riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">原発「絶望した時が最後の負け」:小出裕章氏</span>

原発の活動,私たちがどのように団結してやっていけばいいのか?
インターネットラジオ 【ペイフォワード環境情報教室小出裕章氏に聞く
2012年11月8日 音声12分
http://8bitnews.asia/wp/?cat=556
一部分だけの引用
 

私は原子力の場で,原子力に抵抗して生きてきました.
残念ながら原子力を止めることができませんでした.
福島第1の事故を防ぐこともできませんでした.
 
 
「私の力は本当に無力だったな」と思います.
ただ,こういう事は歴史の中では何度もあっただろうと思います.
日本は何十年か前は戦争をしていました.
戦争を「止めたい」と思った人もいましたが
そういう発言さえできないまま歴史が流れて行きました.
原子力も同様に,1度作られた大きな流れを止める事は容易ではない.
今は,原子力に抵抗したからといって投獄されたり,殺されたりはしない
 
皆さんも1人1人が個性を活かして活動して下さる事で
何とか原子力の暴走を止められると私は思います.
原発に狙われたが阻止した自治体は,日本中にたくさんあります
新潟県の巻町(現在は新潟市)
三重県南伊勢町/大紀町/熊野市
和歌山県日高町/白浜町/串本町/那智勝浦町
次々と原発が計画されたが,
住民が抵抗してきた長い歴史が存在します.
 
和歌山県日高町では,
関西電力が金をバラまいて住民を切り崩したが
最後の最後まで抵抗を続ける人達が残って,最後の勝敗を分けました.
そういう人たちを孤立させないで,支える運動が必要だと思います.
 
私たちがどのような社会を作りたいのか.
1人1人が横につながっていく事が良いと思います.
私は,地球上の70億人のうちの1人です.皆さんもそうです.
私は「自分らしく生きたい」と自分の思った事をやってきた.
ただそれだけのことです.

私は,ずっと原子力の巨大な力と戦ってきましたが・・・
私の歴史は敗北の歴史でした
次々と原発を建てられてしまいました.
正直に言えば,絶望しかけたことも何度もありますが
そのたびに「絶望した時が最後の負けだ」と
自分に言い聞かせながらきました
これからも決して絶望だけはしたくないと思っています
----引用終----
 
過去記事
小出裕章氏が大学3年で突然反原子力になった理由
http://blogs.yahoo.co.jp/permer4_4/27022070.html
小出裕章氏の今までの講演会(動画)のURLまとめ
http://nakagawa.good-space.jp/koide.html


転載元: 茨城(キ)県那珂市近郊の歯科:中川デンタルクリニック