riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">玉三郎御園座舞踊公演</span>





玉三郎丈が御園座に出られるのは何年ぶりでしょうか。


覚えているのは95年頃の鷺娘。これを見て海外のオペラにも負けないと思いまさに追っかけ状態(苦笑)

その頃はオぺラに凝っていてウィーンでも見た直後だったので。

たった一日のみの公演なので当然、完売。

美しい着物姿の女性が多かった。男性の着物姿もみられました。



演目は短い舞踊。

凝縮された玉三郎丈の世界です。


一、雪(ゆき)

二、葵の上(あおいのうえ)

三、鐘ヶ岬(かねがみさき)

雪  武原はんの生涯の代表作として有名な地唄舞


舞台に白の着物、白地の絹張りの傘をさした女、ゆっくりとした動きです。
ゆっくりってかえって難しいですね。

花も雪も 払へば清き袂かな
ほんに昔のむかしのことよ
わが待つ人も我を待ちけん
鴛鴦の雄鳥にもの思ひ
羽の凍る衾に鳴く音もさぞな
さなきだに心も遠き夜半の鐘
聞くも淋しきひとり寝の
枕に響く霰の音も
もしやといつそせきかねて
落つる涙のつららより
つらき命は惜しからねども
恋しき人は罪深く
思はぬことのかなしさに
捨てた憂き 捨てた憂き世の山葛

地唄舞 [編集]地歌「ゆき」に、後世舞を振り付けしたもの。男に捨てられ出家した芸妓が、雪の降る夜の一人寝に、浮世を思い出し涙する、という内容の艶物(つやもの)。大坂新地の芸妓ソセキが男に捨てられたのを慰めるためにつくったとも、ソセキが出家したという事件に取材したともいわれる。

武原はんの生涯の代表作として有名で、上方舞の曲目としてひろく知られるようになった白の着物に、白地の絹張りの傘、という演出方法も彼女が広めたものである(御高祖頭巾をかぶった尼の姿で演じられることもある)。独特の叙情的な色気のあふれる彼女の舞は、地歌になじみのうすい東京で「雪」の名を大いに高めた。日本画家・小倉遊亀は武原はんをモデルにした「雪」という絵を描いている。

「葵」

源氏物語の第九帖「葵」より取材した謡曲「葵上」から取られた「本行物」で、奥許しの曲として大切に舞われています。同じ奥許しの本行物でも「鉄輪」では、市井の女性の妬心が直情的に描かれているのに対して
、「葵の上」では位の高い女性であるがゆえの「六条御息所」の苦悩や、今は衰えた我が身への嘆きが切々と詠われています。車争いで敗れた「六条御息所」は生霊となり光源氏の正妻「葵上」の寝所に現れ「葵上」を苦しめますが、二枚扇で光源氏との恋を比翼の蝶になぞらえるクドキが座敷舞としてのこの作品を優れたものにしています。
道成寺』の歌詞、「鐘に恨みは数々ござる」からはじまり、「思いそめたが縁じゃえ」までで終わり、その後を割愛する場合が多くあります。

鐘ヶ岬

冒頭は鐘への恨みを捨てて、平静な心で、真如の月を眺めるという心境を、能をとりいれた舞で、ゆったりと舞います。

「言わず語らぬわが心」からくだけて、女心の変化を表現していきます。

移り気な男心を責めながら、「都育ちは蓮葉なものじゃえ」で、遊女の色恋と比べて踊ります。



■宝暦九年(1759)大阪は中山座初演の『九州釣鐘岬』から伝わっている

■上演時間:およそ18分


カーテンコールは三回だったか、玉三郎丈の優雅なお辞儀。

最後には微笑、お疲れ様です。すぐ南座公演ですが。

玉三郎の舞台はまったく別世界、聖なる世界に見えます。

見逃したテレビ出演
まっぴら御免なすってさん
今回の、東日本大地震、被災をされた方に
心からお見舞い申し上げます。(頭を下げられて)

また直接、被災をされなかった方でも
関係者の方に、心を痛めていらっしゃることと思います。

わたくしも、これからいろんな公演で
義援金を集めたいと思っています。

いま、震災があってから数週間、
何をしていいかわからない状態でいますけれども
少しでも落ち着いたら訪問をして
心の問題を何とか、前向きになれるようにと
自分の仕事を通じて、していきたいと思っています。
LOVE FOR NIPPON
(唇をかむ「V」の素晴らしい発音でした