<span itemprop="headline">母べえ</span>
映画が終わり帰りのエレベータの中でも泣けてきて困った「母べえ」
戸田恵子と吉永小百合の最後のせりふが大事な人を奪われた怒りを表していますね。どんなに辛く悲しい日々だったでしょう。
あの時代、教師になるのは、「聖戦」「神風が吹いて絶対勝つ」などうそも言って子供たちを戦争に駆り立てないことには勤まらない。満州にも送り込まなければならない。そこは映画には出てこないけれど。
今も君が代、日の丸を強制させられるなんて。
世界的に悪法の治安維持法http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%A3%B0%C2%B0%DD%BB%FD%CB%A1でドイツ文学者の父が検挙される。
土足で踏み込み大事な本などを証拠として持っていく。
子供の前でまるで泥棒でもしたかのように縄をかける。
なかなか面会を許さない。
やっと面会でき着替えを手伝う母べえ。もうここから泣けてしまいます。
拷問したり不衛生な状態にとどめ、人間の尊厳を奪う官憲。
今、盗聴法や国民総背番号制、個人情報保護法などでこれは他人事でない。
「はだしのゲン」のお父さんも非国民と迫害された。
日本国憲法の草案制定した鈴木安蔵は治安維持法第1号で検挙された。
幸い、生き延びてくれた。
この悪法は心の中で戦争は嫌だと思うだけでも罪になるのだ。
権力側には大変都合の良い法だ。
この悪法の改悪に反対した山本宣治
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%AE%A3%E6%B2%BBは1929年3月5日、衆議院で反対討論を行う予定だったが、与党立憲政友会の動議により強行採決され、討論できないまま可決された。その夜、右翼団体である「七生義団」の黒田保久二に刺殺された。
子は男女2人ずついたが遺族は第二次世界大戦敗戦まで警察の干渉に悩まされた。墓碑についてはこれは墓ではなく記念碑であるとして記念碑建立の手続きをさせ、数年間許可を出そうとしなかった。碑文(#人物像参照)についても文句を付けられ、セメントで塗り潰すよう命じられた。また、長男は三高と早稲田を受験したが、「自分の信念を突進んで大衆のために死んだ」父を尊敬していると面接で述べたところ、いずれも落とされてしまった(その後関西学院に入学した)。
ここまで権力は目覚めた人を恐れ執拗に追い込むのか。
帝国議会での治安維持法改悪反対を訴える「実に今や階級的立場を守るものはただ一人だ、山宣独り孤塁を守る! だが僕は淋しくない、背後には多くの大衆が支持しているから……(「背後には多数の同志が……」とするものもある)」という全国農民組合大会での演説の一節は、あまりにも有名で彼の碑銘でもある
彼の生涯を描いた映画「武器なき斗い」(山本薩夫監督)がある。
母べえは魅力ある女性なので応援者が現れる。
子供たちは胡散臭いおじさん(笑福亭鶴瓶)を敬遠するが母べえはこの人のいい所がわかっていたのだ。
「贅沢は敵だ」「パーマネントはやめましょう」「お袖を切って下さい」と庶民が庶民を縛る時代に「贅沢は素敵だ」と言う。
この言葉は有名。
世話になったおじさんは金の指環を渡して
「供出するな。そんなことしたら偉いやつらの懐にはいるだけだ」と。
その頃、貴金属を武器にかえるためにと供出させたのだ。
食料や飼い犬も供出。犬の毛皮を兵隊に。
反対に近所のおばさんが「連戦連勝」の報に浮かれている様を描写していた。
もうだまされて戦争のお先棒担いではならない。
庶民の幸せなんて吹っ飛んで木っ端微塵にされてしまう。
佐藤しのぶのソプラノで幕。
goo映画より
日中戦争が泥沼化しつつある頃。野上家では、ドイツ文学者の夫・滋と妻・佳代、そしてしっかり者の長女・初子と天真爛漫な次女・照美の4人が貧しくも明るく暮らしていた。お互いを「父べえ」「母べえ」「初べえ」「照べえ」と呼び合う仲睦まじい家族だったが、昭和15年2月、滋が治安維持法違反で検挙されてから苦難の日々が始まった。そんな折、滋の教え子・山崎徹が訪ねてくる。それ以降、徹は一家の手助けをするのだった…。