BSプレミアム 英雄たちの選択「水害と闘った男たち~治水三英傑・現代に活かす叡智~」
岡山を洪水から救った津田永忠
二人目の津田永忠は江戸時代に岡山を水害から救った人物である。岡山城下は度々旭川の氾濫に苦しめられていた。それは岡山城が旭川を外堀として使用していたため、その屈曲部から水が城下にあふれ出しやすくなっていたからだという。そこで津田永忠は旭川の水を逃すための百間川を建造した。この百間川の存在によって2018年の西日本豪雨でも岡山は浸水被害を免れたという。
旭川の水を百間川に取り込むのが分流部。ここは旭川の堤防が低く切られており、増水時には水が越流して百間川に流れ込むようになっている。ここの石積みはかまぼこ形になっており、水の抵抗が減るようになっているという。
また被災民を救うために新田開発も行っている。百間川下流を干拓して農地を造り出した。この工事の予算支出は重臣の反対を受けたため、永忠は自らの名前で大阪の商人らから借金をして工事費用を捻出したという。
商人達も採算が合わないと考えれば出資することがないから、永忠は優れた技術者であるだけでなく、説得力のあるグランドデザインを描いてプレゼンできる能力も持っていたと考えられる。とにかく優秀な役人であったようだ。
私財をなげうって天竜の治水にかけた金原明善
三人目の金原明善は暴れ天龍の治水に取り組んだ実業家である。浜松の名主の家に生まれた明善は洪水に飲まれる村を見て育ち、全財産を投げ打って天竜川の治水を行うことを政府に申し出る。政府は戸惑うものの大久保利通が明善の熱意に打たれて政府も支援することを約束する。
明善は最新の測量機器を買いそろえて欧米流の最新の堤防建設を目論む。しかしこの明善の計画は地元の反発を受ける。流域の住民が自分達も計画策定に加えるように要求したのだが、意見がまとまらなくなることを恐れた明善がそれを拒絶、完全に決裂してしまうことになったのだという。地域から完全に孤立し、政府からの支援も切れてしまった明善の計画は頓挫する。
しかし明善は全く違う方向から治水に迫ることにする。当時天竜川の流域の山々は乱伐が進んで荒れていた。明善は植林を行って山を保全することによって治水に結びつけることを考えたのだという。治水から治山に変更した明善の行動を最初は人々は嘲笑ったという。しかし明善は山間の貧しい人々に賃金を払って植林の仕事を与え、さらに丸太を運ぶ運輸会社、製材会社、銀行などを設立して地域に事業と雇用を産み出して地域の人々の心をつかむ。こうして天竜美林と呼ばれる森が出来上がる。そして天竜川の洪水は減少していき、昭和になってダムが出来たこともあり浜松の洪水は完全になくなったという。
現在の自分の利益だけを優先するような指導者には到底不可能ということである。今は逆に工事の利権のために不要な治水工事がなされたりしてあらゆる河川がコンクリートで固められた結果、逆に災害を大きくしてしまうなんて事が起こったりする。科学技術におごるのでなく、自然と上手く共生する形での治水や都市設計というのが今後は重要になるように感じる。引用終わり