riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

星夜航行/激動する現代のアジアをも見通す祈り姜尚中

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反権力、庶民の目で描く飯嶋和一作品が好きです
『出星前夜』『狗賓童子』を読んで感心したので『星夜航行 』を図書館に
リクエストしたら42人待ち
ようやく読了。
 
 
 
 
この本が今までで一番私には手ごわかった。
 
秀吉の暴虐の限り尽くした朝鮮侵略をこれほど詳しく描いた人を知りません,
上下2巻の分厚い本です。
 
秀吉の耳そぎ、鼻そぎ、陶工などの朝鮮男女の強制連行、や戦争の悲惨さ、小西行長加藤清正
 
豊臣秀吉朝鮮半島に出兵した文禄・慶長の役(1592年~1598年)の遺跡(京都市東山区)。塚上に巨大な五輪石塔が立つ。

 戦功のしるしとなる首級のかわりに秀吉の将兵が耳や鼻をそぎ持ち帰り埋めたと「淀川両岸一覧」は記す。鼻塚ともいわれる。秀吉軍は朝鮮人の鼻と耳を切り取り、戦勝の証として塩や酢に漬けて日本に送った。高さ約8メートルの耳塚は、これらの耳や鼻を埋めた跡に秀吉が築いた。

 全国統一を遂げた秀吉は中国大陸への侵攻を狙い、朝鮮半島に出兵した。1592年の第1次出兵時の兵力は約20万人の大軍で、4月に釜山、6月には平壌を陥れた。秀吉軍が本格的に朝鮮人の耳や鼻を切り落とす行為を始めたのは1597年からの第2次出兵からという。

 秀吉軍の武将本山安政が残した記録には「秀吉の命令なので男、女、赤子までなで切りにして鼻をそぎ、毎日毎日塩漬けにし…」と記されている。はじめは首を切り落として送っていたが後に耳や鼻になり、樽(たる)で塩や酢漬けにされ、九州・名護屋を経由して秀吉のもとに送られた。

 耳、鼻の数で戦いぶりが評価されるとあって、秀吉軍の諸大名は競って切り落とした。

 秀吉は1597年に塚を築いた。このとき、僧侶約400人を呼んで供養を行った。

京都新聞 2018年11月07日 19時39分
https://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20181107000128

 豊臣秀吉朝鮮出兵で犠牲となった人たちの耳や鼻を埋めたとされる耳塚(京都市東山区)で7日、慰霊祭が営まれた。韓国の伝統舞踊奉納や献茶があり、日韓の関係者ら約150人が参列した。

 韓国の社団法人「ギョレオル活動国民運動本部」が主催した。一昨年からは日本の僧侶も追悼に参加しており、今年は浄土宗称名寺(同区)の釋博信(しゃくはくしん)住職が祭壇前で念仏を唱えた。

 同本部の朴聖琪(パクソンギ)理事長らとともにあいさつに立った駐大阪韓国総領事館の呉泰奎(オテギュ)総領事は、日本と韓国の包括的協力をうたった「日韓共同宣言」発表から今年で20年の節目を迎えたことに触れ、「(日韓が)真の友となれるよう力を合わせていきたい」と語った。
 
豊臣秀吉朝鮮侵略を迎え撃った、朝鮮の水軍の将軍李舜臣の話は前に読んでいますが。
 
わらび座のミュージカルでも強制連行された女性の話「つばめ」観ました。
 
 
脚本・演出:ジェームス三木

  ◆ メッセージ
 
 
 
 
 李舜臣は、その死の前日まで、詳細な日記を書いていた。その日記『乱中日記』は最近、北島万次氏によって皇帝翻訳されて、東洋文庫に三冊分冊として刊行され、読むことができるようになった。また翻訳にあたった北島氏が、その記録にもとづいて、李舜臣の人物と、戦術、朝鮮水軍の組織、亀甲船の実態、朝鮮水軍に降伏したいわゆる降倭などについて詳しく述べているのが近刊の『秀吉の朝鮮出兵と民衆』(岩波文庫)である。<北島万次『秀吉の朝鮮侵略と民衆』2012 岩波新書
 
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一兵卒に落とされても重病になっても戦い続けた李舜臣
 
 
一方日本では
戦国時代は負けたほうは奴隷となり売買され、秀吉時代になっても・
 
秀吉は天下統一の後、朝鮮はおろか明までも征服しようと無謀な侵略を二回も始めて日本だけでなく朝鮮、明の人々を不幸のどん底に落としました。
 
和睦の条件として
明の皇女を日本の后妃になどと狂ってるとしか思えない。
 
日本に連行されて捕縛されている朝鮮女性たちに日本女性たちは…
 
食料の補給もできないのに、侵略仕掛けた秀吉軍は日中戦争、太平洋戦争と全く同じ、愚かすぎます。
 
 
イスパニア商人アビラ・ヒロンの言葉
 
日本人は好きだが
 
物を売買する秤が二つあること、女性を大切にしないこと。これが良くない
 
子供の頃米屋は個人宅では秤もないので茶碗一杯のコメを不正に減らすと聞いた。
 
 
当時も自分が支払う時は正しい秤を用いるのに、金銭を取るときは虚偽の秤で利をむさぼることが横行、かなりの店構えのものまで平然とやっていることを憤った。
夫が些細なことで妻をなぐったりすることもヒロンには許しがたい蛮行と映っていた。
 
今も横行するレイプ事件はここからか。
 
 
 
