<span itemprop="headline">二代目市川猿翁 四代目市川猿之助 九代目市川中車襲名披露 </span>
ブログ友ぴかちゅうさん、さすが初日に観劇され、即UPです。
詳しくて臨場感にあふれる記事です、最後にはサッカーの中田さんまで登場します。
福山雅治さんに贈って貰った祝い幕が斬新です。
何人かの役者(当然澤瀉屋でしょうね)の隈取を合わせたものだとか。
新猿之助は伯父の名跡襲名にあたり、「ヤマトタケル」上演にこだわった。大道具が古典作品の3倍にもなるスーパー歌舞伎と、古典を1日同時上演するのは、無理だと反対に遭った。しかし「前例がなければ作ればいい、というのが澤瀉屋(おもだかや)(猿之助一門の屋号)の精神」と説得を続けた。
襲名公演のスーパー歌舞伎初演ヤマトタケル舞台でヤマトタケル(猿之助)は、父である帝(中車)に理解されぬまま死に、その遺児であるワカタケル(團子)が、ヤマトタケルの果たせなかった思いを継ぐ決意を述べる。それは恩讐(おんしゅう)を超え、澤瀉屋一門が勢ぞろいして今、上演するにふさわしい、歴史と系譜の物語になっていた。
歌舞伎界って不思議なところで親が早く亡くなると始めは面倒見てくれても「歌舞伎界の孤児」となる?
三代目猿之助は当時から歌舞伎界の異端児とか革新者と呼ばれ歌舞伎研修生などの血の繋がらない弟子たちを大きく成長させました。
スーパー歌舞伎は豪華な衣装(着るのは重くて大変そうです)舞台装置、
現代語、宙乗りとわかりやすさ、面白さ満載の舞台です。
中車(香川照之)の必死の汗と涙の口上。
46才で歌舞伎デビューとは勇気あります、キネ旬読んでいたからお父さんやおじいさん、歌舞伎を思う気持ちがひしひしと感じていました。応援したいです。
「歌舞伎のためには命を掛ける」、「襲名して嬉しさ100パーセント」と沸かせた新猿之助
香川さんは今までも「鬼が来た」やテレビドラマの名演技でも注目していました。
映画雑誌キネ旬のエッセイも愛読していました。
映画南京1937は若松監督の映画館で見ましたが、
香川さんが朝香宮役で出演した「ジョン・ラーベ」は全面的に禁止
中国、ドイツ、日本で上映を予定していた中国、ドイツ、フランス合作の「ジョン・ラーベ」が、日本での公開を断念したことが明らかになった。この中国版「シンドラーのリスト」は、国際的視点で南京大虐殺という歴史的事件を正面から描いていることから、日本での上映は全面的に禁止され、日本の映画配給会社も映画を見ることさえ断ったという。
しかし香川さんはこの映画が
「少しでも中国の人たちの苦しみを取り除いてくれるように望んでいます」と。
「故郷(ふるさと)の香り」と「鬼が来た」などの中国映画に出演したことのある香川さんは、中国の観客にもよく知られている日本俳優の1人だ。去年、国内外で多くの賞に輝いた「トウキョウソナタ」にも出演している。
「ジョン・ラーベ」が世界で好評を博した後、日本国内では批判の声が聞かれるようになった。業界の人たちは、どうしてこの映画に出たのかと香川さんに直接聞くこともあり、「プレシャーは相当大きかった」という。
「この映画を見て、本当に日本人は残忍なことを多くしたのだということを知りました。確かにそれを受け入れることは非常に難しい。難しいですが、現代の人たちにこの歴史を語る必要があります。そういう意味では、私は確かにこのようなテーマの映画が好きです」
ガレンベルガー監督は、朝香宮鳩彦親王役を選ぶ際に多くの日本の俳優と会った。しかしほとんどの俳優が出演を断り、最終的に引き受けたのが香川さんだ。「脚本を見た時に、この映画に出るべきだと思いました。その国際的な視点は現代の観客の反省を促すことができるからです。多くの人が、日本人としてどうしてこのような日本人を演じることができるのかと言うかもしれませんが、この役はやはり必ず日本人が演じるべきなのです」
東京都庭園美術館のアンティークジュエリー展
