<span itemprop="headline">「原発被曝」と「一人の声が世界を変えた!」</span>
伊藤千尋さんの「一人の声が世界を変えた!」新日本出版社 本体\1,500
無数の一人の声が世界を変えた。それに続くのは私たち! ピノチェトの独裁を退けたチリの人々、ドイモイで発展するベトナム、チェコのビロード革命 社会変革の歴史にはいつでも一人一人の「この世界を変えたい」という意思と行動があった。世界68カ国をめぐる記者がしるした熱き闘いのルポ!
偉大なベトナム女性の話も出てきます。
ドイツでは今や、原発を廃止するのは既定路線であり、論争は「いつまでに廃止するか」に移っています。福島の事故で、保守派の政党も「反原発」に路線を転換しました。全政党が「迅速に廃止する」路線になったのです。
原発政策でドイツと日本の違いについて、彼は日本の電力事業の構造的な問題を指摘しました。それは「電力会社に発電と送電が独占されている」ことです。「電力の開放、自由化が必要」と彼は主張します。
実は電力事業で、日本と世界の大きな違いがあります。発電会社と送電会社は別であるのが世界の常識ですが、日本は同じ会社が両方をやっています。日本も戦前は別だったのですが、戦時中に統合され、戦後もそのままなのです。独占企業だから思うままにやれるし、後ろに国がついているから殿様商売だった。好き勝手に電気の値段を決めたし、電力会社の社長の方が知事より偉いといわれました。
この構図を改めて、発電と送電を世界の常識に合わせて分離すれば、消費者は自分が使う電力を選べるようになります。
平和目的の「夢のエネルギー」、原子力発電が鳴り物入りで現れた。しかし‥
ささいな電気系統の故障や配管の亀裂や単純な設計ミスが、巨大な戦争にも匹敵するほどの壊滅的な打撃をもたらすようなものは、現在地上には原発と核施設以外には存在していない。
同時に「一人の声が世界を変えた!」で「科学が発展すれば、人間穂より幸福になる」という考えが粉々にうち砕かれると供に、人類が将来にわたって生存し続けることは無理かもしれないという考えに拍車がかかった。
99年、茨城県東海村の各施設での臨海事故が日本を震撼させた。
これはチェルノブイリ事故後、世界で発生したもっとも重大な核事故だった。
事故直後から政府の対応はお粗末きわまりなく、人々の健康への不安はいやがうえにも高まった。
政府は安全を繰り返すばかりだったが、その間に多くの人が被曝し、‥人々は健康への言葉にならない不安を抱き、トラウマにも立ち向かわなければならなかった
チェルノブイリ事故の放射能の大部分は、森が吸収したと聞いたことがある。
しかし森が持ちこたえられなくなって真っ赤に変色し、‥
チェルノブイリ事故の時消火に駆けつけた消防士の妻は、放射能でぼろぼろに剥離していく夫の体を抱きしめ、看病し続けた。
彼女が生んだ赤ちゃんはすぐ死亡した。赤ちゃんが私の身代わりに。私が赤ちゃんを殺したんだと自責の念ばかりがつのった。
井上ひさしの「父と暮らせば」にも出てきた。
責任者が知らぬ顔で罪のない人たちが自分を責める!
チェルノブイリで生き延びた少女たちが大人になり結婚しても妊娠できなかった!