riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

英国庭園とキャノンボール・シンガポールボタニック・ ガーデンその3

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追記 

シンガポールは、正式名はシンガポール共和国で、東南アジアの主権都市国家で小さな島国です。ジョホール海峡を隔てて、マレー半島の南側に接しており、赤道の137km北という熱帯地域に位置する国です。面積としては、東京都の3分の1程度しかありません。

民族は中華系、マレー系、インド系の多民族国家で、それを統率管理する目的もあり、建国以来、人民行動党が議会議席の大多数を占めており、野党も存在するけれど制約が設けられ、一党優位の開発独裁国家であり、典型的な国家資本主義体制であるともいわれています。

シンガポールは、世界第4位の金融センターであり、世界の5大貿易港の1港で、世界有数の商業の中枢地の地位を確保しています。GDPの26%が貿易で締められている事がこれを物語っています。また、シンガポール購買力平価での一人当たりGDPが世界第3位と極めて豊かな国なのです。ちなみに日本の購買力平価での一人当たりGDPは世界第29位です。

 

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この地図は借物です。
左の池がスワンレイクです。
 
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国に利益をもたらしたボタニック・ガーデンの歴史

ボタニック・ガーデンの開園は1859年。農業園芸協会によって設立され、1874年以降は国の管轄となっています。初代園長となったヘンリー・ニコラス・リドリーは、1888年から23年間、草創期のボタニック・ガーデンのために精力的に働いた人。彼はマレー半島のプランテーション経営者たちにゴムの木を育てるよう熱心に推奨し、当時はコーヒー栽培が主流だった農場主たちからは「狂ったリドリー」「ゴム・リドリー」と渾名されたほど。1890年代から1900年代前半にかけてリドリーはゴムの木の研究を続け、木に害を及ぼすことなくゴムを採取する方法を発見します。後に自動車産業が盛んになってからはゴムの需要が急増し、大きな収益をもたらすようになりました。ボタニック・ガーデンの研究成果が東南アジアのゴム産業、ひいては近代産業を促進させた発展の基礎となったのです。

1928年からは、当時の園長だったエリック・ホルタム教授の発案により、ランの交配と繁殖に力を入れるようになります。ボタニック・ガーデンの生み出した丈夫で優れたランは、やがて世界中に評価されるようになりました。今日ではシンガポールの重要な輸出品となり、ランの切花の世界市場の15%を占めているほど! 特にデンドロビウム・ファレノプシス(いわゆるデンファレ)は盛んに輸出されており、日本でも人気です。ランの繁殖の様子はタングリン・ゲート近くのボタニー・センターにある、ラン繁殖実験室で見ることができます。
 
 
 
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タングリンゲート
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水の上でくるくる回る噴水、手で押すと回転方向が変わる
 
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 ホント、市民の憩いの場でしょう。私もこのブランコ乗ってみました♪
プルメリアの群生が有るところなのですが…
 
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英国庭園、ハンプトンコートまでの華やかさはないけれど突然これが現れて感激でした。
 
↑沈床ガーデン
 
 
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次はボンサイコーナーへ。