<span itemprop="headline">京都現代美術館何必館の華岳展その1</span>
今年はもう4,5,6月となんと三ヶ月連続京都へ行きました。
こんなことは初めてです。
学生時代を京都で過ごしたことと、新幹線で行けば近いということもあります。
新新幹線で行ったのは6月だけですが。
4月にこの美術館の前を通ったときには残念ながら休館で気になっていたら
美術館開館記念華岳展をしていると言うではありませんか。
前にこの画家のなまめかしいような仏画、それなのに清潔感が印象的だったのでどうしても観たかったのです。
また、この美術館にかかわりのある方と私は繋がっていることがわかり嬉しく思いました。
華岳は中央画壇に背を向け
(私はどうもこういう方に惹かれます。玉三郎もお好きな異端の画家筧忠治 http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/29039332.html)
修行僧のように絵を描き、あるときから京都を離れ、
独自の絵を探求、52歳で喘息でなくなった方
「何必館」の名称は「何ぞ必ずしも」と定説を常に疑う自由な精神を持ち続けたい、という意味合いで名づけられたもので、作品も多くがその考えに基づいて収集されています。
建物は館長である梶川芳友氏が自ら設計したもので、外観は玄静石製のすっきりとしたモダンなビルになっていますが、展示空間は床の間を基調としたり障子越しにとりいれた自然光で鑑賞するスタイルをとったりと各所に工夫が凝らされています。
所蔵の中心は北大路魯山人、村上華岳、山口薫の三人の作品で、他には日本画・洋画・工芸(陶芸、染織など)・写真・書など国内外の幅広いジャンルの作品を所蔵して
建物は館長である梶川芳友氏が自ら設計したもので、外観は玄静石製のすっきりとしたモダンなビルになっていますが、展示空間は床の間を基調としたり障子越しにとりいれた自然光で鑑賞するスタイルをとったりと各所に工夫が凝らされています。
所蔵の中心は北大路魯山人、村上華岳、山口薫の三人の作品で、他には日本画・洋画・工芸(陶芸、染織など)・写真・書など国内外の幅広いジャンルの作品を所蔵して
この美術館、表からは近代的なのですが入ると雰囲気が違います。
寂聴さんもこのお庭がお好きと言われていましたが、初めどこにあるかわかりませんでした。
地下に北大路魯山人、
二階に村上華岳(のコレクションは質・量も日本有数)。
掛け軸がガラス越しではなく観ることが出来ます!
彫刻なども見逃さないようにしなければなりません。
ああ、すぐUPすればよかったのに、又行きたい美術館です。
村上華岳のコレクションは質・量も日本有数。
この日は高速の工事で大津辺りで手間取り疲れてしまったのでしょう。
最上階?のこの空間、さすが京都ですね。
左側にエレベータがあり右側の茶室華岳の有名な太子樹下禅那(たいしじゅかぜんな)が掛けられています。
「この一枚の絵を掛ける最上の場を作りたい」(梶川芳友館長)との思いから、30年前に生まれた同館。
左側のエレビーター前から茶室を熱心に写してる方がいたと思ったら奥様がモデルになっていてなかなか空きませんんでした。
己の精神を見つめ、宗教者の修行のように絵を描いた日本画家、村上華岳(1888~1939年)の神髄にふれる「村上華岳展」が、京都市東山区の何必(かひつ)館・京都現代美術館で開かれている。(終了しました)
太子樹下禅那(たいしじゅかぜんな)-。「この一枚の絵を掛ける最上の場を作りたい」(梶川芳友館長)との思いから、30年前に生まれた同館。その茶室に今、同作が展示されている。
床の間の奥、柔らかな自然光のもと、ボダイジュを描いたプラチナ泥が静かに輝く。座禅する悉多太子(しったたいし)(若き日の釈迦)の体は枝葉の間から金色の光を発し、聡明(そうめい)な目元にわずかな笑みを見せる。悟り。その瞬間に居合わせた、厳かな気持ちが胸中に広がる。
「大きな宇宙の意思と一つに融合すること」を念じつつ、画技を超越する制作をした華岳に、悟りは大切な画題だったろう。重いぜんそくに苦しんだ華岳が死の前年の昭和13年、苦しい息の中、この一作を仕上げたと思うと荘厳さはさらに増すようだ。