<span itemprop="headline">印象派の女流画家ベルト・モリゾ</span>
表紙の自画像、知的で意思が強そうなお顔です。
以前パリのマルモッタン美術館や日本での美術展でモリゾの絵を見ました。
白がきいていて娘の絵など印象的でした。
骨董のドレスや小さな日傘も出てきて興味深いです。
額縁をくぐって物語の中へというミニ番組も面白いです。描かれている人物も動くしミステリーのようです。
その狂言回し役の女優さんはドラマ「運命の人」で「三木昭子さんを守れ」と叫んでる役です!
19世紀ではまだ女性は一人で外出できない、ヌードも描くことは禁止!したがって画家になる道も遠い。
かわりに牛を描いていたという(苦笑)
官立美術学校が女性の入学を許したのはモリゾの死後2年もたった1897年のことです!
経済的、芸術的に恵まれた環境にあった(サロンに入選を果たし父母には庭にアトリエを建ててもらった)ベルトですがその姉でさえ結婚後は画家になるのをあきらめました。お稽古事でしかなかったのでしょう。
まだ自分の才能で自立できなかった当時の女性たち。
華美な服装は貴族的な退廃の象徴と見られたからです。
変わりに自分の妻を着飾らせることが夫の地位や財産を現すものになりました。
純粋に自らの好みで自由に装うことは出来ず、社会の規範に縛られた女性たち。
部屋着から外出着まで、行く場所、用途、既婚、未婚により装いが差別化されました。
一日に何回も着替えなければならなかったのです。
若くて婚約したばかりの女性は薄紫色のプレーンなドレスが好ましいとか、オペラ座に行くのと普通の劇場に行くのとはこまごました差別化がありました!
若い女性はピンクや白。ある程度の年齢では赤や黄色。年配者は黒のドレス。
このようなドレスコードに外れるとたちまち注目と中傷にさらされたのです。
モリゾは舞踏会用のドレス姿の女性や身支度している女性を描いています。
マネの絵のようにあからさまに男性のまなざしを気にしていません。
又娘の乳母や羊飼いの少女のような働く女性も描いています。
夫や娘を描くときも伝統的な母子像、家族像にならないように注意を払っています。
モリゾは出品作をマネに大幅に筆を入れられ激怒。それでも自信がなかったのか見てもらってしまったのです。
ベルトは33歳の時、41歳のウジェーヌ・マネ(画家のマネの弟)と結婚しました。当時としては例外的な晩婚です。
ダーウィンの本に女性が独身でいることの不自然さが説かれているのを読み、結婚する気になったといいます。
それでも名前はモリゾと名乗り続けました。プロの画家であることは誇らしいことだったでしょう。
夫ウジェーヌはベルトの才能と知性を心から認めていて死ぬまで妻を応援しました。
これも当時としては異例なことでしょう。
職業を持つ女性、特に芸術的な才能を持つ女性との結婚は家庭をないがしろにされ不幸に陥るものと考えられていました。
当時の風刺画には仕事に行く女性が傲慢な態度をしていて子供を任された夫は愚かだと嘲笑的に描かれているのです!
日本人が好きな印象派の絵(印象派の画家たちは浮世絵や古伊万里が好きでした。モネやユゴーの家には浮世絵が一杯飾ってありました。ベルトも日本風の扇や団扇を描いています)ですが当時はそうではありませんでした。
印象派の仲間たちは自らが競売会に作品をかけたのですがこれも嘲笑の的になるだけでなく会場が混乱。参加者たちは作品を見て憤慨し、言いがかりをつけ、警察を呼ばなければならなかったのです。
それでも一番高値をつけたのはベルトの作品。値をあげるために夫が買い取った作品もありました!
ルノワールの絵は最安値だったとは。
「いくつかの色調をでたらめにおいてサイン」と「ル・フィガロ」紙に書いた批評家ヴォルフに夫は本気で決闘申し込みをしようとしたほどです。
夫を亡くした後、娘のインフルエンザ(風邪としている本もあります)に感染し54歳でベルトはなくなります。
ベルトの娘が書いた「印象派の人々」を図書館で予約しました。絶版だそうです。