riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">郡上の立百姓</span>

作=こばやしひろし 演出=藤井ごう

宝暦5年(1755年)、
幕府をゆるがす農民コミューンがあった。

公演日程
9/17(土)-25(日)紀伊國屋ホール
9/27(火)神奈川県立青少年センター
9/28(水)府中の森芸術劇場ふるさとホール


子供の頃に二年間郡上八幡に住み、この有名な芝居や郡上踊りの唄の意味を知りました。

郡上のナー八幡 出ていく時は(ア ソンレンセ) 
  雨も降らぬに 袖しぼる
 (袖しぼるノー袖しぼる)アソンレンセ(雨も降らぬに袖しぼる)♪

を観ましたがこの舞台は見たのかどうか、今また観たいです。

20年ぐらい前に観た百姓一揆?の舞台、絵のようなシーンは覚えています。

決起した人々が立ちあがる所

学生時代は百姓一揆をテーマにしている同級生見るとへえーと思っていた私も変わりました。

ゼミや卒論のテーマは山上 憶良や園区う、地方寺院と僧侶等でした。

以下は青年座HPより

宝暦四年(一七五四年)、美濃(みのの)国(くに)郡上郡(ぐじょうごおり)百三十ヶ村の百姓たちが立ち上がった。年貢徴収法が改定され、より重い増税となってのしかかってきたのだ。
百姓たちの激しい抵抗に、郡上藩はいったん願いを聞き入れるが、一年後、庄屋衆の切り崩しから反撃と弾圧を始める。若き指導者・定次郎らは百姓たちをまとめ組織的なたたかいへと発展させてゆくが、次第に郡上内は藩に従う「寝百姓」と、あくまで抵抗を続ける「立百姓」に分裂、せめぎ合いは苛烈を極めていく・・・。



『郡上の立百姓』は、郡上一揆を題材に1964年こばやしひろし氏が自ら主宰する劇団はぐるまに書き下ろし、翌年には第二回訪中日本新劇団の合同公演として上演、その後劇団民藝にて全国巡演された。
―それから半世紀。彼らの闘いは、決して過去のものではない。「いかに生きるべきか?」いま大きな分岐点に立つ私たちにこそ、彼らが掴もうとした未来が託されている。熱気溢れる「郡上踊り」に秘められた想い、圧倒的な迫力とスケールで描く人間群像を、繊細かつ大胆な演出で定評のある藤井ごう氏を演出に迎えて贈る、壮大なたたかいと人間讃歌の物語。

「人はどのように生き、死んでいくのか」

藤井ごう

総勢40人越えの登場人物たち、唄に踊り…また凄い作品がやってきた。その幕切間近、中心人物の一人は言う。

定次郎「俺がお仕置きんなりゃ田畑一切はお取上げやぞ! 残るんはお母アと、かよと、きよだけなんや。何も残らん。何も残らんのや。(中略) 俺は女房持ちや。子供もある。そんなかで命捨ててかかったから、みんな固まってくれたんやぞ。 俺が独り者やってみよ、身軽やったら何でもやれる。そんでおしまいや。」

 幕府・諸藩と、百姓一揆の激しいせめぎ合いは、 苛政に苦しむ村人たちの困難を背負い幕府や藩に訴えた定次郎のような「義民」を生み、 彼らの多くは苛政を取り除くという目的は達したが、直訴の罪によって処刑された。
 これを過去のある一地点の一時の出来事と見ることは容易い。 だがしかし、今まさに立っている地点の現在の瞬間でないと誰が言えるだろう。
「義民」を礼賛したいのではない。 そうならざるをえなかった、その過程と葛藤に焦点をあてること、そこに活路を見出したい。
 彼らが本当に勝ちとったものとは果たして何だったのか―
 師(※)の最期の作品へのコトバ        
 「人はどのように生き、死んでいくのか」
 このコトバと向き合いながら、青年劇場の集団力と創造力をもってこの大作に挑もうと思う。  

高瀬久男氏(文学座

この舞台観たいのですが関東公演だけです。
現代に通じるものがあるでしょう。