riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

アールデコの蒲郡クラッシックホテル

昨日、蒲郡竹島水族館に行き、アシカショーの時間まで、
アールデコ蒲郡クラッシックホテルを見学し
竹島ホテルの温泉に入りました。
元プリンスホテル、2012年にこの名称になりました。
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経済産業省が認定する近代化産業遺産の一つ。1934年蒲郡ホテルとして建てられたホテルで、城郭風の建築である。鉄道省に設置された国際観光局が国際観光ホテル建設計画を発表した際に、全国から名乗りをあげた40の候補地の中から、横浜雲仙大津とともに選ばれた。
つつじの名所としても知られ、ゴールデンウィークには「つつじまつり」が開かれる。かつてフィギュアスケート選手小塚崇彦の父である小塚嗣彦が支配人を務めていた。
 

1912年 (明治45年)7月25日 - 繊維問屋滝兵(現タキヒヨー)の五代目、滝信四郎が料理旅館・常盤館を創業[1][2]1932年昭和7年)12月23日 - 常盤館に併設される形にて、元鉄道省建築課長の久野節と陸軍建築技師の村瀬国之助による設計で、大林組によって着工[3][2]

 
鳥居が小さく見えます。
 
 
 
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蒲郡駅に石碑と竹島橋のたもとにこの銅像が立っています。
 
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クラッシックホテル玄関前の庭
茶室もあります。
 
 
1934年昭和9年)2月 - 蒲郡ホテルとして竣工。鉄道省(当時)認定の国際観光旅館として開業[3][2]1937年(昭和12年)7月 - 竹島海岸に大衆旅館「竹島館」を新築し、蒲郡町へ寄付[2]1944年(昭和19年)12月 - 常盤館、蒲郡ホテル、緑別館(のちの緑西閣)、共楽館、竹島館を日本陸軍病院に提供、営業を中止[2]1945年(昭和20年)10月 - 終戦後、米軍により接収[4]1951年(昭和26年)8月 - 蒲郡ホテル、国際観光ホテル整備法による登録ホテルに指定[2]1952年(昭和27年)5月31日 - 4月に発効したサンフランシスコ講和条約によって接収が終了し、一般開放された[5][2]

1957年昭和32年)4月 - 昭和天皇香淳皇后宿泊[2]1958年(昭和33年) - 小津安二郎の映画『彼岸花』のロケに使われた。

1961年昭和36年) - 五所平之助監督の映画『猟銃』のロケに使われた。 1972年(昭和47年) - 竹島館、廃業し蒲郡市へ返還[2]1975年(昭和50年) - 「株式会社常盤館」から「株式会社蒲郡ホテル」へ社名を変更[2]1976年(昭和51年) - 共楽館、一部を残し取り壊しを行う[2]1978年(昭和53年) - ドラマ『Yの悲劇』のロケに使用された。 3月31日 - タキヒヨー経営悪化のあおりで休業し、蒲郡市へ株式売却することに[2]。 8月 - 事務手続きが全て完了し、蒲郡市へ引き渡しを行う[2]1982年(昭和57年) - 常盤館、取り壊しを行う[1]1987年(昭和62年) - 蒲郡市から国土計画株式会社へ売却。8月4日に蒲郡プリンスホテルとして再オープン[2]2006年平成18年) - 華麗なる一族ロケに使用(第三回) 2007年(平成19年)11月 - 近代化産業遺産に認定される[6]2011年平成23年)12月16日 - 呉竹荘グループ(静岡県浜松市)が蒲郡プリンスホテルの買収を発表[7][8]2012年平成24年)3月30日 - 呉竹荘グループへ事業譲渡され、蒲郡クラシックホテルと改称される[2]

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このような立派な建物は空襲で焼かず米軍に乗ったられました。
鶴舞公園や京都の植物園なども
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アールデコですね。
 
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それほど宿泊費高くないようです。泊まるには近すぎ、
泊まるなら友人と一緒か、一人がいいかも。
 
