riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">「天才からくり師の世界展」と美の壺</span>



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もともと、オルゴール、西洋のオートマタや日本のからくり人形が好き、演劇の要素があります。

泉鏡花の「山吹」は不思議なお話ですがくぐつ人形師が登場します。
玉三郎の指導で市川笑三郎中村歌六が演じました。

高島屋大須観音(徳川宗春のからくり)
http://www.ohsu.co.jp/karakuri.html
栄ブロッサの西(フランス人形)には有名な女性人形作家
夢童由里子さんhttp://www2.neweb.ne.jp/wc/MUDO-ART/
のハイテクからくり人形が、栄には三英傑のからくり時計があります。


デパートで年末に「天才からくり師の世界展」で九代目玉屋庄兵衛さんの実演を鑑賞したのですが今朝の美の壺でその時は展示だけで実演しなかった凛々しい美少年の字を描く様子を観ることができました。

西洋のオートマタではピエロが手紙を書いてると居眠りして…という傑作があります。

美の壺はお正月のスペシャルでなんと、年末に「夕顔」を演じていた扇雀も御出演。


前に玉屋庄兵衛さんも「からくりより人形を作るのが難しい」とおしゃっていました。今回筆持って字を描く人形の復元の披露がありました。惚れぼれするような神聖ささえ感じる人形です。

弓射り童子は愛嬌ある庶民的な御顔です。

でも能と同じくわずかな顔の傾きなどで顔の雰囲気が変わります。

テレビでご覧になった方もあるでしょう。的に当てるのですが、全部成功させないようにわざとしてあるのが憎いですね。

文楽のようにプロの人形師がやってるのではないからとおしゃいましたがお座敷の茶運び人形から、からくり山車の「綾渡り」などの実演があり会場は沸きました。

からくりの木の説明も面白かったのですが覚えきれないので下に引用させてもらいました。

会場では万年時計のような大きなものから根付けのからくり、薬屋さんのコイン入れると観ることが出来る覗きメガネなども展示。

美の壺はお正月のスペシャルでなんと、年末に「夕顔」を演じていた扇雀も御出演。

九代目玉屋庄兵衛のかしこい生き方のすすめ
http://www.nttcom.co.jp/comzine/no041/wise/index.html

からくり人形についての最も古い記述は高陽親王の機械人形についてだそうですが、平安時代には人形遣いが小さな箱を持って町中を回り、人形を操って見せたとか、安土桃山時代には、武将がからくり人形で遊んだといった記述があります。その後1600年代になって竹田近江(たけだ・おうみ)が、大阪の道頓堀でからくり人形一座を旗揚げし、人形芝居を道頓堀から京都、尾張、そして全国へと広げていったことで、大衆に広まったんです。
からくり人形には、大きく分けて「座敷からくり」と「山車からくり」というふたつの種類があります。前者はゼンマイやバネ、歯車などを使って自動で動かすもので、「茶運び人形」に代表されるような小ぶりの人形。後者は、人形の体内に仕組まれた何十本もの糸を人が操作して動かす大型のものです。山車からくりは、愛知県や岐阜、群馬、滋賀、京都、福岡などの祭りで良く見ますが、中でも愛知県には600体を超える山車からくりがあります。というのも愛知県、つまり旧尾張藩には、家康を奉った東照宮の祭りがあり、人寄せとしてそれぞれの町が競ってからくり人形を作ったからなんです。当時は、徳川吉宗の時代で質素倹約が叫ばれていた時ですが、尾張の殿様である徳川宗春は、祭りや芸事といった娯楽に力を入れていて「楽しく派手に遊べ」というのが許されていた土地柄なんです(笑)。尾張地方で、からくり人形が発展した理由とも言えるでしょう。もともと京都でからくり人形を作っていた私の先祖も、1734(享保19)年、ちょうど宗春の時代に尾張へと移り住み、この地にからくり人形師として残りました。私の先祖だけではありません。「尾張には仕事がある」と、全国から色々な職人が集まってきたんです。

からくり人形は、ロボットのルーツとも言われ、日本人のロボット観を作ったとも言われていますが、そうした技術は現在もこの地域に根づいていますね。

玉屋
時計や食器、機械などの産業技術が多く集まっていますし、そうした技術を育む歴史的背景があるからなのでしょうね。
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もともと「からくり」という言葉は「機械」とか「仕掛け」とかいった意味を持っていたということからも分かりますが、人形の作りはどのようになっているのでしょうか?
玉屋
からくり人形は、胴体のほとんどが木でできています。動きは糸などで制御します。動力はぜんまいや石などの重りです。
使われる木は1種類ではなく、部位に応じて複数の木材を使い分けます。もちろん木を選ぶところから、からくり人形師の仕事です。茶運人形の場合、顔には細工もしやすく脂や変色も起こさない檜を用います。胴は桜。歯車には堅さのある花梨。軸心には赤樫。調速機と呼ばれるスピードを調整する部分には、柘植、黒檀、竹を使います。計7種類を、用途に合わせて選ぶ目が必要なんです。そうして選び抜いた素材を使ったからくり人形は、二百年経っても動きます。特に檜は、「樹齢二百年の木を使えば、二百年持つ」と言われるほどに良い木。顔は人形にとって大事な場所ですから、やはりそうした木を使うのです。今、目の前に彫りかけの顔がありますが、これが大体樹齢二百年経った木ですよ。ちょっと持ってみますか?
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肌触りも優しくて、まるで生きているようです。こうした木の選択から、すべてお一人でなさるわけですか。

玉屋
そうです。歯車も胴も顔も、それだけでなく人形の背景にあたる大道具や小道具もすべて自分で作ります。更には木を削りだす道具も、刃以外は自分で作ります。柄をつけて、自分の握りやすいように削り出していくんです。それにすべり止めとなる籐を巻いて漆を塗る。使いやすい、疲れない道具は、やはり自分で作らないと。