riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

リボンと仔猫たち 懐かしの動画


海苔食べる猫
この子の母猫は立って焼き海苔欲しがるのに、最近食べるのが鈍ったダブル、父猫、他の姉妹猫は食べません。母猫だけエキサイト、こちらが焼き海苔食べる暇なし。あけたら飛んできます
 
 
昨日はちょっと暖かかったので紫ルーシャンの始末やバラの剪定をしました。
ベランダはほとんど終わりましたが、花壇のバラはまだ一部なので又暖かい日を選んで剪定します。
花壇は北側で寒くて出来ません。今日は雪も降りました。
 
昨年は退院後で全然出来なかったのでERのセントオルバンやウィズリーなど伸びすぎて細枝にも咲いていました。それでも咲く、強いバラには感謝です。
 
猫がバラ水飲もうといじるし、時間も心得もなくうまく活けていないのでお恥ずかしいです。
 
 
 
ママのリボン、海苔ときゅうり、刺身には目がありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
子猫時代の4姉妹とママ
 
 
 
最初の77777は父猫がPCに乗ってきて出来しまったもの、なぜかうまく消せません。
 
相棒スペシャル、立派な建物が登場しラッキー。
 
ちゃんと主人公に「敗戦」と言わせていました。
 
 

ノーベル平和賞 サーロー節子さん演説全文 東京(中日)新聞

 
 
 
 十日オスロで行われた核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))へのノーベル平和賞授賞式で被爆者サーロー節子さんが行った演説は次の通り。 
 
 
      ◇
 両陛下。ノルウェーノーベル賞委員会の高名なメンバーの皆さま。ここにいる、そして世界中にいる運動家の仲間たち。淑女、紳士の皆さま。
 ICANの運動を形づくる傑出した全ての人々に成り代わってベアトリス(・フィン事務局長)と共にこの賞を受け取ることは大変な栄誉です。私たちは核兵器の時代を終わらせることができる、終わらせるのだという、かくも大きな希望を皆さま一人一人が私に与えてくれます。

▼座視しない

 被爆者は、奇跡のような偶然によって広島と長崎の原爆を生き延びました。私は被爆者の一人としてお話しします。七十年以上にわたって私たちは核兵器の廃絶に取り組んできました。
 私たちは、この恐ろしい兵器の開発と実験から危害を被った世界中の人々と連帯してきました。(核実験が行われた)ムルロア、エケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニといった長く忘れられた地の人々。土地と海を放射線にさらされ、人体実験に使われ、文化を永遠に破壊された人々と連帯してきました。
 私たちは犠牲者であることに甘んじることはありませんでした。灼熱(しゃくねつ)の終末を即座に迎えることや、世界がゆっくりと汚染されていくことに対し、手をこまねいていることは拒否しました。いわゆる大国が、無謀にも私たちを核のたそがれから核の闇夜の間際へと送り込むことを、恐怖の中で座視することは拒否しました。私たちは立ち上がりました。生き延びた体験を分かち合いました。人類と核兵器は共存できないのだと声にしました。

▼叫び声聞こえた

 きょう、この会場で皆さまには、広島と長崎で死を遂げた全ての人々の存在を感じてほしいと思います。雲霞(うんか)のような二十数万の魂を身の回りに感じていただきたいのです。一人一人に名前があったのです。誰かから愛されていたのです。彼らの死は、無駄ではなかったと確認しましょう。
 米国が最初の原爆を私が住んでいた都市、広島に投下した時、私はまだ十三歳でした。私は今もあの朝を鮮明に覚えています。八時十五分、窓からの青みを帯びた白い閃光(せんこう)に目がくらみました。体が宙に浮かぶ感覚を覚えています。
 静かな闇の中で意識を取り戻すと、倒壊した建物の中で身動きできないことに気付きました。級友たちの弱々しい叫び声が聞こえてきました。「お母さん、助けて。神さま、助けて」
 そして突然、私の左肩に手が触れるのを感じました。「諦めるな。頑張れ。助けてやる。あの隙間から光が差すのが見えるか。あそこまでできるだけ速くはっていくんだ」。誰かがこう言うのが聞こえました。はい出ると、倒壊した建物には火が付いていました。あの建物にいた級友のほとんどは生きたまま焼かれ、死にました。そこら中が途方もなく完全に破壊されているのを目にしました。
 幽霊のような人影が行列をつくり、足を引きずりながら通り過ぎていきました。人々は異様なまでに傷を負っていました。血を流し、やけどを負い、黒く焦げて、腫れ上がっていました。体の一部を失っていました。肉と皮膚が骨からぶら下がっていました。飛び出た眼球を手に受け止めている人もいました。おなかが裂けて開き、腸が外に垂れ下がっている人もいました。人間の肉体が焼けた時の嫌な悪臭が立ち込めていました。
 このようにして、私の愛する都市は一発の爆弾によって消滅したのです。住民のほとんどは非戦闘員でした。彼らは燃やされ、焼き尽くされ、炭になりました。その中には私の家族と三百五十一人の級友が含まれています。

