riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">オース!バタヤンと戦死やあわれ</span>

 
昨日この映画と陸軍登戸研究所、2本のドキュメント映画を続けて観ました。
バタヤンが名古屋生まれということも知らず、勿論私でも世代が違うのでファンではないのですが新聞に戦死やあわれ、兵隊の死ぬるやあわれ/竹内浩三の詩を歌ったと絶賛されていたので。ちょうど同じ映画館で上映、これは短いのですが陸軍登戸研究所は180分!でもついでに観た登戸、これは大変良かったです。次回に。
 
 

 
骨のうたう          竹内浩三  
                           

戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった

ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまう
その心や


 
 
 
戦前から活躍し、「バタヤン」の愛称で親しまれている歌手・田端義夫のドキュメンタリー。2006年4月、90歳を目前にした田端は、少年時代を過ごした第2の故郷ともいえる大阪・鶴橋の小学校で、「田端義夫オンステージ」を開き、会場の体育館には全国各地からバタヤンファンが集まった。「かえり舟」「島育ち」といった時代を彩るヒット曲を、50年以上愛用しているおなじみのギターで歌う田端の姿をはじめ、菅原都々子、白木みのる立川談志寺内タケシ小室等千昌夫らへのインタビューや、田端の家族、マネージャー、ファンの肉声も収め、大スター・田端義夫の姿をさまざまな角度から描く。
 
バタヤンは10人兄弟、早く父親が亡くなりとても苦労されました。
でも兵役には取られませんでした。トラコーマ、栄養失調?で片方の目が見えなかったから。
学校に弁当も持っていけず、家賃も払えなかったので何回も夜逃げ。
 
お若い時はハンサム、さぞもてたことでしょう。
ギター弾きたくても買えるわけなく、拾った板をギターの形にくりぬいて!
 
デビューして後も、1950年に買ったエレキギターの原型のようなギターを使い続け、ギターはボロボロ、すり減っていたり、汗の塩がこびりついたり。
ギターの持ち方も独特。
美しいお嬢さんさんが弾いて見せてくれました。父親のせいで男性不信になったと。
 
小室等が弾いたら、すごく綺麗な音色でびっくり、小室さんも良いギターとおしゃっていましたが映画の中で第二の故郷大阪鶴橋小学校体育館のコンサートではもう92?のお年で御声もギターの音も…。でも凄い、最後まで現役、だれでも羨ましく思うでしょう。
 
映画に佐高信まで出てきたのでびっくり「人生の塩味を味わいつくした」バタヤン
 
山城 新伍の姿も懐かしい。
4月25日に94歳で逝去した歌手・田端義夫のドキュメンタリー『オース!バタヤン』が、5月18日から東京・テアトル新宿、6月1日から大阪・テアトル梅田で上映される。
「バタヤン」の愛称で親しまれ、1939年に発表したデビュー曲“島の船唄”がヒットしたことでスター街道を駆け上がり、その後も“かえり船”“島育ち”“十九の春”などの数々のヒット曲を生みだした田端。ギターを弾きながら歌うスタイルを確立したことや、エレキギターを水平に抱えて「オース!」と右手を上げるポーズで知られ、2006年には50年以上使い続けてきたギターを手にライブでヒット曲を熱唱するなど、生涯現役を貫いた。
田端の生前から製作されていた『オース!バタヤン』では、2006年に大阪・大阪市立鶴橋小学校の体育館で行われたライブの模様をはじめ、栄養失調で片目を失明を失うほどのどん底の貧乏生活、戦時中に遭遇した3度の空襲の中を生き延びたエピソードから、田端の波乱万丈な人生を振り返る。また、立川談志、菅原都々子、白木みのる寺内タケシ小室等千昌夫などへのインタビューも盛り込まれており、田端を見守った家族やマネージャー、ファンにもマイクが向けられている。