riboni5235’s diary

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<span itemprop="headline">対米自立に関する二つの新著を激賞 (天木直人氏)</span>

対米自立に関する二つの新著を激賞 (天木直人氏)

 元外交官の天木直人氏が、15日と16日に二つの新著を激賞するブログを発表しました。
 
 一つは、「日本はなぜ、『戦争ができる国』になったのか」(矢部宏冶  集英社インタ―ナショナル)です。
 天木氏は、この本は、”日本はなぜ『対米従属から自立できない国』になったのかというタイトルこそふさわしい」、「日米戦後史を語る時、もはやこれ以上の謎も、闇も、存在しない、「日米安保条約憲法9条は正面から矛盾するもので日米安保条約ほど不平等で不正義な同盟条約は世界にない。国務省もそのことを良く知っている」、「あとはこの事実を一人でも多くの日本人が知り、”きちんとした政権をつくって、占領下で始まった戦争協力体制だけは、さすがにもうやめさせてほしいと、自らの力で対米自立する努力をするしかない述べていますそして「この本がベストセラーとなるように筆者と二人で全国を行脚するつもりだ」とも・・・。
 折しもヒラリー候補と一騎打ちになっても互角に戦えるというトランプ候補が若しも大統領になれば、その日は我々の目の前に立ち現れることになります。
 
 そしてもう一つは、永続敗戦論でデビューした白井聡による「戦後政治を終わらせるー永続敗戦の、その先へ」 (白井 聡 NHK出版新書)です。
 天木氏はこの本についてこう解説しています。
 「白井氏は、なぜ我々は永続敗戦であり続けるのか=なぜ我々は対米従属から自立できないのか、それはこの国の権力を握る者たちの多くが、政界であれ、官界であれ、財界、学界、メディアであれ、対米迎合から利益を得ている対米従属利益共同体になってしまっているからだ、と喝破し、戦後レジームからの正しい決別、つまり対米自立は、まったく新しい政治をつくる事でしか実現できないと主張する。そのことだけでは一般国民を動かせないが、そこに矢部氏の新著が加わると白井氏は説得力を得る事になる。この二つの新刊こそ、新党憲法9条構想を支える双頭の書だ」と。
 
 天木直人氏の二つのブログを紹介します。
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この本を読めば誰もが憲法9条の偉大さに気づくことになる
天木直人 2016年5月15日
 集英社から一冊の本が郵送されて来た。
 「日本はなぜ、『戦争ができる国』になったのか(矢部宏冶著)」(1200円+税)(集英社インターナショナル 526日刊)とう本がそれだ。
 なぜこの本が私に送られて来たか。
 それは、著者が、この本を最もよく理解できるのは日本において天木さんしかいない、真っ先に天木さんに読んでもらって、評価をしてもらいたい、と出版社に頼んだからだという。
 おだてに弱い私だ。そう言われれば読まざるを得ない。
 そう思って読み始めたこの本こそ、私が求めてやまなかった本だ。
 求めてやまなかったけれど、見つける事が出来なかった本だ。
 そしてついにめぐり会えた。
 私が外務省をクビになってからの10年余りの苦悩の日々の中で、追い求め続けてきた究極の問いに対する見事な回答がそこにある
 読み始めるうちに、たちまち夢中になり、一気に読み終えて、いまこの書評を書いている。
 この本は、「日本はなぜ、『戦争ができる国』になったのか」というタイトルだが、「日本はなぜ『対米従属から自立できない国』になったのか」というタイトルこそふさわしい本だ。
 そこに書かれている事は、私がブログやメルマガで、模索しながら断片的に書き綴って来た事の集大成だ。
 しかも、それがすべて米国の機密公文書に基づいた「事実」によって体系的に裏付けられている。
 そこがこの本のすごいところだ。 価値あるところだ。
 日米戦後史を語る時、もはやこれ以上の「謎」も、「闇」も、存在しない、そう思わせるほどの衝撃的な事実の数々だ。
 そこに書かれている事実は、日本の政治家や外務官僚はもとより、日米政治史の学者・専門家さえも、その一部は知っていても、そのすべてを体系的に知っているものは一人もいない、と思わせる事実の数々だ。
 たとえば、日本を占領・支配してきたのは、米国政府ではなく、米国軍部であるという事実だ。
 たとえば、日米関係史のすべてが密約で成り立っているという事実だ。
 たとえば日本は、米軍基地の提供によって主権を放棄しているだけでなく、自衛隊の指揮権さえも、自衛隊が出来た当初から放棄していたという事実だ。
 たとえば、ここまで不平等で不正義な同盟条約は世界になく、その事を知っている米国務省は、もうそのような異常な事は止めようと何度も軍部を説得していたという事実だ。
 たとえば、理想を追求して創設された国連が、途中から米国自身の手によって否定され、国連軍が米国主導の有志連合軍になってしまったという事実だ。
 まさしく朝鮮戦争国連軍がそれであり、イラクやISに対する有志連合軍につながっていることがわかる。
 たとえば、日米安保条約の原案は米国がつくったという事実だ。
 岸首相による新安保条約は、不平等の解消どころか、旧安保条約と何も変わらず、「みせかけ」さえ対等になっていればそれでいいという米国の考えに従ってごまかされたものだったのだ。
 たとえば日米安保条約憲法9条は正面から矛盾するものであり、その矛盾は、極東の冷戦が熱戦になった朝鮮戦争を分岐点として決定的になったという事実だ。
 もう、これ以上引用する必要はないだろう。
 この本を読めば日米関係の矛盾のすべてが氷解する。
 いや、日本の矛盾が氷解する。
 安倍首相が、戦後レジームのチェンジと言いながら、なぜここまで対米従属に変わってしまったかがわかる
 安倍政権を打倒してみたところで、それだけでは何も変わらない事が分かる。
 著者はこう語りかける。
 ここに書かれていることはすべて米国の公文書で明らかにされた事実だと。
 あとはこの事実を一人でも多くの日本人が知り、怒り、きちんとした政権をつくって、「占領下で始まった戦争協力体制だけは、さすがにもうやめさせてほしい」と、アメリカに対して主張すればいいだけなのだ、と。
 われわれは、左翼とか右翼とかの主義、主張を超えて、自らの力で対米自立する努力をするしかないと。
 まさしく私の唱える新党憲法9条構想の核心である。
 読み終えた後、私は冗談ではなく本気で自信を持って断言する。
 この本を日本で一番正しく、的確に評価・解説できるのは私をおいて他にはいないと。
 この本は5月27日に発売予定だが以下の通りその主要部分は立ち読みできるらしい。
 読者には是非一読して意見を聞かせてほしい。
 私は近日中に著者と対談してこの本について語り、その動画をネット上で公開する予定である。
 この本がベストセラーとなるように筆者と二人で全国を行脚するつもりだ。
 ひょっとして、その事が新党憲法9条構想実現のはじまりとなるかもしれない(了)
 
