<span itemprop="headline">続ワイダ監督追悼</span>
ようやく昨夕から中日新聞にワイダ監督のニュースが載りました。
<成功には多くの父親がいるが、失敗はみなしごである>とは西洋の格言だが、九十歳で逝った映画監督アンジェイ・ワイダさんは、こんな信念を持っていたという。<映画が成功した時、私はそれを「私たちの映画」と呼び、うまくいかなかった時は「私の映画」と呼ぶことにしていた>
▼なぜ、そんなことが可能だったのか。彼は自伝『映画と祖国と人生と…』で記している。<大事なのは、検閲そのものを無効にしてしまうような映画を作ることなのだ
>。検閲できるのは、検閲官の想像力に収まるものに限られる。真の独創性があれば、検閲すら無力にできると
>。検閲できるのは、検閲官の想像力に収まるものに限られる。真の独創性があれば、検閲すら無力にできると
▼高野さんの著書『母』によると、畳の上に安置された遺体を前に、ワイダさんは騎士が王の前で挨拶(あいさつ)するように、片膝をつき胸に手を当てて、深々とおじぎをした。<その動きが美しくて、まるで映画の一シーンを見ているようだった>そうだ
▼今、世界中の映画ファンが、胸に手を当てて、巨匠の死を悼んでいることだろう。
難解なはず、
二〇〇〇年、米映画芸術科学アカデミーから「民主主義と自由をテーマにした作品で、第二次大戦後の欧州の人々に勇気を与えた」として名誉賞が贈られた。
日本との関わりが深く、自ら発案し、浮世絵などを集めた「日本美術・技術センター」を一九九四年、クラクフに設立した。