riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">朝香邸思い出す岡崎本多邸2</span>

 
 
 
二階のバスルーム、一階のブドウ柄のステンドのバスルームは前回upしました。
 

ステンドもタイルも可愛い~
 
 

 
 
廊下のステンド、洋館外観も内部もピカピカで復元とは思えません。
 

 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
魚のステンドは2階、下の画像のバスルームは一回にあります。
 
右は玄関横にある壁泉
 

 
1階バスルーム羊の湯口、下の小さいプールにお湯が集まったら
下のバスタブに流れます。
 

 
二階のティールーム、確か主人自ら紅茶など入れた?
 

寝室のキャビネット
 

 
旧朝香邸の書斎に似ています。
 

 
本多邸
 木造2階建て(一部鉄骨)で建築面積356平方メートル、延べ床面積522平方メートル。敷地面積は2280平方メートルだが、移築前の東京・世田谷区野沢の敷地面積は当初、はるかに広い約7100平方メートルあったという。

 施主の本多忠次(1896-1999)は徳川家康を支えた徳川四天王の一人本多忠勝の末孫になる。本多家は上総や播磨など各地の大名となったが、江戸時代中期から明治維新までの約100年間、16代忠直(ただなお)まで岡崎城主として当地を治めた。忠次は18代分家にあたる。

 1932(昭和7)年、世田谷・野沢に邸宅を完成。専門的な建築設計を学んでいなかった忠次だが、西欧建築に造詣が深く多くの資料を集めて基本設計を指示したとされる。昭和初期の上流階級の住宅建築に好んで用いられたスパニッシュ様式に、中世のイギリスで好まれたチューダー様式を取り入れた。インテリアや家具なども、当時流行していたアール・デコ調のモダンなものが置かれる。
 
 戦後連合国軍総司令部GHQ)に接収されたが、忠次の希望で解体されるまで建築当初のまま残されていた。このほど、ゆかりの深い岡崎市に、邸宅に使われていた建築部材、家具、調度品など一式を寄付する申し出が遺族からあったことで移築・復元が実現した。
 


 
二階の和室