riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

生命の詩人・尹東柱 ( ユン・ドンジュ )

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まだ全部は読んでいませんが。
 
 
詩人尹東柱の文学性に迫る新たなアプローチ 多胡吉郎 著 生命 ( いのち ) の詩人尹東柱 ( ユン・ドンジュ ) 『空と風と星と詩』誕生の秘蹟 2017年2月10日
 
尹東柱生前最後の写真は彼にしては珍しく真ん中に収まっている。
1943年初夏のことだった。
 
宇治川での学友たちとの記念写真を発見
 
 
朝鮮からの留学生「平沼さん」が故郷に帰る事を決めため
送別の意味があったから真ん中に押し出された「平沼さん」
 
平沼さんとは尹東柱の事。朝鮮人は日本名を強要された。
 
 
2人の女学生を含む9人の学生が写真におさまっていた。
同志社の女学生だった北島萬里子氏が持っていた写真
 
写真撮影ではいつも隅にいる尹東柱だった。
 
このハイキングで尹東柱アリランを歌った。
 
このような行為は既に公の場では許されることではなかった
 
同支社の学生たちの開かれた精神、時局の強い閉塞から逃れた
自由で開放的な時間と場であった
 
その日から逮捕されるまで1,2ヵ月
 
英文科の主任教授だった上野直蔵氏の自宅で
 
従兄弟の宋と行動を共にしている尹東柱は何を言われたか。
 
尹東柱を知ると言う詩人の上本氏は
 
尹東柱はおよそ闘争的なところのない物静かな男だった。
 
反日的な思想などないように見えた…」と。
 
1943年3月朝鮮人に対しても兵役義務が課せられることになった。
 
 
崇実中学校は、1936年に当局が強要した神社参拝を拒否して閉校になった。
 
尹東柱1935年に平壌プロテスタント系学校・崇実中学校に編入学するが、崇実中学は神社参拝問題のために1936年に当局によって廃校とされた。
 
「死ぬ日まで空を仰ぎ 一点の恥辱(はじ)なきことを――」
植民地支配下の朝鮮でハングルで詩を書き、自らの詩精神をつらぬいた尹東柱。
暗い時代のただなかで、「民族としても、人間としても、生命をないがしろにし、破壊しようとする巨悪に呻吟しながら」「詩によって真に生きようとした」(本書より)詩人は、日本留学中に治安維持法違反で逮捕され、戦争終結半年前に〝謎の獄死〟をとげた。
今日では日本でも広く愛される韓国の国民的詩人の足跡を辿り、いくつかの知られざる事実を明らかにしつつ、その人、その文学の核心に迫る。

著者はNHKディレクター時代の1995年、「NHKスペシャル」で尹東柱のドキュメンタリー番組『空と風と星と詩――尹東柱・日本統治下の青春と死』を手がけ、以来20年余にわたり独自に尹東柱の調査・研究を重ねてきた。
本書では主に日本との関わりを軸に尹東柱の足跡を実証的に追い、また遺稿や蔵書を読み解き新たな視点からの作品解釈もこころみながら、孤高の詩人の詩精神にあらためて光を当てる。
 
柳宗悦の妻兼子のドキッメント映画観ました。
 
軍歌を歌わなかった兼子は戦争中禁断の花作りをして兵隊たちを喜ばせた。  
花なんか作ってはいけない、野菜など作らなければならない時代でした。

長男の柳宗理は工業デザイナー、次男の柳宗玄は美術史家、三男の柳宗民は園芸家!  以前はテレビの園芸番組でお目にかかりました。 
 
「戦争中一番良いことしたのは花作り、人を喜ばせたから。」と兼子。
 
日本のバラの父鈴木省三氏も戦争中のバラ作りには苦労されました。
 
2003年頃、佐藤隆司企画・原案、渋谷昶子脚本・ 演出によるドキュメンタリー映画『兼子-Kaneko』 (全農映)を観ました。
 
先日、図書館で小池静子著「柳宗悦を支えて 声楽と民芸の母 柳兼子の生涯」 を見つけました。作者は兼子のお弟子さん。