riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">念願の重森三玲庭園美術館へ</span>




今回の京都で最後に行ったのが東福寺の庭で有名な重森三玲の旧宅です。京大、吉田神社の近くです。
泉涌寺から意外に早く行けたので(清水あたりで混むことがあるので)吉田神社に参拝。隣に可愛い幼稚園があります。神社の坂道の横です。
大きな船の遊具が可愛い
庭園美術館になっていて電話で予約しました。人数制限あり。
ここに違いないと待ちました。まだこの門が閉まってました。

途中で一緒になった男性がもそもそとあっちへ行けというのでぐるぐる回りましたが他に入り口もなく…いけず?
まだ時間あるからここで待てと言えばいいのに。



入り口に写真撮るなとか難しいことが書いてあるので気分を害したのか運転で疲れているのか、夫は車で待つといって入りませんでした。
せっかく2人分予約したのに。撮影は出来たのに。

自転車を美術館の壁に持たせかけていた人はすぐさま叱られてました。
これは当たり前ですけど。
廊下も一枚板なので大事にされてます。色々注意があります。




市松模様は江戸時代の歌舞伎役者の着物の柄として有名ですが、古墳時代にもう有ったそうです
↑は独学で
日本庭園を学んだ三玲の東福寺の方丈庭園です。




日本美術学校日本画を学び、いけばな茶道を習い稽古に励む
大正6年(1917年)に画家の道を志し上京するが、全国から集まる才能に意気消沈する。昭和4年(1929年)京都へ移り住むと、翌年には勅使河原蒼風らと「新興いけばな宣言」を起草(当時は未発表)、いけばなの革新を世に提唱した。
その後は日本庭園を独学で学ぶ。昭和11年(1936年)より全国の庭園を実測調査し、全国500箇所にさまざまな時代の名庭実測、古庭園の調査などにより、研究家として日本庭園史のさきがけとなっていく。
昭和14年(1939年)、『日本庭園史図鑑』26巻を上梓して庭園史研究の基礎を築き、また昭和51年(1976年)には息子の重森完途と共に『日本庭園史大系』全33巻(別巻2巻)を完成させるなど庭園史研究家としても多大な功績を残した。
三玲が作庭した庭は、力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される枯山水庭園が特徴的であるとされ、代表作に、東福寺方丈庭園、光明院庭園、瑞峯院庭園、松尾大社庭園などがある。

↓からは又庭園美術館です。








ちょうど雨が降り出し、かえって石が美しく見えると言われました。














大胆、モダンですね。ここは別料金です。



ここは新しい感じ~テラコッタの西洋的な雰囲気もします。