そして最後の約30分、死にゆくヤマトタケルが吐き出していく膨大なセリフは、猿之助の半生と重なってくる。若くして祖父、父を亡くし、先輩俳優の「傘下に入らないか」という誘いを断り「劇界の孤児」となったこと。己の才覚で仲間を集め、「新しい歌舞伎」の創造へと向かったこと――。
「私は父上の仰せで旅を続けたが、それはただ、熊襲や蝦夷と戦うためばかりだったのではない。もっと大きな何かを求めて、私は西に東に駆け巡ってきた」
「何か途方もない、大きなものを追い求めて、私の心は絶えず天高く天翔けていた。その天翔かける心から私は多くのことをした。天翔ける心 それがこの私だ」
これらのせりふが猿之助の心を代弁しているように見えるのは、以前の公演と変わらない。が、今回は決定的に違うことがある。ヤマトタケルのせりふが、新・中車、香川照之との親子関係のイメージとも重なるのだ。
例えば、「私と父上とは別の世間の人間なのだ、決して分かり合えない親子なのだと、諦めておりました。その諦めが戦いの中で、私に勇気を与えてくれたのです」……。
「大和を出てもう五年、ワカタケルは五つになった」。兄橘姫との間にできた子供を思うタケル。そのワカタケルは祖父である帝の座を継ぐことになる。四代目が誕生したばかりでこんなことをいうのは変だけど、今月、団子となった香川照之の長男は、やがて祖父の名跡を継ぐことになるかもしれない。
実をいうと私は、この「最後の30分」があまり好きではなかった。猿之助の心のうちがあまりにも長々と語られている、と感じていたからだ。だが今回、亀治郎改め四代目猿之助の体を借りて語られるこれらの言葉は、それが三代目自身の体を通さないだけに、より重層的なイメージを与え、圧倒的な重さで迫ってきたのである。
カーテンコール。猿之助から改名したばかりの猿翁と、新・猿之助、中車が舞台の中央で、観客の拍手にこたえていた。タケルと帝、猿翁と中車の物語が、私のアタマの中で乱反射する。「ヤマトタケル」こそ、澤瀉屋の襲名にふさわしい演目だ、とこの時私は、心の底から思っていたのである。
(読売新聞文化部記者 田中聡)
「私は父上の仰せで旅を続けたが、それはただ、熊襲や蝦夷と戦うためばかりだったのではない。もっと大きな何かを求めて、私は西に東に駆け巡ってきた」
「何か途方もない、大きなものを追い求めて、私の心は絶えず天高く天翔けていた。その天翔かける心から私は多くのことをした。天翔ける心 それがこの私だ」
これらのせりふが猿之助の心を代弁しているように見えるのは、以前の公演と変わらない。が、今回は決定的に違うことがある。ヤマトタケルのせりふが、新・中車、香川照之との親子関係のイメージとも重なるのだ。
例えば、「私と父上とは別の世間の人間なのだ、決して分かり合えない親子なのだと、諦めておりました。その諦めが戦いの中で、私に勇気を与えてくれたのです」……。
「大和を出てもう五年、ワカタケルは五つになった」。兄橘姫との間にできた子供を思うタケル。そのワカタケルは祖父である帝の座を継ぐことになる。四代目が誕生したばかりでこんなことをいうのは変だけど、今月、団子となった香川照之の長男は、やがて祖父の名跡を継ぐことになるかもしれない。
実をいうと私は、この「最後の30分」があまり好きではなかった。猿之助の心のうちがあまりにも長々と語られている、と感じていたからだ。だが今回、亀治郎改め四代目猿之助の体を借りて語られるこれらの言葉は、それが三代目自身の体を通さないだけに、より重層的なイメージを与え、圧倒的な重さで迫ってきたのである。
カーテンコール。猿之助から改名したばかりの猿翁と、新・猿之助、中車が舞台の中央で、観客の拍手にこたえていた。タケルと帝、猿翁と中車の物語が、私のアタマの中で乱反射する。「ヤマトタケル」こそ、澤瀉屋の襲名にふさわしい演目だ、とこの時私は、心の底から思っていたのである。
(読売新聞文化部記者 田中聡)