riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">面白い~ジュリー&ジュリア</span>





この映画を待っていたらいつの間にか消えていて当地方で公開されたのか不明ですが昨日、テレビ鑑賞が出来ました。
メルリが出てくると弾みます。
パリに暮らした明るくで負けず嫌いのアメリカ女性が料理本を出版、テレビ出演もして、有名人に。身長が185㎝もあり妹ともどもノミの夫婦。

豪華なパリのお屋敷での暮らしが始まるのですがベッドからはみ出る長身!

朗らかで正直な愛すべき性格。いいですね。

初めはほとんど料理が出来なかったジュリアが男性ばかりのお料理クラスに入って玉ねぎの山と格闘!ここは笑えます。

玉ねぎの山に逃げ出した夫も妻を「ティンパニー奏者のように料理する」と讃えます。お料理上手は家族がお幸せ。


彼女のマネする芸人さんのシーンも爆笑です。
全く知らなかったアメリカ人ですが本国では有名なのですね。

それに政治的なマッカーシズムと9.11wo織り込んでいます。

個人的には子供に恵まれなかったジュリーの痛みもあります。

ジュリアの方もまだお子さんがいなくて猫がいます。9.11事件の相談がかり?

マッカーシズム
Wikiより引用
ジョン・F・ケネディマッカーシーを支持し、後にマッカーシーに対する問責決議案が提出された際には、これに抗議し投票を棄権している。
その後、政界や軍内のみならず、マスコミからもマッカーシーに対する批判が広がった上に、1954年3月9日には、ジャーナリストのエドワード・R・マローが、自身がホストを務めるドキュメンタリー番組『See It Now』の特別番組内でマッカーシー批判を行い、多くの視聴者から支持を得たことを皮切りに、反マッカーシズムの風潮が主流を占めるようになる。
(この映画もありましたね)

ローゼンバーグ夫妻電気椅子に送られるなど残酷な事件がありました。

マッカーシーらに「共産主義者」や「ソ連のスパイ」、もしくは「その同調者」だと糾弾されたのは、アメリカ政府関係者やアメリカ陸軍関係者だけでなく、ハリウッドの芸能関係者や映画監督、作家。さらにはアメリカの影響が強い同盟国であるカナダ人やイギリス人、日本人などの外国人にまで及び、「赤狩り」の影響は西側諸国全体に行き渡ることになる。

なかでも影響が大きかったのが国務省のアジア担当で、当時中華民国を含む中国大陸を長く担当しアジアについて豊富な知見を有した外交官達の大半が、国共内戦における中華民国の中国国民党政府の敗北の責任を問われて(いわゆる「中国を失った」犯人として)追放され、その結果、アメリカ国務省のアジア局からはアジアを知る専門家たちはほとんどいなくなってしまう。

その穴を埋めたのは欧州専門の外交官達で、彼らの多くは日本や東南アジア諸国などの同盟国はおろか、中華民国政府統治下の中国大陸にも一度も足を運んだことが無かった。この「アジア専門家の空白」が、後にアメリカをしてアジア外交を誤らせ、泥沼のベトナム戦争にアメリカを引きずり込んだ遠因となったとバーバラ・W・タックマンやデービッド・ハルバースタムはその著書に書いている



ジュリア・チャイルドにあこがれるジュリーは狭いキッチンで失敗すると切れてしまうなど若さがあります。でも二人とも良い人なので夫や友人にも恵まれてますね。

私も突然の結婚で当初は味噌汁さえどうやって作るのかわからなかった。
料理は高度な手順がいるので頭の体操にも良いそうです。
昔は男子厨房に入らずなんて言っていましたが。

ジュリア・チャイルドは本を出すのに八年かかっています。やはり努力ですね。
おばあちゃんのジャムのレシピが有名になった話もどこかで聞きました。




実在の料理研究家ジュリア・チャイルドと、ジュリアに憧れる現代のOLジュリー。50年の時を隔てた2人の女性を「めぐり逢えたら」「ユー・ガット・メール」のノーラ・エフロン監督が描いた人間ドラマ。食べることが大好きなパリ在住のアメリカ人ジュリアは、名門料理学校で習得した誰でも簡単に作れる家庭料理の本を出版し、本は大ベストセラーとなる。50年後のニューヨーク、作家になる夢をあきらめた OLのジュリーは、憧れのジュリアのレシピに挑戦し、それら全てをブログに綴ることを思いつく。

塩、コショウで下味をつけ、小麦粉をまぶし、たっぷりのバターで焼き上げた舌平目の香りと味に魅了され、フランス料理のとりこに。
そして“料理は芸術である”というパリの考え方に触発されたジュリアは、フランス料理を習うため料理学校の名門ル・コルドン・ブルーの門をたたきます。
最初は、玉ネギ一つ満足に切れなかった彼女ですが、“単なる主婦の暇つぶし”だと思われたくない一心で猛特訓し、料理の腕を上げていきます。
料理で大切なのは、失敗を恐れず、楽しく料理すること。
ジュリアは、持ち前の明るさで料理の楽しさに目覚めていきます。

彼女の夫は、煮込み料理からオーブン料理、ソースまでイキイキと作りだしていく妻を見て
ティンパニー奏者のように料理する」とたとえます。
どこでどんな音を出すか、動きに迷いがない奏者のように、次々と道具を繰り出し、料理を完成していくジュリア。
そんな彼女のキッチンは、美しい芸術を生み出すアトリエのような雰囲気です。
コンロ近くの壁には、絵筆の代わりにフライパンや鍋が掛けられ、
棚にはスパイスやハーブが入った小瓶が、絵具のように陳列されています。
そしてキッチンの中央には、作業台となる大きな木のテーブルがあり、
パレットの代わりに色とりどりのお皿やボールが所狭しと並べられています。
自分が使うキッチンだからこそ、自分流にアレンジしていく―― そんな主婦のキッチンから、“主婦のためのフレンチ”が生まれました。

その後、ジュリアは、61年に524のレシピを載せたフランス料理の本を出版。これはアメリカの食文化に革命をもたらしました。