riboni5235’s diary

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<span itemprop="headline">ワイダ監督死去と玉三郎、死刑制度</span>

アンジェイ・ワイダ監督死去、90歳=「抵抗3部作」で世界的評価―ポーランド

時事通信 10月10日(月)7時34分配信
 【ベルリン時事】共産主義体制下にあったポーランドで、弾圧を受けながらも反骨精神に満ちあふれた映画を撮り続けた巨匠、アンジェイ・ワイダ監督が死去した。

 90歳だった。AFP通信などが9日、報じた。

 反ナチズムを訴えた「抵抗3部作」で国際的な評価を獲得。世界三大映画祭の一つ、カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞した。 

1926年3月6日ポーランド東北部のスヴァウキで生まれる。ポーランド軍大尉だった父は対独戦中にカティンの森事件に巻き込まれて亡くなる[1]

青年時代に浮世絵をはじめとした日本美術に感銘を受け、芸術家を志す。第二次世界大戦中は対独レジスタンス運動に参加した。1946年クラクフ美術大学に進学する。その後、進路を変えてウッチ映画大学に進学。1953年に同校を修了した。

1994年に日本美術技術センターがクラクフに設立された。1988年にはドストエフスキーの『白痴』を原作とした舞台『ナスターシャ』の演出を担当。同作では坂東玉三郎を主演に起用し、1994年には再び玉三郎を主演に映画化も行っている。

ワイダ監督、立派な生涯ですね。

灰とダイヤモンド」「地下水道」「大理石の男」「鉄の男」
などと玉三郎主演映画は観ました。
さすが玉様



ドストエフスキー「白痴」の ムイシュキン公爵役とナスターシャの二役を演じています。

玉三郎は美しい西洋女形も見せてくれますが男優としても素敵

ショールを羽織るだけでナターシャに

「白痴」は読んだり昔加藤剛の舞台を観ましたが私には全然わかっていません。

どうして殺されるのかも。

投稿日:2012/08/07 レビュアー:港のマリー
これは意外、「男優」坂東玉三郎をじっくり鑑賞できました。ドストエフスキー「白痴」のムイシュキン公爵役とナスターシャの二役を演じています。
それにしても原作の大胆な翻案。入り組む多数の登場人物、感情の激しい人々の織りなすエピソードの数々をばっさり切り捨て、長大な物語の結末の部分、ついにナスターシャを、わが手で殺してしまったラゴージンのもとをムイシュキン公爵が訪ね、語り合う場面だけを取り上げます。
すでにワイダ監督演出でポーランドで舞台化されていたのですが、「椿姫」を演じる玉三郎を日本で見て、監督は新たな舞台作品をつくりました。
男たちの語りのなかだけにしか登場しない、帳の奥で息絶えて横たわっている、本来はいないはずのナスターシャを、ムイシュキンから成り代わった玉三郎が幻のように、美しく神秘的な女形の芸で見せます。本作はその映画化作品。
玉三郎さま、さすがに人間国宝です。ショールを肩にはおったり、そっとイヤリングをつけるだけで、堕落と純潔を同居させているような、それこそ殺したくなるほど愛しくて憎い、ファム・ファタルの姿が浮かび上がる。それも肉体を感じさせない幻影のような美しさ。生身の女性ではなく、男たちの憧れを純化させたエッセンスの身体表現とでもいいましょうか。女優には出せない独特の趣です。
ワイダ監督の古典絵画のような重厚な映画空間のしつらえがまた見事。照明が落とされときおりスモークが流れるほの暗い空間は、ラゴージンの心の闇のようでもあります。
ハンス・ホルバインの絵「墓の中の死せるキリスト」の見せ方も効果的ですね。
そのラゴージン役は永島敏行。それほど粗暴な男という感じはしませんが、まあ、そこがいいのかも。一人の女をめぐる二人の男が、恋仇であるのにかかわらず親密になる、ときに同性愛を思わせるほどに、というドストエフスキー特有の屈折した関係が、ムイシュキンとラゴージンの間にあるのですが、その関係があくまで上品に描かれています。
女性はムイシュキンのような人間から「憐憫」で愛されたいのか、ラゴージンの欲望と嫉妬を総身に浴び、殺されるほどに愛されるのが実は本望なのか、わかりませんんね。
革命運動に連座したかどで銃殺刑の寸前までいったドストエフキーならではの死刑論も、映画中で語られます。
「殺人の罪で人を殺すことは、当の犯罪よりも比べものにならないくらい大きな刑罰です。判決文を読み上げて人を殺すことは強盗の人殺しなんかとくらべものにならぬくらい恐ろしいことですから」一切の希望が絶たれた状態に、人間を置いてはいけないというわけです。