続樋口講演会「俺の体を辛いところから撮ってくれ」
隣のわっかは西英子さんのシニアカーの一部
偶然隣の席でした。
お蔵入り半世紀
安保法制や北朝鮮のミサイル発射で戦争をあおり続ける安倍政権のおかげで出版出来たと樋口さんは語る。
もう死亡者も出てますよね。
自殺も多い。
2つ目の本の表紙の患者は寝ていたのに、医師と一緒に病室に入った樋口さんを上官と思い、直立不動になり敬礼
心も体もズタズタにした侵略戦争。
私は子供の時、覚王山の市などで白い着物を着た手足のない人たちを観ました。後で軍人恩給も貰えない日本の植民地下の朝鮮の人たちだったこと、大人になってから知りました。
「俺の体を辛いところから撮ってくれ」
背中を銃弾が貫通しても生き延びたが
「二度と戦争をしないでほしい」
毒ガスの島でも医師が写真を撮ってくれと、頼んだ。
痛ましい体の患者。
女性は性病と間違えられ離婚されたり。
樋口「安部さん、戦争ほどむごたらしいものはないのです。
歴史観、戦争観、人生観、政治観が
あまりにも安易すぎないだろうか!
敗戦72年の歳月は人々の心から戦争の虚しさ、恐ろしさを
忘却の彼方へおしやりつつある現実にも思いを
馳せねばならない」
電力会社からは1当たり一日5万円から7万円が出ているが
日雇い労働者にわたるのは1万~7千円。
原発は差別構造の上に成り立っている。
それらをクリーンだ、安全だと美しい言葉で飾ってきただけ。
原発を根底から支えているのは電力会社でなく日本の巨大企業
三井三菱住友
樋口さんの講演のテーマ: 『史上最悪の差別とは何なのか!』
第1部 樋口健二氏の講演ー『毒ガスの島』
第2部 パネルディスカッション 樋口健二、ジョセフ・エサティエほか
〇 樋口健二さんの写真集 『毒ガスの島』(2015年こぶし書房)
広島県の瀬戸内海に旧日本軍が毒ガスを作っていた島があります。
約6000人が動員されていました。極秘にされ家族にさえ内容を話すことは禁じられていました。
樋口さんが書かれている内容を少しだけお伝えします。
1. 1970年1月4日、私は一度だけのつもりで大久野島へ取材に行った。
しかし、あまりの重大性に身がすくみ、あとに引けぬ問題として、私にのしかかってきた。 こうして毒ガス後遺症患者の実態を12年にわたってカメラにおさめてきた。
初めての取材のとき、喉頭ガンを切除したばかりの重症患者が、
ゼーゼーとあえぎながら、『お国のため、天皇のため、戦争に勝つことだけを信じて、毒ガスとも知らず、ただ一生懸命働らかされたのに』
と絶句しながら、『せめて同じ広島県内の問題として、わしらにも
原爆手帳並みの救済の手を差しのべてくれてもいい!!』と訴える言葉は、怨念ともいえる重いひびきをもち、何とも痛ましかった。
2. 私はたくさんの毒ガス後遺症に悩む労働者の証言を得たが、今も
取材を続けている原発被曝労働者と重なり合い、時代は変わっても同様の労働形態に唖然としている。
40年前も1983年の現在も、お国のための錦の旗で働かされる状況は変わっていないことに気づいた。・・・・・・
国家の犯した犯罪が、一刻も早く問われないかぎり、毒ガス棄民の戦後は終わらない。
平和をおびやかす時代だけに『毒ガス棄民』の歴史をもう一度、
認識していただきたいものである。
(以上、樋口健二さんの著書「毒ガスの島」から)
樋口賢治さんは1937年生れです。 私と同じ81歳です。
東京から名古屋へ講演に来てくださることもたいへんだと思います。
今回、ジョセフさんが主催してくださったことに感謝します。
みなさん この機会にぜひご参加ください。
ジョセフさんのことは長くなりますので、次回にお伝えします。
☆ 講演会の前売券ですが、私と出会うことがない場合は、
このメールで予約してください。
当日、受付で800円お支払いただいて、お渡しします。
〇 大久野島は今や「うさぎの島」として知られています。
旧軍施設は「国民休暇村」となりました。
樋口さんは