▼愚行を許さない

 その後の数週間、数カ月間、数年間にわたって、放射線の後遺症により予測もつかないような不可解な形で何千もの人々が亡くなりました。今日に至ってもなお、放射線は人々の命を奪っています。
 広島を思い出すとき、最初に目に浮かぶのは四歳だった私のおい、英治の姿です。小さな体は溶けて、肉の塊に変わり、見分けがつかないほどでした。死によって苦しみから解放されるまで弱々しい声で水が欲しいと言い続けました。
 今この瞬間も、世界中で罪のない子どもたちが核兵器の脅威にさらされています。おいは私にとって、こうした世界の子どもたちを代表する存在となりました。核兵器はいつどんなときも、私たちが愛する全ての人々、いとおしく思う全てを危険にさらしています。私たちはこの愚行をこれ以上許してはなりません。
 苦しみと生き延びるためのいちずな闘いを通じて、そして廃虚から復興するための苦闘を通じて私たち被爆者は確信に至りました。破局をもたらすこうした兵器について、私たちは世界に警告しなければならないのです。繰り返し私たちは証言してきました。
 
 しかし、広島と長崎(への原爆投下)を残虐行為、戦争犯罪と見なすことをなお拒絶する人たちもいたのです。「正義の戦争」を終わらせた「良い爆弾」だったとするプロパガンダを受け入れたわけです。こうした作り話が破滅的な核軍拡競争をもたらしました。今日に至るまで核軍拡競争は続いています。
 今も九つの国が都市を灰にし、地球上の生命を破壊し、私たちの美しい世界を未来の世代が住めないようにすると脅しています。核兵器の開発は、国家が偉大さの高みに上ることを意味しません。むしろ、この上なく暗い邪悪の深みに転落することを意味するのです。こうした兵器は必要悪ではありません。絶対悪なのです。

▼終わりの始まり

 今年七月七日、世界の大多数の国々が核兵器禁止条約の採択に賛成した時、私は喜びでいっぱいになりました。私はかつて人類の最悪な側面を目撃しましたが、その日は最良の側面を目撃したのです。私たち被爆者は七十二年の間(核兵器が)禁止されることを待ち続けてきました。これを核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。
 責任ある指導者であれば、必ずやこの条約に署名するに違いありません。署名を拒否すれば歴史の厳しい審判を受けることになるでしょう。彼らのふるまいは大量虐殺につながるのだという現実を抽象的な理論が覆い隠すことはもはやありません。「抑止力」とは、軍縮を抑止するものなのだということはもはや明らかです。私たちはもはや恐怖のキノコ雲の下で暮らすことはありません。
 核武装した国々の当局者と、いわゆる「核の傘」の下にいる共犯者たちに言います。私たちの証言を聞きなさい。私たちの警告を心に刻みなさい。そして、自らの行為の重みを知りなさい。あなたたちはそれぞれ、人類を危険にさらす暴力の体系を構成する不可欠な要素となっているのです。私たちは悪の陳腐さを警戒しましょう。
 世界のあらゆる国の、全ての大統領と首相に懇願します。この条約に参加してください。核による滅亡の脅威を永久になくしてください。

▼光に向かって

 私は十三歳の時、くすぶるがれきの中に閉じ込められても、頑張り続けました。光に向かって進み続けました。そして生き残りました。いま私たちにとって、核禁止条約が光です。この会場にいる皆さんに、世界中で聞いている皆さんに、広島の倒壊した建物の中で耳にした呼び掛けの言葉を繰り返します。「諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ」
 今夜、燃え立つたいまつを持ってオスロの通りを行進し、核の恐怖という暗い夜から抜け出しましょう。どんな障害に直面しようとも、私たちは進み続け、頑張り、他の人たちとこの光を分かち合い続けます。この光は、かけがえのない世界を存続させるために私たちが傾ける情熱であり、誓いなのです。 (オスロ・共同)=ノーベル財団公表の公式テキストによる

 

連れ合いが可愛がってる菜園(爆)

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野菜の種、苗を買ったり、三重のもくもくでプレゼントされた種で出来た野菜たちです。
蕪が美味しい
葉っぱも頂いてます。
 
