riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々</span>




録画していたマルク・ローテムント 監督『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』(2005)を一気に鑑賞した。緊迫の取調べの対決シーン、ゾフィー・ショルの美しい映像、激情する判事、兄、同士との処刑寸前のタバコのシーン、残酷な処刑シーンに釘ずけとなった。

ずいぶん前に観た 『白バラは死なず』 1982年ドイツ映画賞 で銀賞を受賞作も感動したのだがもう一度観たくなった。

劇団民藝の「白バラの祈り」も未見。

民藝の「アンネの日記」を見たことがある。

「ドイツはもう負ける。レニングラードでは、酷い惨敗だ」という真実を告発したビラをまいた兄妹。

この現代の日本でも反戦ビラを入れて逮捕・有罪。ナチス並みではないか。

たった5日間の審理、裁判で死刑宣告。99日の猶予があるはずなのに即日ギロチンで処刑!


日本の絞首刑もなかなか死ねず惨いらしいです。冤罪だったら取り返しつかない!

ヒステリックな革命裁判の裁判長に ゾフィーが「この戦争はドイツの恥だ。今度、裁かれるのはあなたの方だ」という。この裁判長は2295人を処刑、1945 年2月3日、ベルリンの爆撃で死亡したそうです。ヒットラーが自殺するのは、その年の4月。5月にはドイツは無条件降伏。日本も同年、8月15日敗戦。

ぬるい映画ばかり作っていないでこういう映画を日本でももっと観たい。



以下は引用です。どこで頂いたのか分からなくなってしまいました。ごめんなさい。

「1943年にミュンヘン大学を中心に行われたナチスへの抵抗運動「白バラ」の、三度目の映画化。だが、今回の映画には特別な意義がある。1990年代に、旧東独地区に保管されていたゲシュタポによるゾフィーの尋問調書、関連の捜査・逮捕記録、そしてゾフィーの処刑記録などが公開されたために、ゾフィー・ショルの最期をめぐる真実が明らかになったからだ。その文書にもとづき、ハンス・ショル(ミュンヘン大学医学部学生、25歳)と、その妹ゾフィー・ショル (同・哲学科学生、21歳)の逮捕(43年2月18日)から、取調べ、22日の裁判と即刻処刑までの、わずか5日間をできる限り忠実に再現した。

2時間の映像の大半は、尋問官モーアがゾフィーを取り調べるシーンで、机を挟んだ二人の遣り取りと、その表情がアップされるだけである。だがそれは、人間と人間の生死を賭けた死闘であり、氷のような視線を向けて迫る尋問官モーアと、その視線を真正面から見据えて抵抗するゾフィーの顔とに、我々は完全に圧倒されてしまう。この映画は、ドライアーの『裁かるるジャンヌ』や、ブレッソンの『ジャンヌ・ダルク裁判』に連なる名作といえるだろう。どちらも詳細な裁判記録をもとに、ジャンヌと審問官の顔のアップだけから成る映像である。尋問や裁判記録から分かるのは、聖女でも英雄でもないジャンヌやゾフィーが、与えられた運命の中で最善を尽くそうとして抗う姿であり、苦悩の中でも最後まで誇りを失わないことである。

女子学生ゾフィーは、大学構内での兄のビラ撒きを手伝ったために不運にも逮捕される。従来の通説では、ゾフィーは仲間の逮捕を免れさせるために「自分がやった」と最初から罪を認めたとされていたが、尋問調書の発見によって、そうでないことが明らかになった。彼女はきわめて冷静に、尋問官モーアの質問をかわしながら嘘のアリバイを理路整然と語り、モーアはそれに騙されて、彼女は釈放されるところだった。だが釈放直前に、家宅捜査による証拠品押収によって、嘘がばれてしまった。モーアは、捜査結果のデータおよび他人の自白を、最初は伏せつつ絶妙なタイミングで繰り出し、ついに彼女を自白に追い込む。そしてゾフィーは、自分の行為を自白した後は、仲間が助かるように最善の答弁を工夫する。

貧乏な仕立て屋の生れだが、ゲシュタポの有能な尋問官であったモーアが、恵まれた家庭に育ったエリートである女子学生ゾフィーを批判する政治問答、世界観問答も凄い。英米自由主義ではなくナチス国家社会主義こそドイツを救うと考えるモーアは、「法」の支配を強調するが、リベラルな家庭に育ったゾフィーは人間の「良心」を強調する。この問答は調書にあるらしい。そしてモーアは、ゾフィーが自分の間違いを認めれば、「兄を手伝っただけ」と認定して救うことも可能だと提案する。これはモーアが戦後語ったことだが、調書の発見によって傍証された。つまり、尋問官モーアはゾフィーの態度に深く影響されて、彼女を救おうと試みたのだ。これはジャンヌ裁判のときの、ある審問官と似ている。しかしゾフィーは、その申し出を断り、自分の正しさを主張したまま、調書に署名した。

モーアや他人の前では絶対に涙を見せず、冷静に振舞うゾフィーも、死を前に苦悩の表情を見せる。事実を基に作られた映画だが、監督によれば、ゾフィーが一人だけになった二箇所のシーンは創作だという。一つは、自白に追い込まれて打ちのめされ、トイレを我慢して顔面蒼白になったゾフィーが、トイレの鏡に自分の顔を見て流すほんの僅かな涙。もう一つは、処刑直前に一人だけになった時、死の恐怖にさらされた彼女が、自分の下腹を両手でぐっと押さえて動物のような唸り声を上げるシーン。監獄の同室の女性にも、周囲の人々にも、一貫して気配りの優しさを忘れなかったゾフィーの、本当の苦しみがある。

「白バラ」運動を非常に恐れたナチスは、狂信的な有名判事ローラント・フライスラーがベルリンから飛行機で駆けつけ、22日にミュンヘンで裁判を開く。この裁判は、傍聴者の証言も残る有名なものだが、その再現はこの映画の価値を高めている。そして、法が99日の猶予を定めているにもかかわらず、当日5時に即決処刑。驚くべきことに、「処刑室のカーテンが開いてからゾフィーが斬首されるまで8秒」という文書が残されている。時計で計って記録するという官僚主義。二人の看守がベッドのような台にゾフィーを押し倒し、頭を所定位置に置いた途端に刃が落下。一切の感傷の余地のない一瞬の出来事でもって、映画は終わる。」