riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">鶴舞公園に大鷹が~花菖蒲とアジサイ</span>

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昨日は月一の歩く気功といつもの気功のダブルでした。
両方ともお話と運動で2時間ずつです!

歩く気功はまだちょっと難しい。
ガン患者のための運動ですが、がん患者でない方も参加されてます。

人により手の置き方も変わります。

鶴舞公園のバラ園の隣、ヒマラヤ杉の下で気功とはなんてラッキーなことでしょう。

あるインストラクターは「先月よりふっくらして元気になられましたね」
と!

前回は初めてだったから。

朝5時に起きてほとんど朝食もなく参加しました。

何雲先生からも毎日気功やったほうが良い、教室だけでなく家でもやらないと効果出ないと。

帯津先生の話も出ました。

日本では気功は誤解されやすいけどヨーロッパでは気功は医療だと。

起床後、手足ブラブラさせます。手がはれぼったくなって足裏も暖かくなるまで。(暖かくなるとイメージする)


特に病院から帰った後もやるとよいそうです。

脱力、リラックス、何も考えない、イメージ

髪のマッサージします。前から後に手を滑らせて耳を折り曲げてふたします、100回

「そうすると60過ぎても髪は黒々!」になるそうです。

何雲先生や他のインストラクターも染めなくても綺麗な黒髪です。








その前の日に撮影した花菖蒲とアジサイです。
鶴舞公園グリーンセンターです。





鶴舞公園には菖蒲園の隣にアジサイの小路があります。





あまりにもお天気が良すぎました。

室内の花菖蒲は肉眼ではそんなに綺麗でなかったのに。



ええ、鶴舞公園に大鷹が~嬉しいですね。

動物は環境が良ければこんな街中に来てくれるのですね。
この写真が大きく新聞広告になったそうです。

鶴舞公園内に山があるとは、今は山は思えないぐらいのちょっとした高さなのですが。

明治22年に市制が施行され、名古屋は県下初の市に。大公園を設置しようとする計画は幾度かありましたが、実現には至っていませんでした。
明治38年、たびたび氾濫した精進川(今の新堀川)を開削し、浚渫した土砂を兵器工場敷地の埋め立てに使う工事が始まりましたが、予想以上の土砂が余っていたため、当時、御器所村だった田園地帯を埋め立てる公園計画が進んだのです。さらに、当時の産業の発達を背景として持ち上がったのが、産業博覧会である第10回関西府県連合共進会の誘致。造成地で共進会を開催し、その後、本格的な公園整備を行うという一石三鳥ともいうべき計画でした。そして、明治42年10月に公園敷地を名古屋市に編入。同年11月19日に「鶴舞(つるま)公園」と名前を定め、名古屋市第一号の公園が誕生しました。
名古屋開府300年にあたる明治43年、鶴舞公園で共進会が開催されました。90日間の会期中に訪れた人は約263万人(当時の名古屋市の人口は約41万人)。共進会のために建設された施設は、本館をはじめとする各種パビリオンのほかに、貴賓館(後の聞天閣)、噴水塔、奏楽堂、胡蝶ヶ池、胡蝶ヶ池に架かる鈴菜橋、鯱ヶ池もありました。
共進会終了後、噴水塔と奏楽堂は名古屋市に寄付され、明治45年、それらの施設を取り込みながら公園の本格的整備に着手。設計は、東京の日比谷公園を設計した東京農科大学(現・東京大学農学部)教授の本多静六林学博士と、噴水塔・奏楽堂の設計をした名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)教授の鈴木禎次工学士が中心となり、日本庭園は村瀬玄中と松尾宗見の両宗匠が担いました。正門から噴水塔、奏楽堂を中軸とした左右対称のデザイン、噴水塔東に広がる芝生と花壇の幾何学模様は近世フランス式洋風庭園。胡蝶ヶ池、竜ヶ池、吉田山、熊沢山の起伏に富んだ地形の間を渓流が巡るのは廻遊式日本庭園。和洋折衷の大公園は、大正9年までに一応の完成をみたのです。