到着しても過酷過ぎる労働で7年後には疲れ切った馬のように死ぬ。
 
女性は主人から強姦もされ子供も育てることになる。
 
何と言う残虐さ、読むのが辛くなる。
 
それを正当化するために人種差別。
 
一方紅茶にひとかけらの砂糖を放り込んだ時
 
それは何世代にもわたる大勢の男女を生まれ故郷のアフリカから引き離し、大西洋を渡らせ、奴隷生活へと追いやることになった
 
すべての子供たちの口に棒付きキャンディを、飲み物、焼き菓子、砂糖菓子の成立を決定ずけた。料理にも勿論。
 
薬にも入ってる砂糖、まだ合成甘味料よりはましかもしれないが。
 
甘いものが苦手な方が羨ましい。
 
今は盛んに砂糖の害を言われる。
 
スイーツ馬鹿、デパートの一階には甘いものが
 
いまや肥満は北アメリカとヨーロッパで重大な健康問題となっている。
 
作者は自分のDNAを調べ
 
ヨーロッパとサハラ以南のアフリカ
それに東アジアにそれぞれ起源を持つ血統があきらかになった。
作者の言葉
私が砂糖農園主について、奴隷について、あるいは年季奉公で雇われたクーリーについて書いている時、私は自分の祖先について書いていたのである。
 
病気で食事を取らないアフリカ人奴隷の少女を罰するために逆さ吊りにして鞭打つ、少女は死んだ。
吊るし
先日のミュージカルパレードもそうでした。
 
奴隷制度に反対し砂糖不買運動も起きた。
 
それまで無視されてきた女性たちが運動に一員として活動するようになった。
 
これはアフリカ、ヨーロッパの事で済ませるわけには行きません。
 
 
薩摩藩のソテツ地獄 ブラタモリより
島津家久は、米の代わりに年貢として黒糖を強制。
1747年には年貢はすべて黒糖となり、江戸時代には島全員が黒糖関連の仕事に従事するようになる。
その取り立ては厳しく、島民が指についた黒糖を舐めただけでもムチで叩かれたと言う。
やがて奄美中の平地はすべてさとうきび畑となった。
サトウキビのために自分たちの食料を作る畑さえもらえなかった島民は、強い潮風が吹き付けるため段々畑が作れなかった山に蘇鉄を6万本のソテツを植え、その実を食べることで飢えをしのいだ。
蘇鉄の実には毒があり、そのままでは食べることは出来ない。
そこで、蘇鉄の実や幹を細かく砕き、発酵させた後水晒と天日干しを繰り返して毒抜きをしていた。
そしてできたデンプンをお粥にして食べていた。このデンプンは戦後の食糧難にも活躍したという。