<span itemprop="headline">トランクの中の日本</span>
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友人がビデオ送ってくれました。
NHKスペシャル「解かれた封印」です。
彼女が以前、熱心に復刻を願っていたオダネルの「トランクの中の日本」のドキュメントです。
原爆投下後に原爆の破壊力を記録する職務で長崎を歩いたオダネル。
アメリカでは原爆投下は正当化されている。早く戦争を終わらせたと。
日本の真珠湾攻撃で復讐を誓い、海兵隊に入ったオダネルが観たものは…
一番有名な写真が火葬場で直立している少年、
彼は歯を食いしばり血を滲ませながら背中に死んだ幼児をおぶっていた。
弟を焼く順番を待っていたのだ。
この少年を後に探し続けたたが不明。
背中に大やけど受けた少年とは後に再会して日本中を謝罪した。
親を亡くして自分が幼いのにさらに小さな兄弟の面倒を見ていた子供。
リンゴをやるとすべて食べてしまう飢えた子供たち。
写真はモノクロで臭気もしないが戦場を知る人はそのひどい臭いが忘れられないという。
晴れ着を着ているが爆風で耳が聞こえなくなった少女。
こんな戦争を終わらせるために子供や母を殺す必要があったのか。
帰国後、精神をさいなまれたオダネル。
日本人を撮影するのは禁止されていたが密かに写真を持ち帰り、悲惨な光景の記憶とともに屋根裏部屋のトランクの中に封印した。43年後、トランクを開けさせたきっかけは…
背中の痛み、変形、皮膚がんで25回もの手術を受けた。原爆の爆心地に派遣したのに兵には何の説明もなかった。
これはベトナム戦争の枯葉剤、イラクの劣化ウラン、みな同じ。
オダネルは政府に保障を求めたが却下された。
偶然入った修道院で反核運動の彫像にあう。
その彫像には全身に罪のない被爆者の写真が張られていた。
何かをしなければ痛烈に感じてトランクを開けた。
各地の写真展は断られ、35の出版社にも、スミソニアンの展示も断られた。
オダネルを非難する投書も多く家庭は崩壊、妻は離婚を求めた。
日本でも中国人への虐殺を告白、謝罪する元兵士には攻撃する人たちがいるがオダネルもそうだった。
彼を攻撃する投書の中で唯一擁護したのは息子だった。
来日して父の意思を引き継いでいる。
イラク帰還兵も数少ない理解者。
「たとえ小さな石でも広がっていく。波紋は広がる。
少しずつ広がりアメリカという陸に届く日が来る。
誰かが続いてくれれば誰もが平和を実感できる日が来ると信じる。」
オダネルがなくなったのは奇しくも長崎に原爆が投下された8月9日
なくなったのは昨年の事。86歳だった。
皇后さんも言及してる写真。