京都、奈良から初めての大和郡山市へ♪
結婚式場のホテルの内装はこちら↓
始め京都1泊のつもりが京都奈良(国宝展と正倉院展など)では無理だと思い安いホテルをネットで探しました。
それが結婚式場のホテル、駅前とも知らず
京都から奈良、大和郡山へ←ホテルの内部はこちら
ホテルの近場を散歩、壺が並んでると思ったら
窯元さんでした。
深夜まで踏切の音がやかましいはずでした。
狭い道を通勤時間なので自転車や車がすり抜けていきました。
菊が見事なお宅、可愛い金魚がぶら下がっています。
大和郡山市の探検の始まりです。
こちらでは金魚と言えば弥富なのですが
ワンちゃんのお散歩↑
散歩に最適、整備された外堀緑地
都市の形が形成されたのは、戦国時代末期に筒井順慶が郡山城に拠り、その城下町が発達してからである。順慶亡き後1585年に豊臣秀長(当時羽柴秀長)が郡山城に入り、郡山はこの時期大和国の中心都市として栄えた。
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ただ・・・
その権勢ゆえ築城に関わる人材は豊富であったものの、石の少ない大和では、築城のための石をめぐって争いが起きたとも言われ、現在残る天守閣の石垣を見ると、知らずに行った方は、一瞬、ドキッとされるかも知れません。
その権勢ゆえ築城に関わる人材は豊富であったものの、石の少ない大和では、築城のための石をめぐって争いが起きたとも言われ、現在残る天守閣の石垣を見ると、知らずに行った方は、一瞬、ドキッとされるかも知れません。
お城は行ってません
大正時代の杉山小児科医院も見逃しました
洋風建築(大正)
登録有形文化財
大正10年ごろの建物。奈良では数少ない大正時代の建物として貴重な存在。←
18世紀ヨーロッパの都市の民家風建築。
登録有形文化財
大正10年ごろの建物。奈良では数少ない大正時代の建物として貴重な存在。←
18世紀ヨーロッパの都市の民家風建築。
散歩に最適の整備された外堀緑地から歩いて紺屋町へ
道路の中央に水路が通りお城の堀と繋がっています。
当時13軒の紺屋が染め上げた布や糸をさらしていた。
箱本十三町マップより
洞泉寺 国重文の阿弥陀如来と両脇侍立像(鎌倉中期)で知られる寺
このあたり一帯は江戸時代からの遊郭の後で、細い路地の両側に格子の古い家並みが続く趣のある町
間違っていたらご指摘ください。11月9日の事です。
美しい木造3階建て、遊郭。
なぜか急に画像がUP出来なくなりました。トホホ