riboni5235’s diary

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<span itemprop="headline">覚悟の上で動く一人ひとりの個人が、社会を変えると信じている~奥田愛基</span>


あべ政権には、「絶望(に近い思い)」と「怒り」しか抱けませんが、彼らの「お蔭で」、私たちは自分の頭で、民主主義の何たるかを考え、そのためにはどう動けばいいのかを想う力をつけることができた一年となりました。その動きを、多くの日本の人達にもたらすきっかけを作ったのは、この若者です。           by alf's mom


それはSEALDsメンバー・明治学院大学4年、奥田愛基さん
 
~2015/12/19朝日土曜版beより「デモを変え、社会を変える」(要約)

6月から、法案成立の9月19日の明け方まで、毎週金曜日の同じ時間、同じ路上で、仲間と声を上げた。激しい雨の中も、うだる暑さでも。若者の輪は回を重ねるごとに膨らんだ知識人を引き寄せ、高校生が繁華街を練り歩き、地方都市に波及した
政権へ異を唱えたいと思う人が増えてきた時、彼らが“着火剤”の役目を担った」と作家で明治学院大教授の高橋源一郎さんはいう。

奥田愛基さんのプロフィル
・1992年、北九州市で生まれ。中学で不登校になり、2年生の冬から、沖縄・鳩間島へ転校。
・2008年、島根県江津市キリスト教愛真高校に入学。自然に囲まれた寮生活を送る。
・11年、明治学院大国際学部に入学。
・12年秋に休学。カナダなどへ留学。留学前に被災地の人らを撮影した5分間の短編映画「生きる312」が、13年、国際平和映像祭グランプリを受賞。
・同年12月、特定秘密保護法に反対する学生有志で「SASPL」を結成。14年2月、新宿で初の抗議デモ。費用は自分のバイト代で賄う。7月、集団的自衛権の行使容認閣議決定を受けて活動本格化。
・15年5月3日、「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)創設。
・12月、市民のための政策提言シンクタンク「ReDEMOS」設立。

 
父親は、ホームレスの自立を支える活動で知られる牧師、その人たちを家族のように受け入れる母。
地元の中学でいじめに遭って不登校になり「自分が自分になるとは?」と独り悩んだ日々。親元を離れて様々な経験を積んだ若者は、SEALDsの仲間を得て、それまで政治に無関心だった「おとな」をも巻き込む、「冷静な」素晴らしい活動を展開していきます。

ヒップホップ音楽が流れる車の荷台に立ち、ラップ調に韻を踏むコールや、スマートフォンの画面を読み上げながらの演説など、従来にないスタイリッシュなデモを作り上げ、動画を交えてSNSで拡散、共感を広めた「彼ら」。

法案成立目前の9/15、参院特別委員会の中央公聴会。公述人席の一番端に、金髪を黒く染め直し、借り物のスーツを着て座った奥田さん。
寝ている人がたくさんおられるが、よろしければ話を聞いていただきたい」。
約15分間に及ぶ演説の冒頭、そう釘を刺すと、何人かの政治家たちは苦笑いして姿勢を正した。「何もない、誰も知らないところから、ひとりで考え、やってきた。
だから、あなたたちも個人として決断を」と思いをぶつけた。
覚悟の上で動く一人ひとりの個人が、社会を変えると信じている。 
 
     
「絶望を抱きつつも、希望を語る」~
インタビューより

――学生たちで抗議活動を始めたきっかけは?

 震災支援活動中、「自分たちはいつまで被災者と言われ続けるの?」と問われ、言葉を失いました。その後に原発再稼働反対のデモに行って、そんな簡単に反対と言えるのかと悩んだり…。考え続けて眠れなくなり、大学を休学して日本を脱出。

帰国後、同居の友人が言います「特定秘密保護法、ヤバくね?」。
普通に考えておかしいことはおかしいと、学者や政治家じゃなくても言っていいんだと。それで、所属やアイデンティティーを超え、ダメな自分の現状もひっくるめて、一学生として、自分の言葉で、やれる範囲でやってみようと決意したんです。

――全く新しい手法でデモを率いました。

 誰もやったことの無いデモを企画。スタイルも全て自分たちで考え、シュプレヒコールではなく、ライブみたいな掛け合いで、「民主主義ってなんだ?」「これだ!」って自分たちに問いかけようと。告知はフライヤーや動画を作り、ツイッターフェイスブックなどで拡散。スピーチは事前に原稿を準備し、みんなで読み合わせ。

     ■生と死考える

――今の活動の原点は高校時代にあるそうですね。

 僕が高2の冬、授業で元BC級戦犯の飯田進さんの講演を聴きました。
飯田さんは「人を殺した」と震える声で罪を告白し、明日世界が滅びてもリンゴの木を植え続けるという話を紹介しました。その後、ものすごく長い手紙が学校に届いた。
僕らの感想文に対する返信、とっても嬉しかった。この人は絶対伝わらない戦争体験を、あきらめずに伝えようとしていると。
飯田さんの手紙を読み、絶望を抱えながらも希望を語る人がいる、僕は一人じゃないと思えました。

――この1年は各メディアに引っ張りだこでした。

 国会前での抗議を始めた6月以降、取材は積極的に受けようと決めた。特定秘密保護法の時のように、安保法案も可決の際にちょっと報道されて終わりかねないという危機感から。

ただ9月に僕が通う大学へ、家族も対象とする殺害予告が届いた時、記者にたびたび「どんな気持ちか?」と聞かれ、うんざりしました。
僕がどう思っているかは、そんなに重要ですか? それよりも、社会としてどう受け止めるのかをマスコミは語ってほしかった。SEALDsには批判も多くありますが、僕はしっかり耳を傾け、誠実に自分の言葉で説明することを心がけてきました。

――安保法案が通ったとき、取材に対し「悲壮感はない」と答えました。

むしろすごくポジティブだった。政治の主権者は僕たちで、やることは変わらない。この大きな流れは今後も続いていくと思う。


     ■新たな活動へ

――卒業間近ですね。

 今、政党政治をテーマに卒論を書きつつ、大学院に進むために勉強中です。
SEALDsは来年の参院選で解散予定。14日に政策を提言するためのシンクタンク「ReDEMOS(リデモス)」を弁護士や学者と設立しました。市民が参加し、安保法や特定秘密保護法の改正を求め、本当の立憲民主主義を実現する法の整備を与野党に働きかけます。

 
人間は皆ひとりで生きるしかなくて孤独だけど、ひとりじゃ生きられない。そんな自分やあなたが個人として認められ一緒に生きることを支える仕組みが、民主主義じゃないですか。
最近、母方の祖父が「やっと奥田愛基になったな」と言ったんです。悩んでいた中学生の僕に「奥田愛基になれ!」と繰り返したじいちゃんです。やっと認めてもらえたのかな。 


この一年、希望の光を放ち続けた若者のことを記録しておきたく、年末の作業に取り掛かる前に記事にしました。
来年の自分の力とすべく。   ここまで alf's mom さん

まったく同感なんで、転載可でアップしました。奥田くんだけじゃなく、SEALDsのみんなが、日本のファシズムに対する抗議行動を牽引してくれました。適材適所で活躍し、大きな力を発揮しました。これからが勝負だと思います。       by acalulia


転載元: acaluliaのブログ