<span itemprop="headline">観納め?天守物物語</span>
先日もちょっとお話しましたが無謀にもクロアチアなど4ヵ国の旅から帰ったばかりなのに歌舞伎座に日帰り昼夜観劇(歌舞伎って現代でも何幕も上演して辛い、全部見ないで帰ることもありましたが今回は全部観ました)昨日はお客様で又疲れました。
間には入院中の友人をお見舞い。
でもねえ、玉三郎のお辰と富姫は見逃せないのです。
富姫は初めて中日劇場で観劇、当時滑り症で歩けなくなり入院し退院したばかりでした。
玉三郎の解説でその純真な心、階級制度に対する反発、浄化される様もわかってきたのです。
漫画も読みました。
64歳というのに何と言う美しさでしょう、芸術に身を捧げて…
内面から純でないと出せない美しさでしょうね。
鏡花先生も泣いて喜んでいらしゃるでしょう。
存命中は舞台化を望まれても果たせなかったのですから。
「この戯曲を上演してもらえたら、こちらが費用を負担してもよい」という主旨の発言をされたとか。
坂東玉三郎が東京・歌舞伎座「七月大歌舞伎」で、昼の部の通し狂言「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」のお辰(たつ)を、夜の部は泉鏡花作「天守物語」の富姫(とみひめ)を演じる。お辰は25年ぶり、富姫は先代歌舞伎座のさよなら公演で演じて以来5年ぶりだ。「富姫は出ずっぱりで年齢的に大変なお役。前回やり納めのつもりで演じましたが、見たいという方が多く再演を決めた」と語る玉三郎。相手役の市川海老蔵、歌舞伎座初出演の市川中車ら沢瀉(おもだか)屋一門など中堅若手中心の一座。「上置きという言葉は嫌ですが、演出家的な役割も果たします」 (藤英樹)
「いつまでも私たちが舞台にいられるわけじゃない。口幅ったくは言いたくないですが、次の世代に期待したい。中車君にも注目しています。若い人たちのそばにいてひと言声をかけてあげる演出家的な役割が大切と強く感じています」
富姫は姫路城天守閣の最上階に棲(す)む美貌の妖怪。高貴にして伝法(無頼)な面も見せ、大きな存在感を漂わせる。人間たちに攻められ富姫の世界は荒らされるが、最後は救われる。
「聖なるものが勝利にゆきつく、魂の希望が見える作品です。性根や解釈など今回とくに変えるところもありませんが、鏡花先生の理想像に近づけるように真心を込めて」と玉三郎。
「印象的なお役ですが、出番が少ないのでどうお客さまに分かっていただくかが難しい。顔を傷つける件は『そなたの顔に色気があるえ』と言われて覚悟を見せるわけですが、短い場面なのでいかに説得力を持たせるか。伝法な女は上方も江戸もそんなに変わりませんが、上方の言葉には柔らかみがある。関東の人間としては経験を積む中で、こうかなと思って演じています。義理と情、浮世絵的な美しさを見てほしい」
◆あらすじ
かでは「天守物語」が当然のことながらもっともすぐれている。
あり、海老蔵の図書助とともに緊張感あふれる名舞台であり、私が今まで見て
来たこの作品としては最高の舞台でもあった。その理由はその時の劇評に書いた
幼少時から日本舞踊や三味線などの習練を積み重ねる歌舞伎役者の世界。四十代後半で飛び込んだ中車の苦労は並大抵ではない。
「実態を知っていれば怖くて飛び込めなかったでしょう。映像や現代劇の世界は正解のない世界ですが、歌舞伎は正解がある世界。なぜ不正解なのか分からず、血のにじむような苦闘を続けて少しずつ正解が分かってきた二年でした」
もちろん苦闘は今も続く。現代劇の香川は気持ちをめいっぱい表に出す演技が持ち味だが、歌舞伎ではそれはご法度。「気持ちを入れると(セリフの)音がずれたり、型が崩れてしまう。僕が培ってきた経験は全く生かせていません。新歌舞伎も、いかに歌舞伎として成立させるかという点で僕には古典と同じです」
「玉三郎の兄さんは、当然決まり事を踏まえた上での自由という意味で言われたと思います。ただ、稽古をしてみて、義太夫などの決まり事を踏まえた上で、なおかつ僕の気持ちを自由に入れても成立するような気がしています。こんな感じはこれまで初めて」
中車が玉三郎の導きととてつもない努力で今回の立派な芝居を見ることが出来、とても嬉しかったです。
夏祭の義平次、ああいう心も姿も汚らしいお役はお得意でしょう。
中国映画「鬼が来た」や南京の映画に出た勇気あってこそ、歌舞伎界でこの様に早く立派になられて。
天守物語でも右近と出てあの場面が重厚になりました。
海老蔵も夏祭の舅殺しとは大違い純真な青年がまぶしいほど美しい。
冷たいお抹茶と行列が出来る鯛焼き、(中にピンクと白の餅?が入ってます)一階で焼いてる人形焼きも美味しいのですがきっと私のお腹にはよくないです。
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