<span itemprop="headline">ジャングル・ブックの作者キプリングが暮らした邸宅ベイトマンズ</span>
偶然見つけて開園まで少し待ちました。ナショナルトラストです。
昨日「天空の蜂」観てきました。つっ込みどころはたくさんありましすが原発を題材に、人間の愚かさを描き、飽きさせません。
でも名古屋弁は酷かった(苦笑)
今朝のBS街歩きアムステルダム観ていてデルフトブルーが出てきました。
私もフェルメールが観たくて英仏の旅に急遽オランダを追加したことがあります。
アムステルダムから列車に乗ってデルフトへ、
デルフト焼がほしくても一人旅で
そのあと英仏庭めぐりしたので何も買えませんでした。
アムステルダムの窓←2009年の記事です
ベイトマンズの入り口です。
ちらっとポタジェ(キッチンガーデン)がのぞいてます。
なぜこんなに高い柵?
ここはお孫さん連れたご夫婦が来園、
帰える頃には欧米系の団体が来たので有名なのかなと(苦笑)
この数日は東洋人は観ていませんでした。
キプリングが英国人として初めてノーベル文学賞を史上最年少(41歳)で受賞したのは、このベイトマンズで暮らし始めて5年後のことで、邸宅の庭園はノーベル賞受賞で得た賞金から7700ポンドを費やして造ったものだそうです。また、ノーベル賞受賞の年に発表した作品『プークが丘の妖精パック』は、この邸宅から見えるプークが丘(Pook's Hill)をモデルに描かれたとのこと。
キプリングが英国人として初めてノーベル文学賞を史上最年少(41歳)で受賞したのは、このベイトマンズで暮らし始めて5年後のことで、邸宅の庭園はノーベル賞受賞で得た賞金から7700ポンドを費やして造ったものだそうです。また、ノーベル賞受賞の年に発表した作品『プークが丘の妖精パック』は、この邸宅から見えるプークが丘(Pook's Hill)をモデルに描かれたとのこと。
バラ園こえるとカフェがありました。
この奥に驚くべきフォーマルなガーデンが隠れてます。
追記
英領インドのボンベイに、父ジョン・ロックウッド・キプリング、母アリス・キプリングの間に生まれる[12]。アリス (旧姓マクドナルド、ビクトリア朝時代の有名な「マクドナルド4姉妹」のうちの一人[13]) は快活な人柄で[14]、「同じ部屋にいると決して退屈しない」女性だったという[1]。ロックウッドは彫刻と陶器のデザイナーで、当時ボンベイに設立されたJamsetjee Jeejeebhoy卿の芸術・産業学校において建築彫刻の教授で主任だった[14]。
バーニス・M.マーフィーによると、キプリングの両親は彼ら自身をアングロ・インディアン (イギリスで生まれインドで暮らした人々を指す19世紀の用語) と考えており、彼らの息子も同様と考えたが、実際には彼の人生の多くは他の土地で費やされた。そしてアイデンティティと国への忠誠心の複雑な問題が、キプリングの作品を特徴づけるようになる[17]。キプリング自身もこの矛盾について「午睡をとる前に乳母か現地人の使用人が、伝えられている物語やインドの童謡を語ってくれて、正装してダイニングで過ごす時になると「パパとママには英語を話すのよ」と注意されるのだった。つまり、かたや現地語で考え、夢を見て、かたやそこから翻訳しながら英語で話すのだった。」と書いている