<span itemprop="headline">白洲正子ときもの展</span>
なんて知的でお美しく魅力的なのでしょうか。
松屋のこの展示の最終日に間に合わせて歌舞伎鑑賞の日を決めました。
着物姿の女性の多いこと!
着てみたいなと言う着物が一杯。
88年の生涯を通じて独自の美意識を貫いた随筆家・白洲正子(1910-1998)。正子にとって“きもの”もまた、美を語るうえで欠かせない対象であり、取材や著作において多くの言葉を残しています。
銀座で染織工芸の店「こうげい」を始めたのは46歳のとき。職人の技と、工芸作家の創意を結びつけることを理想とし、織りや染めの作り手と交流を深め、自身が美しいと感じる着物を世に広めました。能や骨董に没頭し、それらがおのずと自身の生活や執筆活動に取り込まれていったように、着物も常に正子の身近にあり、自宅で骨董を手にするとき、書斎で原稿に取り組むときなど、暮らしの折々に好みの着物を身につけました。
本展では、正子が母から受け継いだ帯や能舞台に立った時の着物、白洲邸武相荘での暮らしぶりを感じさせる季節ごとの着物や和装小物、日常に用いた器や書斎で愛用した品々など約150点を展観。白洲正子が愛した“きもの”の魅力をご紹介いたします 松屋HPより
銀座で染織工芸の店「こうげい」を始めたのは46歳のとき。職人の技と、工芸作家の創意を結びつけることを理想とし、織りや染めの作り手と交流を深め、自身が美しいと感じる着物を世に広めました。能や骨董に没頭し、それらがおのずと自身の生活や執筆活動に取り込まれていったように、着物も常に正子の身近にあり、自宅で骨董を手にするとき、書斎で原稿に取り組むときなど、暮らしの折々に好みの着物を身につけました。
本展では、正子が母から受け継いだ帯や能舞台に立った時の着物、白洲邸武相荘での暮らしぶりを感じさせる季節ごとの着物や和装小物、日常に用いた器や書斎で愛用した品々など約150点を展観。白洲正子が愛した“きもの”の魅力をご紹介いたします 松屋HPより
この武相荘に行きたいけど遠くて…、ここのレストランのカレー等はホテル並みにお高いそうで。
この展覧会の正子の装身具などのレプリカも高い!アンティークの方が安いくらい。
白洲正子 1910-1998
樺山伯爵の次女として生まれ、幼少より能の世界に触れて育つ。14歳でアメリカに留学。帰国後、白洲次郎と結婚。戦後は小林秀雄、青山二郎らとの交流を通じて文学、骨董の世界に踏みこんでいく。
『能面』『かくれ里』などの著書で知られる。生涯を通じて、権威や世評にとらわれない独自の「美」の世界を求め続けた。88歳で逝去。
『能面』『かくれ里』などの著書で知られる。生涯を通じて、権威や世評にとらわれない独自の「美」の世界を求め続けた。88歳で逝去。
松屋では別のコーナーで金継ぎの器ばかり展示していました。
白洲正子が愛した近江の魅力
西国巡礼』、『かくれ里』、『近江山河抄』などの著書で知られる随筆家の白洲正子さんは、近江の文化を愛し、何度も滋賀県を訪れました。
その滋賀県で、白洲さんの生誕100年を記念した特別展が開催されています。 特別展の会場となっている滋賀県立近代美術館において、『近江古事風物誌』の著者である高橋真名子さんと滋賀県の嘉田知事が、白洲さんの足跡をたどりながら、滋賀の魅力について語り合いました。
その滋賀県で、白洲さんの生誕100年を記念した特別展が開催されています。 特別展の会場となっている滋賀県立近代美術館において、『近江古事風物誌』の著者である高橋真名子さんと滋賀県の嘉田知事が、白洲さんの足跡をたどりながら、滋賀の魅力について語り合いました。
白洲正子と滋賀県(近江)のゆかりの地を、随筆「かくれ里」などの引用とスポットの写真 などを用いてご紹介しています。 ... 役行者腰掛像や十一面観音菩薩立像など、十一体 の国指定重要文化財の仏像が拝観でき、境内の紅葉も美しい。 住所: : 滋賀県東近江 ...