 
やせこけたフランシスコ会と着飾ったイエズス会の違いもろくに知らなかった。
 
p399 蔚山に築城、百姓、水府、足軽まで動員
 
臼杵安養寺の慶念は正気の沙汰とも思われぬことが連続し、何とか自己を見失うまいと日記を書き続けた。
 
些細なことで首を斬られ辻に首さらされている百姓たちP400
 
米を運び終わった牛はもう必要ないと撃ち殺してその場で食べる、おぞましさ、地獄
 
 
子供の頃米屋は茶碗一杯のコメを不正に減らすと聞いた。
 
 
 
投降したり捕虜となっりして朝鮮に寝返った日本人将兵は数千人
 
この戦乱で最も苦しんでいるのは下々の民である
 
危機を全く理解しなかった秀吉
 
p525
 
明の暴虐
 
5万の倭軍置き去り、
 
朝鮮に受け入れられた降倭
 
まとまらずすいません。
 
姜尚中/激動する現代のアジアをも見通す祈り 〈飯嶋和一『星夜航行』刊行記念特集〉https://www.bookbang.jp/review/article/554839
 
叙事詩的な小説でありながら、リリシズム(叙情詩的な趣)の香りのする小説に出逢うことは滅多にあるものではない。歴史小説というジャンルでその滅多にない体験をしたのは、経済小説の草分けと言われた城山三郎の『黄金の日日』くらいだろうか。そして本書を読み進みながら、頭を掠めたのは、『黄金の日日』のことだった。
 実際、本書にも、安土桃山時代にルソンに渡り、海外貿易を通じて巨万の富を築いた、和泉国堺の伝説的な豪商呂宋(るそん)助左衛門(菜屋助左衛門)が登場する。
黄金の日日』は、日本史上で人気が高く、今でもヒーローとしてもてはやされている太閤(豊臣)秀吉を悪役として描き、後の身分制では最も卑しいクラスに位置付けられる商人を主人公に激動の近世日本の断面を描き出した点で出色の歴史小説である。
 それが、叙事詩的な体裁を取りながらも、随所にリリカルな香りを発散させているのは、主人公やその周辺の人々の情念や息遣いが見事に造形化されているからである。
『星夜航行』もまた、『黄金の日日』と同じように、叙事詩的でありながら、リリシズムの香りのする稀有な小説である。なぜそうなのか。
 それは、何よりも主人公、沢瀬甚五郎によるところが大きい。史料に名を残す実在の人物でありながら、言うまでもなく、信長や秀吉、家康に較べたら、星屑のような輝きしか残さなかった人物かもしれない。
 しかし、徳川家の「逆臣の遺児」として不遇の星のもとに生まれながら、戦国から天下統一、そして南蛮交易、「朝鮮出兵」(文禄・慶長の役)と続く波乱の時代を、三河から堺、九州、ルソン、朝鮮と、数奇な運命とともに生き抜いた主人公には、信長や秀吉、家康にはないものがある。それは、『黄金の日日』の主人公にも通じるリリシズムである。
 戦国・安土桃山時代、さらに幕末と、叙事詩的な英雄譚や偉人伝には事欠かない。しかし、それらの多くが、どこかで人間の陰影、その喜びや悲しみの深さを描けていないように思えてならないのは、主人公にリリカルなものが欠けているからではないだろうか。
黄金の日日』の呂宋助左衛門と『星夜航行』の沢瀬甚五郎に共通するのは、彼らがスターダストの中の一つに過ぎないことを心得ていることである。
 ただし、違いもある。助左衛門は、根っからの商人であるが、甚五郎は、喩えて言えば、藤沢周平の作品に出でくるような「武士(もののふ)」である。
 その武士が、出奔し、流転の果てに秀吉の「朝鮮出兵」に巻き込まれ、戦(いくさ)の惨さを知っていく場面は圧巻である。主人公と同じくかつて徳川家に仕え、恩人である磯貝小左衛門の述懐は、胸を打つ。
「この戦乱で最も苦しんでいるのは、衆生、下々の民である。この朝鮮でも、日本でも、恐らく明国でも、最も厄災をこうむるのは、いずこによらず民草なのだ」
 この世が地獄であっても、いつかは観世音菩薩があらゆる国土にその姿を現すことになる。この願いこそ、主人公が流転の果てに得たものである。
 それは、激動する現代の東アジアをも見通す祈りでもある。主人公の甚五郎が、征夷大将軍になっていた家康に謁見するシーンは、その祈りがただの夢ではないことを暗示しているようで、深く心を揺さぶる。
『星夜航行』は、『黄金の日日』を受け継ぎながら、さらにそれを超える不朽の名作として読み継がれていくに違いない。
 
 
島原の乱を描いた『出星前夜』(大佛次郎賞、2008年刊)や幕末の“隠岐騒動”を舞台にした『狗賓童子の島』(司馬遼太郎賞、2015年刊)など、寡作でありながら、「飯嶋和一にハズレなし」といわれるほど歴史小説の大作を世に送り出してきた飯嶋和一さん。
3年半ぶりとなる新刊『星夜航行』が、6月29日(金)に上下巻で発売されました。
罪なくして徳川家を追われ、秀吉の天下統一、朝鮮出兵という激動の時代の荒波に翻弄されながら、不屈の精神で生き抜いた男を描く本作。その完成までには、なんと9年の歳月を要したそうです。そんなに時間がかかったのはなぜなのか? 幾度となく担当編集者の魂を震わせたという本作について、刊行までの道のりを、新潮社出版部の田中範央さんに綴っていただきました。
 
この4年間、感嘆感心することは何度かありましたが、大げさでなく魂が震えたのは最後のシーンの加筆をいただいたときのこと。そこで描かれる勇姿は沢瀬甚五郎が徳川家に取り立てられるきっかけとなった、あることと繋がっていたのです!(←どうかお見逃しなく、というか、是非ご一読を!)