riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">手塚治虫ブッダミュージカル版</span>

3月19日に鑑賞しました。
 

 
四角い舞台装置に人々のささやきやインドの太鼓ムリダンガムが聞こえてきて…観てから時間がたってしまったので正確ではないかもしれません。
 四角い舞台は美術 松井るみによると
狂言師から教えられた「三間四方四角が無を表す」という能舞台にもつながる日本人特有の感覚。
 
野村 萬斎はマクベスをNYでも5人で演じて舞台は円、
西洋では丸・円で無を表す
 
 母が亡くなって8日後に観た舞台。
とても感動的な舞台で泣けました、
 
シッダールタ(ブッダ)役/戎本 みろが本物に見えてきました。
 

 地方公演なので今井清隆遠野あすかは出ていません。
母が奴隷出身だと知り苦しむルリ王子役の方も素敵でした。
 
演出/栗山 民也
98年、新国立劇場の開場記念の一環の「ブッダ」はテレビで観ました。
 
栗山氏の言葉
能舞台、劇場の中に宇宙があるという発想から、一枚のカーペットだけ、その中からいろいろなインド、未来の宇宙が見えてこないかなと、今、舞台装置などを考えています。
やはり演劇というのは今の時代に引き合わないとどうしようもないことで、どうも大きな声や大きな身振りが時代を支配している時代だと思いますので、この作品を読んで、人間の小さな声人間の本当になんでもない小さな身のこなしみたいなことが実は本当はとても大切なんだとわかり合える作品になったらいいなと思います。
劇中のブッダの言葉に「世の中に不必要な人や生命など何もない」というセリフがあります。それは今日の朝のアルジェリア人質事件の被害者帰還のテレビニュースや、大阪の体罰による高校生の自殺、放射能の問題もそうですし、もっともっとインドの時代に生きるような内容になったらいいと思います。
 
皆引き裂かれた所で存在している。安定した人など一人もいない。
 
だからこそブッダを必要としたと言う物語にならないといけない。
アウン・サン・スーチー女史の言うこともブッダと同じ。
ビルマも引き裂かれていたから。
 
沖縄と福島は同じ。だれかが犠牲になることで世の中が成り立つというシステムに甘んじている自分たちを許してはいけない。
僕は「ブッダ」を現代劇だと思ってやっている。
 
CDと漫画「ブッダ」と公演プログラムが合体した手塚治虫マガジンも会場で販売されています。
長年観ているわらび座、本当に素晴らしい劇団です。
本拠地秋田の舞台も観たいです。
 
わらび座はいつも真摯な舞台で実力のあるスタッフ・キャストですが
今回は特に心打たれました。
 
手塚治虫作品は火の鳥の壮大さやブラックジャックのヒューマン差が好きですがブッダも涙なしでは読めません。
 
 
手塚先生は動物の描写が可愛くて
 
冒頭のウサギが自ら火の中に飛び込んで修行者に身を捧げる場面も衝撃的です
 

作曲/甲斐 正人

この一週間ほど秋田で共に過ごした齋藤さんには素晴らしい台本に仕上げて頂きました。この席をお借りしてお礼を申し上げます。今回の音楽の視点は、ミュージカルというフィールドの様式を使いながら、インドの音楽を中に入れて行く。インドの音楽を日本人が作る。西洋とインドと日本、その中からどんな物が出来上がってくるのか期待しています。
今回は2つの挑戦をしようと思っています。1つはインド音楽の楽器、古代の楽器ムリダンガムという打楽器を劇団のメンバーが演奏します。また、これは出来ればなんですけど、弦楽器でバイオリンの先祖みたいなサーランギという楽器があります。それを入れたいと思います。そういう生のインドの楽器をみんなで演奏する、それが1つの音楽的な興味であります。もう2つ目はシッダールタ(ブッダ)が少年期を過ごしたネパールで、ネパール人にインド音楽を演奏してもらい、それをネパールの首都のカトマンズで録音して使いたいと思っています。この舞台にインドの風が吹いて来るように、それを工夫してみたいと思います。
栗山さん齋藤さんたちと取り組んだ作品はこれで3本目です。この3本目は圧倒的な、すごいオリジナリティあふれる作品になると思います。この東北から世界に向かって発信するような作品になる予感がしております。
1970年代に私達を驚かせたミュージカルで、ヨーロッパの西のはずれのイギリスで、「ジーザスクライストスーパースター」という作品がありました。そして今、アジアの東の端の日本。その東北から「スーパーヒューマニストブッダ」とも言える最新芸術が生まれます。ご期待下さい。
 
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