近江八幡資料館、豊かな近江商人
近江八幡資料館、こういう建物があったら入らざるを得ない、ツアーの皆さんとはしばし分かれて入館
八幡教育会館の建物は江戸時代初期の豪商伴庄右衛門が本家として建てた商家
畳表、蚊帳、扇子、麻織物を主力に励み、大阪、京都、江戸にも進出、大名貸もしていました。
三階建て。地震に耐えうる堅固な建築、
明治期には学校として利用された。
ローザンベリ-多和田の記事はまだ続きますが6月10日の最後の訪問地は近江八幡、
左義長←
日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)で行われる火祭です。もともと左義長は中国漢時代の正月行事として行われ、爆竹によって厄除けしたといわれています。わが国では承久元年(1219)より鎮護国家、五穀豊穣を祈る祭りとして行われるようになりました。近江八幡では、豊臣秀次が八幡山城を築いて城下町を開いたのと同時に、氏神八幡宮の祭礼として定着したといわれます。
左義長は、藁(わら)を1束ごとに揃えた約3mの三角錐のダシが胴体で、その上に数mの青竹に赤紙を中心としていろいろな飾りが付けられます。頭の上には火のぼりという御弊を付けます 豪華な朝鮮通信使のお膳
季節に合わせて
豊かな商人
近江八幡市は、豊臣秀次が築いた城下町を基礎として、近世は商業都市として発展した。いわゆる近江商人の発祥の地である。近世の風情がよく残る新町通り、永原町通り、八幡堀沿いの町並みおよび日牟禮八幡宮境内地は「近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されており、時代劇の撮影場所としてもよく使われる。ウィリアム・メレル・ヴォーリズが住み、多くの近代建築作品を遺した地としても知られている。2005年9月1日には水郷地域160ヘクタールが景観法に基づく「景観計画区域」に指定された。これは同法の適用第1号である。さらに2006年1月26日には「近江八幡の水郷」として重要文化的景観の第1号に選定された
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