riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

終戦ではなく「敗戦」というわけ,学院倶楽部からのメール

またまた間があいてしまいました。

残暑お見舞い申し上げます。
お盆です。
お月様も少し出るのが遅くなって欠けてきました。
来月には秋のお月様になるわけです。
立秋も過ぎました。
 
広島の原爆の日、長崎の原爆の日、もちろんソ連参戦の日、そして日航123便墜落事件の日も過ぎました。
そして今日8月13日は、2004年に沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した日です。
米軍が現場を規制し、警察も立ち入れなかったことを覚えていらっしゃることと存じます。
 
白い放射能防護服を来た作業員がいた、そういう写真を去年6月の前泊博盛先生の講演で教えていただきました。放射性物質、すなわち核物質を積んでいたヘリが落ちたわけです。
 
沖縄所属のオスプレイがオーストラリアで墜落したのに、すぐに飛行再開になるのは、まさに巧妙な植民地(と気づかない植民地)支配の日本だからであり、2004年の時もそうだったわけであり、北方領土問題も、1985プラザ合意も(1985日航機事件も)、米国債購入やドル購入も、安保法制も秘密法も、TPPも、云々かんぬん、みなつながっていると考えておくと間違いないわけです。
 
そう思って、明日、14日そして15日を迎えるわけです、9月2日にかけて。
 
関西の自由党関係から、反戦な家づくりさんのブログは出所を明示すれば、引用してよろしい、と先ほどもMLで教えてくれていますので、13日の記事を下に貼付けておきます。
 
 
(引用開始)

反戦な家づくり

木の家をつくる建築家。国産材と自然素材で平和な家を作ります。戦争と放射能は人間と共存できません。地上から無くすためにはどうしたらいいのか、毎日考えています。
2017-08-13(Sun)

終戦ではなく「敗戦」と言うわけ

二日後には72回目の敗戦記念日だ。

私は「終戦」という言葉を使わない。
理由はみっつある。

ひとつ。
戦争責任をアイマイにしないため。

ふたつ。
敗戦を「解放」記念日にできなかった日本人民の不甲斐なさを胸に刻むため。

みっつ。
いまだ敗戦-占領は終わっていないことを忘れないため。

戦争は、雨が止むように自然に終わったのではない。
普通の国ならばとっくに降伏していたはずのところを、無謀な玉砕戦を1年近く引き延ばした挙げ句、万策尽きて無条件降伏したのである。
侵略戦争をはじめたという意味での戦争責任ももちろん問われなければならないが、ただひたすら「国体護持」のために兵士と住民に死を強いた責任も、決してアイマイにしてはいけない。

天皇制と、その権威にぶら下がる権力と利権、すなわち「国体」の為だけに、どれだけの兵士と住民が殺されたのか。
少なくとも、1944年10月に始まった神風特攻は、戦争としての合目的性すらなくしてしまったという合図である。そこからの10ヶ月間は、絶対に勝てないと分かりながら「国体護持」のためだけに死を強制された。

もちろん、日本各地の空襲も、沖縄戦も、原爆もそうだ。

侵略戦争の責任は、当然ながら万死に値する。
そして、世界中で今もその罪を犯し続けるものは絶えないし、あの太平洋戦争だって、連合国が善で枢軸国が悪という分類では決してない。
しかし、当時の日本が極めつきに異常だったのは、「国体護持」のために、自軍と自国民を虫けらのように死に追いやった ということだ。数十万、数百万人を死に追いやり、産業は壊滅し、国土は燃え尽くされても、そんなことよりも「国体護持」が大事だった。

この異常さは、自らの国のこととして、決して忘れてはいけない。
この国の支配者は、自分たちの存立が根底から脅かされるとき、数百万の自国民を平然と死に追いやり、恬として恥じないのである。
そういう国なのだ。

これは国民国家ではない、ということでもある。
天皇の権威と権力に連なる階級と、生産と戦争の駒としてのみ扱われる階級は、一つの国民として結集する段階に至らず、農奴的な隷属関係でのみ国家につながれているということだ。

そして、それは本質的に今日でも変わっていない。
変わっていないその象徴こそが、日本国憲法の1条と9条だ。

国体護持のギリギリの条件とは、天皇の戦争責任を問わずに天皇制の権威を残すことだった。
そのために、幣原喜重郎マッカーサーが合意したのが9条だったということは、数々の資料で証明されつつある。

さらに、国体護持のために生け贄にされたのが沖縄だ。
昭和天皇は、自ら保身のために沖縄の割譲をマッカーサーに提案した。
国体護持のために絶望的な地上戦を強制され、住民の1/4が殺されたあげく、負けた後は生け贄でアメリカに引き渡す。
天皇の戦争責任はあるとかないとかの論争がバカらしくなるほど、あまりにも酷い話しだ。

