2019-06-06 続々東海市大池公園、細井平洲,やぎの赤ちゃんなど 資料館?にはたくさんのはく製が! 細井平洲のふるさと。 細井 平洲(ほそい へいしゅう、享保13年6月28日(1728年8月3日) - 享和元年6月29日(1801年8月8日))は、江戸時代の儒学者。本姓は紀氏。折衷学派。平洲または如来山人と号す、諱は徳民、通称は甚三郎。字は世馨。尾張国知多郡平島村(現・愛知県東海市)出身。弟子には寛政の三奇人として有名な高山彦九郎などがいる。また、米沢藩藩校興譲館の学則には『紀徳民』とある。 宝暦13年(1763年)に、上杉治憲(後の鷹山)の師となる[1]、治憲は後に米沢藩主となり、米沢藩が財政再建を成功させたことは有名である。 平洲が遺した言葉として、米沢藩主になろうとしていた上杉鷹山に送った「勇なるかな勇なるかな、勇にあらずして何をもって行なわんや」がある。要は「何をやるにしてもまず勇気が必要である」と言う意味である。 米沢市の松岬神社に、上杉鷹山と共に祀られている。 もう一度山羊の赤ちゃん