riboni5235’s diary

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<span itemprop="headline">日本人歴史学者「抗日戦争の歴史的貢献に正しい評価を」</span>


 「中国の偉大な抗日戦争は、中国だけの事ではなく、東洋さらには世界の事である」。世界反ファシズム戦争においてアジアの主戦場となった中国で戦われた中国人民の抗日戦争は、民族を存亡の危機から救い出し、民族の独立と人民の解放を果たし、世界平和という偉大な事業を実現するのに、歴史的な貢献を果たしたと言える。(文:纐纈厚。日本の著名な歴史学者、日本国立山口大学副学長。取材・整理:劉軍国。人民日報掲載)
 海外ではここ数年、中国の抗日戦争が果たした重要な歴史的貢献に着目する歴史学者が増えている。これらの学者は、中国の抗日戦争の真実を国際社会にありのままに紹介し、世界反ファシズム戦争に対する抗日戦争の位置付けと役割を正しく評価することを提唱している。
 中国共産党の指導する八路軍と新四軍は中国人民を団結させ、数万に及ぶ飛行機や大砲にも負けない戦闘力を形成した。中国人による祖国の防衛と抗日戦争は、日本の主だった戦力や兵力、国力を消耗させることで、世界反ファシズム戦争にも大きく貢献した。
 まず兵力を見ると、日本が中国侵略戦争に投じた兵力は米国に対する戦争よりも多い。日本は最多で中国の戦場に年間197万人の兵力を投入した。対米戦争で投入された兵力は最大で年間160万人だった。次に戦闘期間を見ると、日本と中国との間で戦闘が行われた期間は対米戦争の戦闘期間の3倍余りに及ぶ。日本の中国での戦争は1931年の「九一八事変」(満州事変)から始まり1945年まで続いた。米国との戦争は1941年から1945年までの4年間にすぎない。さらに軍事費で見ても、中国の戦場への投入は対米戦争への投入より大きい。日本は当時、国家予算の多くを軍事費に割き、これらは主に中国の戦場へと投じられた。中国人の抗日戦争は日本の戦争遂行の意欲を大きく損なった。

 経済力と軍事力で上回る日本に中国が勝てたのはなぜか。日本の発動した侵略戦争が正義を欠いた戦争だったからというのは一理あるだろう。だがさらに重要なのは、中国共産党の指導下で、幅広い人民の力が十分に発揮されたことである。中国共産党の指導する八路軍と新四軍は中国人民を団結させ、幾万もの飛行機や大砲にも負けない戦闘力を形成した。
 真の戦闘力は人である。この道理は、中国の抗日戦争において最もよく体現され、最も代表的で象徴的な例をなした。中国人民の抵抗精神は、日本の侵略に立ち向かう周辺諸国の勇気を鼓舞し、戦後国際秩序の形成に大きく影響し、国際平和を維持する重要な力となった。
 日本人は戦後、「中国に負けた」という事実を認めず、「日本は米国に負けた」と誤解し続けており、まことに残念なことである。私が中学生だった1960年代には、中学校の教室で侵略戦争は「太平洋戦争」と呼ばれ、日本と英米が戦った戦争として教えられていた。
 日本と中国がこれほど長期にわたって戦争した歴史を軽視すべきではないと学者が声を上げ始めたのは1980年代になってからである。そのため「日中15年戦争」という言葉が生まれ、学術界では「日中15年戦争」と「太平洋戦争」をまとめた「アジア・太平洋戦争」という呼び名が用いられ始めた。

 戦争の呼び名は、その歴史への視点を内包している。私としては「アジア・太平洋戦争」という言葉は物足りず、中間の「・」を取って「アジア太平洋戦争」と呼称すべきだと主張している。「日中戦争」と「対英米戦争」は異なるという学者も多いが、私は同一の戦争だと認識している。「・」を取れば、世界反ファシズム戦争における中国の重要な役割をより端的に示すことができる。この観点はまだ主流となってはいないが、今後少しずつ受け入れられていくと信じている。
 私が日本の侵略戦争を研究しているのは、私自身の家庭の事情も影響している。私の父は3人の兄を戦争で亡くし、そのうち1人は中国で亡くなった。私は幼い頃から、日本の引き起こした戦争はなんと残酷で、隣国になんと大きな傷跡を残し、日本でもなんと多くの家庭を引き裂いたことかと思ってきた。私は戦争という問題にとりつかれ、「日本はなぜ侵略戦争を起こし、大きな罪を負うことになったか」という謎を解きたいと考えるようになった。日本政府は、侵略戦争によって戦死した軍人を「英霊」と美化している。もしも日本が再び戦争を起こせば、死ねば「英霊」と尊敬されると考えて戦争や戦死を厭わない人が出てくるかもしれない。これは非常に恐ろしい事態だと考えている。(編集MA)





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