このように、「国体」のために国民は死を強制されながら迎えたのが、敗戦なのである。
この悔しさを忘れないために、私は「敗戦」と言いつづける。



一方でしかし、民間人50万人を無差別に殺戮した当事者は、米軍だ。

日本軍のアジアでの虐殺や捕虜虐待は、当然責められるべきことだ。
しかし、それと同じくらい、米軍の無差別殺戮も責められなければならない。

実験のために二種類の原爆を投下し、日本が降伏するやABCCという研究機関が乗りこんできて、治療はせずに被害のデータ収集に励んだ。まさに、超弩級の人体実験である。

この悪魔のような米軍を、解放軍として迎えたのが、日本共産党を筆頭にした反戦派の日本人だ。
たしかに、国体護持のために自国民をいくらでも殺してしまう旧支配者よりは、マッカーサーのほうがずいぶんマシに思えたのは無理はない。
日本国憲法も、押しつけとは言え、日本側が作った松本案とは比べものにならないくらい良いのはたしかだ。

しかし、日本人は自分たちで自分たちの憲法を作ることができなかった、という歴史は残っている。
良い憲法ならもらい物でもいいじゃないか、では民主主義ではない。民主主義を謳う現憲法は、自己矛盾をかかえているのである。

1946年米よこせデモ。1947年2.1ゼネスト(未遂)など、日本の民衆、すなわち国体に支配されていた側の運動も大きなものだったが、残念ながら2.1ゼネストに対するマッカーサーの禁止に屈したのち、国体そのものを揺るがすようなうねりとはならなかった。

結局、国体にぶら下がっていた「ちょっとマシ」な連中がそのまま国家権力を継承し、国体に押しつぶされていた民衆は、そのまま支配され続けることになった。
戦争に負けたことで、これまでの支配層を打ち破り、敗戦を解放にする ということができなかった。
敗戦が敗戦で止まってしまった。

大きな意味では、現在に至るも、構図は変わっていない。
そのことを 歯がみして思い起こすために 私は「敗戦」と言いつづける。



もはや言うまでもないが、米国の占領は1945年から72年間、一度も途切れることなく続いている。

1952年を境に、形式的な占領から、実質的な植民地支配へと変化はしたものの、日本はいまだ独立していないし、独立していない植民地に民主主義など成立するわけがない。

日本を「民主国家」だとか「憲法で平和を守れ」と安易に口にする護憲派の皆さんは、植民地でどうやって民主主義が機能するのか、考えてみてもらいたい。
そりゃもちろん、民主主義が機能してほしいと思うし、今憲法を変えるのは大反対だし、平和であってほしいのは当然だけど、安保条約、地位協定、密約、さらには官僚と政治家とマスコミに張り巡らされたネットワークは、植民地以外の言葉が当てはまらない。

オスプレイが墜落して、日本国防衛大臣が飛ばさないでくれ、と言っているのに、完無視して次の日から飛ばし続けるのが「日米関係」だ。日本の大臣よりも、米軍の現地司令官のほうがずっとエラいのである。これは自民党だったからとか、小野寺がヘタレだったからというだけではなく、政権交代しようが何党であろうが、同じことだ。
だいたい、「飛行停止命令」ではなく、「自粛要請」しかできないのだから、どんだけ格下かということだ。

2.1ゼネストを禁止されたあの関係は、いまも続いている。
なんとかして、米国の支配の軛を脱しないことには、何かを決めるということすらかなわない。

そのことを忽(ゆるが)せにしないために、私は「敗戦」と言いつづける。

■参考資料

数字は証言する データーで見る太平洋戦争 (毎日新聞)

アジア歴史資料センター公開資料
(引用終わり)
 
おしまい
 
 
※おまけ
9月1日は児玉真美さんの「死の自己決定権のゆくえ」講演会です。
イーブルなごや第4集会室で18:20~20:30、会費は1000円(学生500円)です。
 
ハヤト裁判から「いのちの差別を許さない」現況報告もあります。
 
経済的徴兵制を想起させるような、自らが志願したかのように、死を自己決定するように人々が仕向けられている今日この頃であります。いのちの問題が、財政問題だとか他の問題にすり替えられて、尊厳などないかのように、しかしそれが尊厳だ、というようにして扱われているのが世界の現状だと知ったら、あなたはどうしますか?
 
生きるに値しない命だからと、「無益な治療」をやめてよいでしょうか?
生きるに値しない命と誰が決めるのでしょうか?
 
実は意識があるのに、それを訴える術をもたないだけで、「植物状態だ」とされて、いのちをないがしろにされている事例がいくつもある。
 
こちらがただ気づかないだけで、気づく能力やゆとりを持たないだけで、相手を見殺しにするとしたら、その相手にとって、これほどの絶望はないわけです。
 
児玉真美さんのお話を、ぜひお聴きくださいますよう、心より、慎んで、切に御案内申し上げます。
 
合掌
 
終戦とテレビで聞くたびに間違ってると思います。
私は終戦などと言ったことはありません。