riboni5235’s diary

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<span itemprop="headline"> 「ひめゆり」と「GAMA 月桃の花」</span>



 沖縄戦集結50周年記念映画「GAMA 月桃の花」はKUMAさんの特別な一作。私も沖縄の一般人の貴重な映画だと思う。監督は「日本の青い空」の大澤豊。


 「ひめゆり」は何回も映画化されている。今井正監督の作品はまだ資料もなく沖縄ロケもできなかったなかで作られたのによく出来ているとドキュメンタリー映画の監督柴田昌平は言う。今井監督の「ひめゆりの塔」に主演した香川京子さんと行き来しているひめゆりの方がいるそうだ。

 生存者のうちの20人の方が証言できなかったという。なぜか。

 15歳から19歳だったひめゆり学徒隊は、沖縄県師範学校女子部と県立第一高等女学校合同の従軍看護隊の通称で、その部隊名は両校のシンボル白百合と乙姫から取られた。合計322名、そのうち211名が亡くなった。

 彼女たちの多くはまず陸軍病院に配置された。手術で切断した片足を抱えて「塵箱」に捨てに行ったところ、彼女たちは何も感じていなかったのにそれを見た兵隊たちの方がその姿の凄まじさに声を上げて驚いたという。勿論初めからそうだったわけではない。東京大空襲でも広島、長崎でもそう聞く。あまりの酷い死体の山に何も感じなくなってしまうのだ。

 1945年5月に首里が陥落、南風原の陸軍病院も南部に撤退、移転先の地下壕の入り口に爆弾が直撃し犠牲も急増、生き残こるのが不思議になる。壕の中はこの世のものとは思えないくらい凄惨な場に。先ほどまで元気だった人の手足も頭も亡くなり、内臓が飛び出し脳が飛び散って息絶えている。遺体はすぐ腐敗しウジがわいてくる。

 6月20日すぎにひめゆりは「解散」。解散命じられても行く場所はない。それでも戦場に放り出されてしまう。ひめゆりだけでなく一般人の犠牲は6月後半にピークに達すると言う。20万か30万の一般人が避難していた南部のガマに日本軍が移動してきて住民を戦場に追い出したからである。

 沖縄には自然の洞窟ガマがある。そこに住民が逃げ込んでいた。私が見学したガマは天井も高く大きかった。案内してくれた人が懐中電灯消すともう真っ暗、何も見えない。そんな中で赤ん坊が泣けば米軍に見つかる。黙らせろと軍人に命令される。泣きやまなければ殺せと命令される。沖縄戦は本土の捨て石となり地上戦となった。降伏は出来ない。スパイ扱いされる。方言も駄目。

 日本軍は降伏の仕方をしらない。自決しか道はない。捕虜になるのは最大の恥と叩き込まれた。非国民となり親戚もつまはじきになる。コレを民間人にも強要した。女は襲われて切り刻まれると。だから愛する家族を自分の手にかけること
を強いられた。こんな辛い体験はなかなか話すことは出来ない。

 映画「GAMA…」はこんな状況を描いている。「君にこそ死ににいく」なんて甘いものではない。食物も水もなく無残ななきがらと同居し逃げ惑うのだ。想像して欲しい。これらの映画も見て、辛い思いをのり超えて証言された方の声を聞いて欲しい。誰も教えてくれないなんてことはない。教える教師も本も映像もある。あなた自身のことだから。

 「GMMA…」の主演、朝霧舞は宝塚出身      07.8