島原観光ホテル、泊まってみたいです。
 
下は竹島ホテルです。目の前が絶景の温泉いかが。
夏は温泉の温度もっと下げてほしいです。
 
昨日、蒲郡竹島水族館に行き、アシカショーの時間まで、
アールデコ蒲郡クラッシックホテルを見学し
竹島ホテルの温泉に入りました。
元プリンスホテル、2012年にこの名称になりました。
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経済産業省が認定する近代化産業遺産の一つ。1934年蒲郡ホテルとして建てられたホテルで、城郭風の建築である。鉄道省に設置された国際観光局が国際観光ホテル建設計画を発表した際に、全国から名乗りをあげた40の候補地の中から、横浜雲仙大津とともに選ばれた。
つつじの名所としても知られ、ゴールデンウィークには「つつじまつり」が開かれる。かつてフィギュアスケート選手小塚崇彦の父である小塚嗣彦が支配人を務めていた。
 
1912年 (明治45年)7月25日 - 繊維問屋滝兵(現タキヒヨー)の五代目、滝信四郎が料理旅館・常盤館を創業[1][2]1932年昭和7年)12月23日 - 常盤館に併設される形にて、元鉄道省建築課長の久野節と陸軍建築技師の村瀬国之助による設計で、大林組によって着工[3][2]
 
鳥居が小さく見えます。
 
 
 
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蒲郡駅に石碑と竹島橋のたもとにこの銅像が立っています。
 
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クラッシックホテル玄関前の庭
茶室もあります。
 
 
1934年昭和9年)2月 - 蒲郡ホテルとして竣工。鉄道省(当時)認定の国際観光旅館として開業[3][2]1937年(昭和12年)7月 - 竹島海岸に大衆旅館「竹島館」を新築し、蒲郡町へ寄付[2]1944年(昭和19年)12月 - 常盤館、蒲郡ホテル、緑別館(のちの緑西閣)、共楽館、竹島館を日本陸軍病院に提供、営業を中止[2]1945年(昭和20年)10月 - 終戦後、米軍により接収[4]1951年(昭和26年)8月 - 蒲郡ホテル、国際観光ホテル整備法による登録ホテルに指定[2]1952年(昭和27年)5月31日 - 4月に発効したサンフランシスコ講和条約によって接収が終了し、一般開放された[5][2]
1957年昭和32年)4月 - 昭和天皇香淳皇后宿泊[2]1958年(昭和33年) - 小津安二郎の映画『彼岸花』のロケに使われた。 1961年昭和36年) - 五所平之助監督の映画『猟銃』のロケに使われた。 1972年(昭和47年) - 竹島館、廃業し蒲郡市へ返還[2]1975年(昭和50年) - 「株式会社常盤館」から「株式会社蒲郡ホテル」へ社名を変更[2]1976年(昭和51年) - 共楽館、一部を残し取り壊しを行う[2]1978年(昭和53年) - ドラマ『Yの悲劇』のロケに使用された。 3月31日 - タキヒヨー経営悪化のあおりで休業し、蒲郡市へ株式売却することに[2]。 8月 - 事務手続きが全て完了し、蒲郡市へ引き渡しを行う[2]1982年(昭和57年) - 常盤館、取り壊しを行う[1]1987年(昭和62年) - 蒲郡市から国土計画株式会社へ売却。8月4日に蒲郡プリンスホテルとして再オープン[2]2006年平成18年) - 華麗なる一族ロケに使用(第三回) 2007年(平成19年)11月 - 近代化産業遺産に認定される[6]2011年平成23年)12月16日 - 呉竹荘グループ(静岡県浜松市)が蒲郡プリンスホテルの買収を発表[7][8]2012年平成24年)3月30日 - 呉竹荘グループへ事業譲渡され、蒲郡クラシックホテルと改称される[2]
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このような立派な建物は空襲で焼かず米軍に乗ったられました。
鶴舞公園や京都の植物園なども
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アールデコですね。
 
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それほど宿泊費高くないようです。泊まるには近すぎ、
泊まるなら友人と一緒か、一人がいいかも。
 
島原観光ホテル、泊まってみたいです。
 
下は竹島ホテルです。目の前が絶景の温泉!
夏は温泉の温度もっと下げてほしいです。