riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">ミラノコレクションに藤田そっくりさん登場</span>

引用です。

藤田嗣治レオナール・フジタを殺したは誰か 女と猫、そして戦争画


上のサイトにミラノコレクションの動画あります。

サロンに作品を展示すれば黒山の人だかりを作り、サロン・ドートンヌ展の審査員にも推挙されます。
パーティーでは女装し、着物をまとい、民謡を唄い、日本舞踊を舞い、お調子者の意である「フーフー(FouFou)」と呼ばれ、作品とともにプライベートでもフランス中の注目を集めます。
文字通り「パリの寵児」になったのです。
どれほど彼の存在感が大きく、どれほどその画風が洗練されていたか、最新のモード・ファッションとの結びつきを見ても明らかです。
ジル・サンダー(JIL SANDER)の2010春夏のコレクション、さらにクリストフ・ルメールCHRISTOPHE LEMAIRE)2011の春夏コレクションも、レオナール・フジタにインスパイアされたものです。
ジル・サンダー2010春夏のミラノコレクションの模様を見てみましょう。
サロンに作品を展示すれば黒山の人だかりを作り、サロン・ドートンヌ展の審査員にも推挙されます。
パーティーでは女装し、着物をまとい、民謡を唄い、日本舞踊を舞い、お調子者の意である「フーフー(FouFou)」と呼ばれ、作品とともにプライベートでもフランス中の注目を集めます。
文字通り「パリの寵児」になったのです。
どれほど彼の存在感が大きく、どれほどその画風が洗練されていたか、最新のモード・ファッションとの結びつきを見ても明らかです。
ジル・サンダー(JIL SANDER)の2010春夏のコレクション、さらにクリストフ・ルメールCHRISTOPHE LEMAIRE)2011の春夏コレクションも、レオナール・フジタにインスパイアされたものです。
ジル・サンダー2010春夏のミラノコレクションの模様を見てみましょう。




フランスからレジオン・ドヌール勲章、ベルギーからレオポルド勲章を贈られた藤田は、第二次大戦の戦禍を逃れるため日本へ帰国します。
日本でも戦争が勃発しましたが、そこで与えられた「従軍画家」の仕事をチャンスととらえ、従事します。
海外での生活で日々「日本人」であることを意識していた彼は、少しでも自国に貢献したいと考えていたのです。
彼が描いた戦争画の傑作『アッツ島玉砕』を見てみましょう。


藤田嗣治レオナール・フジタ)『アッツ島玉砕』

不吉な曇天。
人の身体が折りかさなり、埋もれ、犇めき合って、背後の狂瀾と共鳴しながら巨大なうねりを造っています。
決して美化された情景ではありません。
凄惨苛酷で、リアルな情景です。
藤田自身「国のために戦う一兵卒と同じ心境で描いた」と述べている大作です。
ただのドキュメントに終わらないところは、悲壮を悲壮のままに見せて神聖化するキリスト教絵画の様式を踏襲しているからでしょう。
この作品の前で涙を流し、手を合わせる人が絶えなかったという事実は、戦争画を芸術の域にまで高めていることの何よりの証明ではないでしょうか。
当研究所は、戦争画=悪という図式には真っ向から反対します。
我々が見なければならないのは、その作品であり、そこに込められた意味であり、歴史・美術史における文脈なのです。
戦争画を描いた者を弾劾することは、少なくとも同じ日本人にはできないはずです。



藤田嗣治レオナール・フジタ)アトリエの自画像。日本画の筆や和の小道具が並ぶ。

敗戦後、画家の内田巌(残念ながら絵の才能はありません)らは従軍画家の戦争責任を糾弾しはじめます。
ヨーロッパでの成功に対する嫉妬も重なり、戦争協力の中心人物として強い非難にさらされたフジタは、再度フランスへ渡り、そこで帰化します。
二度と日本の地を踏むことはありませんでした。
彼が残した言葉は強烈です。
日本画壇は早く国際水準に到達して下さい」




藤田嗣治レオナール・フジタ)『niña en el parque(公園のニーナ)』

帰化後、カトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタになり、フランス政府からはシュバリエ(ナイト)の称号を贈られます。
日本政府から勲一等瑞宝章を贈られたのは、彼の死後の事です。
彼ほど強く日本を意識していた人はいません。
どれほど排斥されても、日本に対する愛情を持ち続けました。
その手記には日本画に対するリスペクトが何度も示されています。
彼はこう述べています。

「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」
「私はフランスに、どこまでも日本人として完成すべく努力したい。私は世界に日本人として生きたいと願う。それはまた、世界人として日本に生きることにもなるだろうと思う」




藤田の猫の皿の事を検索したらこのサイトに着きました。