淡谷のり子、戸田恵子に感服♪Sing a song
戸田恵子、美と歌唱・演技力絶品でした、彼女の最高傑作
冒頭の歌からスタンディングしたいぐらい。
隣市まで友人と行ったかいが有りました。
宝塚ファンの親友がこのような舞台を観るとは、、
しかも凄く喜んでくれました。
冒頭のせりふ、「こんな時代になっては」
今も同じで突き刺さります。
戦後、真面目な民主主義教育受けたのに。
『男の隠れ家』Bohken-Dankichi様ご紹介作品です。
戸田さんはピアノ伴奏させられる役でした。
英国で上演しようとしたら、こんな理不尽な事あり得ない、
なぜ皆闘わないのだと断られたくらい、日本は異常な国です。
さて本作は「軍歌は歌わない」淡谷のり子がモデル
1907年、青森市の豪商「大五阿波屋」の長女として生まれる。1910年の青森市大火によって生家が没落。10代の頃に実家が破産し、1923年、青森県立青森高等女学校を中退し母と妹と共に上京。東洋音楽学校(後・東洋音楽大学、現・東京音楽大学)ピアノ科に入学する。後に荻野綾子に声楽の資質を見出されて声楽科に編入。オペラ歌手を目指すためクラシックの基礎を学んだ。
慰問はノーギャラと自分で決めたようです。
あの時代にこの勇気、 感服です。
戦後はテイチク、ビクター、東芝EMIで活躍。やがて、ファルセット唱法になる。声楽の基礎がしっかりしているので、胸声一本ではなくハイトーンを失わないところに歌唱技術の深さがあった。1953年に『第4回NHK紅白歌合戦』に出場、紅白初出場を果たす。NHKの公式資料によれば、同紅白で初出場ながらいきなり紅組トリを務めたとなっている。また、紅白で第1回を除いて初出場でトリを務めたのは淡谷のみである。
以下は中日新聞より。
「慰問」強いられた女性歌手描く舞台
「Sing a song」主演・戸田恵子
2018/3/6 夕刊
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戦時中に「慰問」として協力を強いられた女性歌手を描いた舞台「Sing a Song」が十三日に岐阜県下呂市の下呂交流会館、十四日に愛知県長久手市文化の家である。歌手役に戸田恵子、そのマネジャー役に大和田獏と実力派俳優がそろい、舞台を盛り上げる。
脚本は劇団チョコレートケーキ、古川健の新作。演出は同劇団主宰の日沢雄介。昭和十五年秋、日中戦争が長引く中、自由な精神を持ってステージに立つ三上あい子(戸田)。しかし、禁止された曲を歌ったとして憲兵司令部に呼び出され、外国にいる兵士を慰問するよう命じられる。
「人を死に追いやるような歌は歌ではない。だから私は絶対に軍歌は歌わない」というあい子は、禁止された曲を歌う。その歌は、明日死ぬかもしれないという兵士の心を揺さぶる。岡田潔プロデューサーは「時の権力者は都合よく、芸術を国策の一環として取り入れ、大衆を欺いた過去がある」とし、この舞台が自由と平和の大切さを感じるきっかけになればと願う。
(長田真由美)
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