平和の集いで観た「ラジオコバニ」とベルリンオリンピック前畑・孫 基禎
ISとの戦闘で瓦礫と化したシリア北部の街で、
大学生のディロバンは手作りのラジオ局をはじめる
トルコとの国境に近いシリア北部のクルド人街コバニは、2014年9月から過激派組織「イスラム国」(IS)の占領下となるも、クルド人民防衛隊(YPG)による激しい迎撃と連合軍の空爆支援により、2015年1月に解放された。人々はコバニに戻って来たが、数カ月にわたる戦闘で街の大半が瓦礫と化してしまった。
そんな中、20歳の大学生ディロバンは、友人とラジオ局を立ち上げ、ラジオ番組「おはよう コバニ」の放送をはじめる。生き残った人々や、戦士、詩人などの声を届ける彼女の番組は、街を再建して未来を築こうとする人々に希望と連帯感をもたらす。
「戦争に勝者などいません。どちらも敗者です」
「未来のわが子へ。戦争に勝者などいません。どちらも敗者です」そう語るディロバンは、いつか生まれるであろうわが子、そして今後生まれてくる“コバニで何が起きたか知りたい全ての子供たち”に向けて、自分の街や家族、友人たちが受けた悲惨な物語を手紙につづる。
戦闘真っ只中の2014年から、コバニに復興の光が差し込み始めるまでの激動の3年間を追ったカメラは、やがて日常生活のささやかな喜びや恋愛を享受するディロバン自身の姿も捉えている。
監督は、自身もクルド人のラベー・ドスキー。地雷や戦車を越えコバニに赴き戦地での撮影を敢行、クルド人兵士によるIS兵士の尋問にも立ち会った。本作を、戦死したクルド人兵士の姉に捧げている。
まるで実体験しているような感覚にさせられ、深く心を打たれた。
世界が観るべき作品だ。
IDFA 2016
深く傷ついてきた人々へ、希望を与えるドキュメンタリー。
未来を築くために立ち上がった、控えめだが力強い人たちの姿を描いている。
Backseat Mafia
戦争の傷跡、復興、希望と愛について
苦しみながらも親密に描かれた物語だ。
ihttps://www.uplink.co.jp/kobani/
BSNHKでも放送されました。
瓦礫となった街で損傷された死体を掘りだしていく。
若い女性がラジオ局を立ち上げ放送を始める。
女性兵士も多い。
クルド人のスナイパーは相手のIS兵士が子供と分かっても殺すことになりトラウマになります。
コバニの女性たちは顔も隠していない。
戦士の中には女性兵士もたくさんいて、若い女性が機関銃を打ちながら笑顔で「ISをやっつけたよ」と
東京大空襲などを思い出します。
日本は近隣諸国を貶め好戦的になるように仕組み相手が仕掛けたと嘘をつき戦争はじめた。
初めても庶民に入らない良いことはない、みじめに死ぬだけです。
昨晩の「いだてん」
前畑頑張れの前畑さんは名古屋市内の椙山女学校の生徒だった。
ベルリンオリンピックの通訳のユダヤ人、
ドイツ人将校みるとおびえ「ハイルヒットラー」繰り返していて、不気味と思ったら
オリンピック閉会式終わると自殺してしまった!実話がもとになってる。
もりわきやすし @molirinho
朝鮮の"日本人"金メダリストの孫基禎、米国の"黒人"金メダリストのジェシー・オーエンス、彼らもベルリン大会後は一切の大会に出場できなかったり、馬と走らされたり、侮蔑的な扱いを受けました。今がそんな時代に逆戻りしてなければいいのですが……。
孫さんについては昔記事を書きました。
ベルリンオリンピック[編集]
1936年8月のベルリンオリンピックに、日本代表として出場し、当時のオリンピック記録となる2時間29分19秒2で金メダルを獲得した。現在のところ、オリンピックの男子マラソンで、世界記録保持者として出場した選手が金メダルを獲得した唯一の例である。
大会直後に朝鮮の新聞「東亜日報」に胸の日の丸が塗りつぶされた表彰式の写真が掲載され、当時の朝鮮総督府の警務局によって同紙記者の逮捕・発刊停止処分が下された。このため、10月になって帰国した孫には警察官が張り付き、朝鮮内で予定されていた歓迎会も大半が中止された。
孫自身は当時より民族意識が強く、世界最高記録樹立時の表彰式でも「なぜ君が代が自分にとっての国歌なのか」と涙ぐんだり、ベルリン滞在時には外国人へのサインに「KOREA」と記したりしていた。このうち後者は当時の特別高等警察によってチェックされて「特高月報」に記載されており、帰国後に「要注意人物」として監視を受けることにも繋がった。そのため、翌年明治大学専門部法科に進むが競走部への入部は認められなかった[2]。卒業後、朝鮮陸連の紹介で京城の朝鮮貯蓄銀行本店に勤務した[3][4]。
一方で戦後に、日本の陸上関係者や戦前親しくしていた友人への手紙などには、日本語読みのローマ字署名を付けていた[要出典]。
孫 基禎をオリンピック候補にしたくないからオリンピック前に何回も走らせたとか。
柳 美里(ゆう みり、유미리、1968年6月22日 - )の祖父は韓国密陽市で靴屋を営み、健脚で幻の東京五輪のマラソン選手候補であった。