立ち読みサイト・アドレス http://www.shueisha-int.co.jp/archives/3659
アマゾン・内容紹介 http://urx.mobi/tQGY
 
日本はなぜ、戦争ができる国になったのか」 矢部 宏治  集英社インターナショナル 2016.05.26 
 
 
新党憲法9条構想を支えるもう一冊の本
天木直人 2016年5月16日
 私は、実はいまからひと月ほど前に、もう一冊の本の献本を受けていた。
 その本は「戦後政治を終わらせるー永続敗戦の、その先へ」(白井聡著 NHK出版新書)と言う本だ。
 その本を推薦しようとしてそのままになっていた。
 そこに書かれている事はまさしく私の考えである。
 なぜ我々は永続敗戦であり続けるのか、つまりなぜ我々は対米従属から自立できないのか
 それは一般国民にその覚悟がないことと、この国の権力を握る者たちの多くが、政界であれ、官界であれ、財界、学界、メディアであれ、対米迎合から利益を得ている対米従属利益共同体になってしまっているからだ。
 そう喝破する著者は、民主党政権がなぜ破たんしたかの理由を、官僚の使い方が下手だったとか、人材が二流だったとか、政権政党としての覚悟がなかったとか、第二の自民党でしかなかったとか、などといった皮相的なことではなく(もちろんそれらも理由であることを認めているが)、この対米従属利益共同体という巨大な壁に立ち向かおうとしなかったからだと言い当てる。
 そして、この戦後レジームからの正しい決別、つまり対米自立は、冷戦後のいま、もはや保守、革新の問題でもなく、政権交代の問題でもない。まったく新しい政治をつくる事でしか実現できないと主張する。
 それはまさしく私がかねてから訴えて来たことだ。
 しかし、私はこの本を推奨する事にためらいがあった。
 そんな事をいくら書いてみても、私の書いたものがそうであるように、一般国民を動かせないと考えたからだ。
 何かが欠けている。
 そう思っていたところに出て来たのが、きのう紹介した矢部宏冶氏の「日本はなぜ、『戦争が出来る国』になったのか」だ。
 ここまで米国の日本支配が不正義、不条理である事が、米国政府の極秘文書で明らかになった以上、もはや一般国民といえども立ちあがるしかない。
 「戦後政治を終わらせる」と言う本を書いた時は、もちろん白井氏は、矢部宏冶氏の「日本はなぜ、『戦争が出来る国』になったのか」という本の事を知らなかったに違いない。
 そして白井氏は、この矢部氏の新刊の出版を得て、自らの正しさと説得力を得る事になる。
 この二つの新刊こそ、新党憲法9条構想を支える双頭の書だ。
 奇しくも白井氏も矢部氏も、日本が対米自立に目覚めるとすれば、それは沖縄からだと言い当てている。
 それもまた私の考えと見事に一致する。
 白井氏の「戦後政治を終わらせる」は既に発売されている。
 新書であるから読みやすい。
 その後で、矢部氏の「日本はなぜ、『戦争が出来る国』になったのか」を読めば、矢部氏の本の凄さが倍加する。
 おりから参院選がまじかに迫り、既存の政治の不毛さと歯止めのない安倍暴政によって、日本の行き詰りがますます明らかになっていく。
 この二冊の本は、日本の未来は我々の手で作るしかないという事を教えてくれる「希望」の書である。
 私は、「希望」は新党憲法9条構想の実現であると確信しているが、もちろん、それ以上の手段があれば、それがどのようなものであっても大歓迎だ。
 参院選の後に、あらたな動きが出て来なくてはいけない。
 その時に光輝くのが、この2冊の新刊である(了)
 