ブロッコリーは全然駄目です。
何がいけなかったのでしょうか
 
薬局で苗を買いましたがご存知の方教えてください。
 
昨日はちょっと寒さが和らいでいたので
薔薇の剪定をしました。
いつもはこんなに早く剪定しないのですが今年は秋の長雨
や早い寒波でもうバラも咲けないなと思い蕾を切りました。
 
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いつもながら突っ込んだだけ、今年の名残のバラです。
左のビスケットは美味しくなかった
 
シュトーレンと一緒に缶買いしました。
 
アンティーク缶は高いけど
 
現行物は可愛い女の子等ついてると即買です。
 
アンティークで人気のあるティン缶
 
 
 
 
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何者かがかじります。
 
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このパセリがなかなか美味しい、全く癖がなくつむと
次々出てくれました。
これは切った後でちょっと乱れてますが。
 
 
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花瓶のバラ引っ掻き出してバラ水飲む猫、花瓶はひっくり返り水がこぼれました。。
 
 


大根も収穫しました。辛味(からみ)大根

 
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先日テレビ鑑賞した「92歳のパリジェンヌ」の映画の実在のモデルです。
 

 

ようやく夢二カフェ五龍閣にたどり着けました♪

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まだ京都、奈良、郡山、2泊の旅の途中でした(苦笑)
ここは…京都東山七条、京都女子大の坂の入り口の
フフォーシーズンホテルです。11月8日
 
 
 
 
フォーシーズンホテル積翠園見学のランチの後は
 
 
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ええ、こんな立派な建物初めてとは
学生時代このあたり歩いてるはずなのに。
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Pからの風景、五龍閣とは関係ないのです。
この風情ある洋館は学校?ご存知の方教えてください。
 
 
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清水、五条坂、三年坂は学生時代、よく歩いたのに、
連れ合いが車だけなので平日でも大混雑のなか迷って困りました。
ネットで下調べしていても分からない
 
このPに停め
人力車のお兄さんに聞いてやっとわかりました。
商売の邪魔してごめんなさい。
お店の人はバイトが多く知らない方がほとんど。
 
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私たちはフォーシーズンホテルでランチしたので、
ここではドリンクだけで残念。
 
 
 
 
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重厚な暖炉が見えてきました。
 
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夢二グッズ販売、
若いころ大正ロマン夢二にこり映画を観たり
東や西の夢二の美術館に行きました。
弥生美術館では宵待ち草の小さなオルゴールを買いました。
 
 
 
 
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階段室が大好き
 
 
薄暗くボケてますが好奇心いっぱいの私は上階へ。
 
 
こんなトイレが
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又画像消えています。
最上階はお座敷があり何やら鍋の用意。
 
画像消えていて、直します。
 
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良い所を教えて観た抱き感謝です。
 
多分、私の学生時代は大昔なのでwww
公開もされず、
他の建物にさえぎられて観えなかったのでしょう。
 
ランチタイムは過ぎていたのせいかすいてました。
あの喧噪の二年坂、三年坂には参りました。
 
和物の骨董で名高い三年坂美術館
今回は、はいる時間ありませんでした。
 
 
 
 
 

続紅葉ライトアップの東山動物園とチンパンジー母子、トラ、サイ、ゾウ

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ニルギリさん、ブンタ君お見合い?
 
 
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何を観ているのか、東山の看板娘 スマトラトラ「ダマイ」
 
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視線の先をたどっても何があったのか、私にはわかりませんでした。
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猫科大好きです。
 
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ライオン舎の近くには瀬戸や常滑より古い登り釜があったとぶらタモリで紹介されてました。
 
ライオンの写真はこちら↓
 
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さすが上手ですね。ケニ―さんの事をもっと調べなくては。
 
 
2015/11/29 に公開
アフリカゾウのケニー(メス)は、昭和50年11月10日に2才(推定)で東山動植物園に来園し、今年で40年になります。ケニア出身。11月22日撮影。
東山動物園でのアフリカゾウ飼育は、ケニーが最後になります。
 
 
 
 
動物園長のZOOコラム↓
 
 
 
 
 
 
 
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夜景は苦手ですがあんまり綺麗だったので。
 
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室内では1頭しか抱いてないようでしたが、
周囲のチンパンジーたちも母子を気使っているようでした。
人間のように赤ちゃんを抱いてあやしてる姿に深く感動しました。
命の大事さを教えられます。
 
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こんな手の込んだアフタヌーンティーは初めて

 

