riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

淡谷のり子、戸田恵子に感服♪Sing a song

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戸田恵子、美と歌唱・演技力絶品でした、彼女の最高傑作
冒頭の歌からスタンディングしたいぐらい。
隣市まで友人と行ったかいが有りました。
 
宝塚ファンの親友がこのような舞台を観るとは、、
 
しかも凄く喜んでくれました。
 
冒頭のせりふ、「こんな時代になっては」
今も同じで突き刺さります。
戦後、真面目な民主主義教育受けたのに。
 
『男の隠れ家』Bohken-Dankichi様ご紹介作品です。
 
 
2006年『歌わせたい男たち』では第13回読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞した。
2006年第13回読売演劇大賞優秀演出家賞(永井愛) 2006年第13回読売演劇大賞最優秀女優賞(戸田恵子)
 
歌わせたい男たち」は君が代を押し付ける校長たちの事、
戸田さんはピアノ伴奏させられる役でした。
 
英国で上演しようとしたら、こんな理不尽な事あり得ない、
なぜ皆闘わないのだと断られたくらい、日本は異常な国です。
 
さて本作は「軍歌は歌わない」淡谷のり子がモデル
 
本名:淡谷 のり(あわや のり)[1]。日本のシャンソン界の先駆者であり、ブルースと名の付く歌謡曲を何曲も出した由縁から「ブルースの女王」と呼ばれた。叔父は元社会党の代議士・淡谷悠蔵
 
1907年、青森市の豪商「大五阿波屋」の長女として生まれる。1910年の青森市大火によって生家が没落。10代の頃に実家が破産し、1923年、青森県立青森高等女学校を中退し母と妹と共に上京。東洋音楽学校(後・東洋音楽大学、現・東京音楽大学)ピアノ科に入学する。後に荻野綾子に声楽の資質を見出されて声楽科に編入。オペラ歌手を目指すためクラシックの基礎を学んだ。
しかし家がだんだんと貧しくなったため、学校を1年間休学して絵画の裸婦のモデルを務めるなどして生活費を稼いだ。当時は「霧島のぶ子」を名乗っており、この時期、淡谷の裸婦像を描いた画家に前田寛治がいる[2]。その後、復学しリリー・レーマンde:Lilli Lehmann)の弟子である柴田稲子の指導を受け首席で卒業。春に開催されたオール日本新人演奏会(読売新聞主宰)では母校を代表して「魔弾の射手」の「アガーテのアリア」を歌い十年に一人のソプラノと絶賛される。
東京音楽学校出身の声楽家が歌う流行歌よりも低い価値で見られていた。淡谷は流行歌手になり、低俗な歌を歌ったことが堕落とみなされ母校の卒業名簿から抹消された(後年復籍)が、1963年に起きた母校の内紛(東洋音楽大学事件:創業者一族の鈴木理事と経営側理事が対立し、双方が暴力団を「警備員」として大学に呼び込んだスキャンダル)に際しては、淡谷を中心に卒業生たちが東京声専音楽学校(2006年度末で閉校した昭和音楽芸術学院)に集まり、理事たちの異常な行為を糾弾した
 
 
戦時下で多くの慰問活動を行い「もんぺなんかはいて歌っても誰も喜ばない」「化粧やドレスは贅沢ではなく歌手にとっての戦闘服」という信念の元、その後の第二次世界大戦中には、禁止されていたパーマをかけ、ドレスに身を包み、死地に赴く兵士たちの心を慰めながら歌い送っていた。
英米人の捕虜がいる場面では日本兵に背をむけ、彼等に向かい敢えて英語で歌唱する」、「恋愛物を多く取り上げる」といった行為の結果、書かされた始末書は数センチもの厚さに達したとのことである。
 
慰問はノーギャラと自分で決めたようです。
あの時代にこの勇気、 感服です。
 
戦後はテイチクビクター東芝EMIで活躍。やがて、ファルセット唱法になる。声楽の基礎がしっかりしているので、胸声一本ではなくハイトーンを失わないところに歌唱技術の深さがあった。1953年に『第4回NHK紅白歌合戦』に出場、紅白初出場を果たす。NHKの公式資料によれば、同紅白で初出場ながらいきなり紅組トリを務めたとなっている。また、紅白で第1回を除いて初出場でトリを務めたのは淡谷のみである。
WIKIより 
 
以下は中日新聞より。
 
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「慰問」強いられた女性歌手描く舞台 
「Sing a song」主演・戸田恵子 
2018/3/6 夕刊
http://chuplus.jp/pic/204/o/531970_0_00.jpg
「Sing a Song」の一場面
 戦時中に「慰問」として協力を強いられた女性歌手を描いた舞台「Sing a Song」が十三日に岐阜県下呂市下呂交流会館、十四日に愛知県長久手市文化の家である。歌手役に戸田恵子、そのマネジャー役に大和田獏と実力派俳優がそろい、舞台を盛り上げる。
 脚本は劇団チョコレートケーキ、古川健の新作。演出は同劇団主宰の日沢雄介。昭和十五年秋、日中戦争が長引く中、自由な精神を持ってステージに立つ三上あい子(戸田)。しかし、禁止された曲を歌ったとして憲兵司令部に呼び出され、外国にいる兵士を慰問するよう命じられる。
 「人を死に追いやるような歌は歌ではない。だから私は絶対に軍歌は歌わない」というあい子は、禁止された曲を歌う。その歌は、明日死ぬかもしれないという兵士の心を揺さぶる。岡田潔プロデューサーは「時の権力者は都合よく、芸術を国策の一環として取り入れ、大衆を欺いた過去がある」とし、この舞台が自由と平和の大切さを感じるきっかけになればと願う。
 十三、十四日午後七時。十三日は3000、2000円。(問)下呂交流会館=電0576(25)5000。十四日は4000円。(問)長久手市文化の家=電0561(61)3411
 (長田真由美)