「戦後政治を終わらせる―永続敗戦の、その先へ」 白井 聡 NHK出版新書 2016.04.11

「デフレ下の消費増税は誤り」は経済原則では常識 (日々雑感)

 歯切れのよいことで知られる三橋貴明氏の経済論文を、これまた歯切れのよい「日々雑感」氏がブログに紹介しています。
 現下の状況で消費税を上げるなどは正気の沙汰ではないというのが常識なのに、何か直近(1~3月)のGDP久しぶりに少し上向いたからと、またまた安倍首相が動揺しているというような話も伝わっています。何とも浅ましいことです。
 いまは、僅かのブレなどは別にしてデフレマインドに覆われています。「デフレ下の消費増税は誤り」です。
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「デフレ下の消費増税は誤り」は経済原則では常識だ。
日々雑感 2016年5月18日
昨日(編注:5/14付)の日本経済新聞に、「消費増税再び延期 首相、サミット後に表明 地震・景気に配慮」という記事が掲載されました。
 ポイントを幾つか取り上げると、まずは「消費増税再び延期」 の具体的な中身です。一年延期か、数年延期か、あるいは「凍結」「減税」にまで踏み込めるか。ただの「延期」では、現在の停滞状況が続くことになってしまい、消費が回復することはないでしょう。結局、我々日本国民は、「将来的に消費税が増税される」という予想の下では、消費を拡大することはなく、むしろ「増税に備えて」預金を増やすのです。(無論、増税直前の駆け込み消費「のみ」はあるのですが)
 
実際、2014年の消費税増税後、日本国民の消費性向(所得から消費に回す割合)は、75%から72%に下がりました。増税で実質賃金を引き下げられ、かつ「将来、またもや増税」という話では、国民が預金の割合を増やすのも無理もありません。
 現在の日本経済は、消費税の増税延期ではなく「減税」最低でも「凍結」が必要な状況です。何しろ、消費税率を5%に戻したとして、それでようやく2013年度と同じ環境になったという話に過ぎません。
 
 また、安倍総理が消費税増税を再び見送った場合、完璧な公約違反になります。当然ながら、総理は説明責任を果たさなければなりませんが、「2014年度の消費増税が失敗であった」ことを、明確に認めることができるかどうかがポイントになります。「デフレ下の消費税増税は間違い」を政府が認め、国民に共有されない限り、結局は将来的に「また増税」という話になってしまい、我が国の経済低迷は継続することになります
(以上「三橋貴明氏の論文」より引用)
 
 きわめて当たり前のことを極めて明快に理論展開している三橋貴明氏の各種コメントはネットの世界では既に高い地位を占めている。ただ地上波などのマスメディアにほとんど露出されないため、一般国民の間では未だ広く認識されているとは言い難いのが残念だ。
 しかし三橋氏の論理展開に奇をてらっちたところは何もなく、むしろ経済学の入門書「経済原論」程度の分かりやすい論理を駆使し、根拠となる数字もすべて官公庁が公表しているものを使用するなど、極めて公正な経済論評だ。
 
 日銀短観などの企業経営者の「景況感」などという曖昧な数字をさも根拠があるかのごとく発表しているのとは大違いだ。もちろん財務官僚も三橋氏の論理展開に異を唱えることは出来ない。なぜなら彼が根拠としている数字を覆すことができないからだ。だから徹底して無視しいる。
 安倍氏も三橋氏のきわめて当たり前の提言を無視するのだろうか。政治家は己の名誉よりも己の良心に忠実でなければならない。彼が良心に忠実な政治家なら「消費増税は誤りであった」と認めることを屈辱的だと捉えるのではなく、国民に塗炭の苦しみを与えてしまった、と自らの拙速な政策判断を国民に詫びるべきだ。
 
 マスメディア各社もコメンテータを選ぶ際には政権べったりの御用評論家ばかりでなく、三橋氏のような当たり前のことを「当たり前」に発言する評論家を登用すべきだ。
 政権に対する批判精神を忘れたマスメディアなどに存在意義がないことは戦前の史実を改めて引っ張り出す必要もないだろう。きわめて当然なことを極めい「当然」に実施できるマスメディアであって欲しいものだ。


転載元: mimiの日々是好日