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緑区のうつかさんと、この薔薇館は好きでお馴染です。
薔薇館は20年ぐらい通っています。今年はなんと
50周年記念ポストカードやクッキーも頂きました。
カメラを持っていかなかったのでスマホ撮影。
 
御器所まどかさん香輔さん、石川橋の市場の寿司やさん
美味しい店なくなり寂しい。
 


ランチしてたまったポイントでお茶でもと思ったら。
 
ギャラリーで花のアレンジ発表の方々が
アフタヌーンティーをされていました。
 
こんな機会は又とありません。


手の込んだオープンサンド
これに小さなスープとサラダ、ケーキいくつも
最後にはアイスまでも
 
今から13年ぐらい前イギリス、
ヒドコートマナーガーデンで出会った
女性が私が旅慣れない途方にくれた変なオバサンさんだと
可哀想に思い、
車に乗せてくれました
 
次に女三代の庭で有名なキフツゲーツガーデンへ。
 
キフツゲーツガーデン見学もそこそこに
ガイドブックに載っているアフタヌーンティーの店に
行くからと
あわただしくガーデンを去りました。
 
行った所は全然美味しくない店でした。
まだネットも一般的でなく、ガイドブックはあてにならないのです。
おまけに↓のガーデンも半分しか観ていませんでした
 
 
でも私はこれで翌年レンタカー借りる決心がつき
コッツウオルズの名園を巡りました。
 


ボケていてすいません、
 
上段は見えてませんが透明ゼリーや本物の白いバラ、
チョコレートケーキに、金粉かかったリンゴのタルト
 
 
 
 
最後はアイスクリームまで
 
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ギャラリー
ここのアンティークは素晴らしいです。
 

 


 
こんなにケーキは食べられませんので家に持ち帰りました。
手間かけるので申し訳なく箱代払うからといっても。
 
冷たい氷一杯の水でなく白湯出してくれたのも嬉しいです。
スペイン料理のエル・トレロの可愛いお姉さんも私が氷出していたら、氷なしの水をくれました。
気がきく方です。
 
孤独なアメリカ人が作ったイギリスの
 
は現在のイングリシュガーデンの元になりました。
 
 

レッドパンダ、和歌山アドベンチャーワールド6

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今年10月上旬の事です。
 
 
閉園間際の和歌山アドベンチャーワールドのレッドパンダ
飼育員の女性がが掃除しています。
和歌山の記事はパンダにかまけていました
 
パンダにあんなに間近で会えるなんて
東京のシャンシャンは無理なので。
 
昨日、三島のレッドパンダ一緒にUPするつもりが
うちのネコの話になってしまいました。
 
 
 
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もう自宅のベッドに帰りたい
 
東山動物園のナイトズーでもこんな風景観ました。
扉ドンドン
 
夜が更けても帰れないのはストレスですね、
 
ナイトズーは夏に2回行っただけで反対の気分になりました。
 
植物園のライトアップは短期間ですし、綺麗です。
その記事も途中で忘れそうです。トホホ
 
凄い飼育員渡辺さんのトーク!ナイトズー2回目
 
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でも飼育員さんがサービスのためか餌をバラまいてくれました。
三島のココロちゃんに比べ尻尾が短い。
 
 
爪が鋭いですね。
 
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ボケてますが私の記念です。
和歌山は遠くしかも電車代が高いのでもう行けそうにもない。
大阪回りです。
どちらから行っても遠いのですがまだ
大阪回りが良いと言うので。
 
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インコちゃんに腕に乗ってもらえると言う情報もあります。
これだけ大きいと私には無理無理
 
レッドパンダはインコの横にいます。
アドベンチャーの入り口に近い。
 
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現在は、レッサーは蔑称の意味があるので、英語ではなるべくレッドパンダを使うように する動きがある。 中国語では、ジャイアントパンダのことを「大熊猫」(大熊貓 / 大熊猫、 dàxióngmāo; ターショォンマオ)と記すのに対し、レッサーパンダは「小熊猫」(小熊貓 / 小熊猫、xiăoxióngmāo; シャオショォンマオ)と呼ばれる。「パンダ」同様本来「熊猫」は レッサーパンダを指す。 ジョルジュ・キュヴィエの弟であるフレデリック・キュヴィエは、 レッサーパンダの標本を見て感動し、ラテン語で「炎色のネコ」という意味をもつ“Ailurus fulgens” ...
 
 
足元にもパンダ
 
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この日はトラブルで宿泊出来ず、長時間電車に乗る羽目になりました。海は綺麗でした。
有名な温泉地なのに。
 
白浜、勝浦、那智の滝などは大昔に行きました。
名古屋から近鉄電車に乗って。
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