riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">長州 と 会津=フクシマ 伊藤博文 そして 改憲・安倍晋三 主権在民を奪うのです。</span>

憲法について考える



この伊藤博文との会話に
議会制民主主義・主権在民の否定 共謀罪 秘密保護 天皇利用、、、、
すべてが盛り込まれている・・・・・

獅子の時代 第49回より

周りのもんが気を使って あなたと合わさせんようにしとったらしいが
余計なことだ
(苅谷嘉顕)
はい

むしろ 私は ねぎらいを言いたかった

どんなことでございますか、

民間の意見は もう 要りません、十分です。

彼らを捕えたのは 長官のご命令ですか?

そうだ。

私は、彼らの前で身分を隠さず 憲法のために
意見を聞かせよと率直に申しました。
そうして集めた意見を逮捕に利用されるのは
極めて遺憾でございます。

すまんと思うとる。
何事も無ければいいがと護衛をつけさせた。

私は、密偵ではございません

私はね、苅谷さん。
ベルリンでグナイスト先生 
ウィーンでスタイン先生に付いて憲法を学んだ

はい

議会というものの実際も見た
日本の憲法がどのようなものであるべきか
およその見当はつけた

はい

しかし、見当をそのまま日本に当てはめる訳にはいかん

はい

日本には 日本の状況というものがある

はい

有能な人にね、日本の言論界の実情をしっかりつかんで貰いたいと思った

はい

あなたの持ってくる資料は
漏らさず つぶさに読んだ

はい

失望したね
民間の意見に失望した
どれもこれも 日本の状況を棚に上げた 理想論ばかり
日本の國民はね 苅谷さん、
まだ、”自由”や”権利”を持つほど
成熟しておらんのだよ。
そんなことを許したら メチャクチャだ・・・・
國中 収集がつかなくなる

政府は 独裁政治をするということでございますか?

いや、、むろん議会はつくる。。。意見も聞く。。。。
しかし、最後の決定権は 議会には やらん。
議会の許しがなければ 何もできんでは
政府は、手も足もでない。
いちいち反対派の顔色を見て動くのでは
国は、どこへ行くのかもわからん。

では、最後の決定権は?

天皇にある。

天皇に、、、、、

むろん、陛下は いちいち判断は お下しにはならん
実質は 政府と官僚に決定権は ある
日本は まだ 國民の意見を聞きながら
政治をする時代ではない。

わたしは、 國民は そのように
愚か者ばかりとは 思いません。

むろん、おれも思う。
しかし、”主権”を國民にやるほど利口だとも思わん。
まだまだ、少数の人材が國を引っ張っていく時代だよ 苅谷さん、、

そのような憲法を 国民会議 が
許しますでしょうか


憲法を承認する 国民会議 です。

恐れ多くも 憲法は 天皇が國民に下し置かれるものです。
承認もヘチマもない。
そんな不平不満を気にしながら
どうして 遠い日本の将来に責任が持てますか
今の日本はね、
たとえ國民の口を封じてでも遮二無二力をつけんといかんのです
異論がありますか?
どうです

私が望んでいた憲法
そのようなものではありません
徳川家を公爵にし 國民の口を封じて独裁するなら
明治維新は 何の意味がありましょうか?
私は、そのような憲法には根底から反対でございます。

なら やめなさい。
私の信念は 変わらない。

いいえ、お考え下さい!
戊辰の戦は 何のためでございましたか?
そのような憲法では 徳川の世と
少しも変わらんでありませんか?

ゆきなさい。
これ以上 私の下にいても無駄というものだ。
ただし、政府の憲法の方針は他言を許さん。
公務の秘密だ。
いいな。
ご苦労だった。

國民は 愚か者ばかりにあらず
もし國民の声を聞かず
政府官僚が独裁独善におちいれば
必ず國は破局に向かう
願わくば 
國民の自由自治を根本とした、、、、

・・・・・・・・・
大河ドラマで1967年(昭和42年)の『三姉妹』以来13年ぶりに、架空の人物が主人公になった。会津藩の下級武士である平沼銑次に菅原文太、薩摩の郷士の苅谷嘉顕に加藤剛が起用された。勝者である薩摩藩の嘉顕と、敗者である会津藩の銑次がそれぞれの生き方を貫いて幕末・明治維新を生き抜く様を描いた。
それまでの大河ドラマとは異なり山田太一によるオリジナル脚本であり、しかも宇崎竜童(ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド)によるロック風のテーマ音楽が使用されるという、極めて斬新な作品だった。最高視聴率26.7%、平均視聴率21.0%と当時の大河ドラマの水準としては高い視聴率ではなかったが、パリ万国博覧会、樺戸監獄、秩父事件自由民権運動など、これまで取り上げられる機会の少なかった出来事が描かれた。
それまでの大河ドラマが中央政権の近くにいる有名武将など傑出した英雄たちのドラマだったのに対し、

本作は地方に生きる草の根の庶民(に近い層)にスポットライトが当てられており、
歴史に翻弄された人々の裏面史と言える内容になっている。

特に、明治維新で“賊軍”の汚名を着た会津藩士の運命を描いている点で、
旧来の英雄譚とは明確に一線を画しており、
後の『琉球の風』や『炎立つ』、『八重の桜』の先駆と言えるものだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そもそも明治憲法は法学で言う憲法には該当しないのさ。

法学では

憲法は、国民を統治者の横暴から守る為に統治者に課する規定
法律は、統治者が統治の為に国民に強制する規定
を定めたものだ。

明治憲法”では

①主権は天皇がもち、天皇の位は血筋によって代々受けつがれる。

立法権・行政権・司法権は、すべて天皇の大権(統治権)に属する。

天皇は陸軍・海軍の大元帥として、軍隊・軍備・戦争など軍事に関することを決める権限(軍事権)をもつ。

天皇は議会を通さずに、一定の範囲で法律を定めたり、予算を決めたりできる。

天皇は議会を通さずに、条約を結ぶ、戦争を始める、戦争をやめる、戒厳令(非常事態の時に軍隊を出動させる権限)を発する、勲章をあたえるなどを行うことができる。

とあり、天皇が絶対権力を持っていたわけだから、憲法としての基礎的要件を満たしていないのさ。

内閣や内閣総理大臣に関する規定は、憲法典ではなく内閣官制に定められた。内閣総理大臣は、国務大臣の首班ではあるものの対等な地位とされ、国務大臣(各省大臣)に対する指揮監督権や任免権もないため、明文上の権限は強くない。

しかし、内閣総理大臣は機務奏宣権(天皇に裁可を求める奏請権と天皇の裁可を宣下する権限)と国務大臣の奏薦権(天皇に任命を奏請する権限)を有したため、うまく天皇のご機嫌を取れれば実質的な権限は大きかった。
逆に言えば、天皇の意志に反したら、内閣総理大臣でも何もできなかった。

統帥権は、慣習法的に軍令機関(陸軍参謀本部・海軍軍令部)の専権とされ、陸海軍は政府の指示に従う必要は無かったので、内閣や内閣総理大臣の決定を無視した行動を取ってもよかった。 即ち、天皇が命令しすれば開戦でも虐殺でも何でも天皇の思い通りにできた。を有したため、実質的な権限は大きかった。


転載元: 情報収集中&放電中