<span itemprop="headline">ファルネジアーニ庭園からフォロ・ロマーノへ</span>
アレッサンドロ・ファルネーゼはイタリアの枢機卿及び外交官。ローマ教皇パウルス3世(俗名アレッサンドロ・ファルネーゼ)の孫であり、初代パルマ公ピエール・ルイージ・ファルネーゼの長男。第2代パルマ公オッターヴィオの兄。
wikiより
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ローマでは「文化週間」というのがあり年に1、2回様々な遺跡や美術館無料だそうです。
イタリアはきちんと「予定」たてないので数週間前(あるいは数日前)にならないと日時が発表にならないそうです(笑)
イタリアはきちんと「予定」たてないので数週間前(あるいは数日前)にならないと日時が発表にならないそうです(笑)
パラティーノの丘は伝説のローマ創建の地。ロンリープラネットより
共和制の時代にはローマの富裕層がここに住み、その後は皇帝たちの所領となった。
フォロ・ロマーノもパラティーノの丘の神殿や宮殿も廃墟と化し中世にはこの廃墟の上に教会や城が立てられた。
ルネサンス時代には、富裕階級が庭園を作った。
この下にも遺跡
ローマ・ファルネーゼ庭園から来た道の遺跡を望む。
ファルネーゼ家(Farnese)は、イタリアの貴族の家系。ローマ教皇、枢機卿、パルマ公などを輩出したことで知られる。
トスカーナ出身のアレッサンドロ・ファルネーゼが教皇(パウルス3世、在位:1534年 - 1549年)に即位したことで勢力を伸ばした。
パウルス3世はパルマとピアチェンツァを教皇領から切り離し、1545年、ピエール・ルイージが初代パルマ公になり、その後1731年まで、ファルネーゼ家がパルマ公を継いだ。
ローマにアントニオ・ダ・サンガッロ、ミケランジェロが設計したファルネーゼ宮(1515年-建設、現フランス大使館)がある。
遺跡に咲く花たち。
ファルネーゼ庭園
カンカン照りのフォロ・ロマーノまで降りていくと大勢の観光客!
日本人にも会いました。
広大な遺跡群の中は水を売るところもありませんからご注意。