riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

ユキヒョウ・リーベのニュースと猫、カワウソ、カバ、トラ、ライオン

もう14歳なので心配です。
札幌円山から環境良くない浜松へ。
 
引用始め
2018/02/13 に公開
札幌市円山動物園ユキヒョウの「リーベ」が、静岡県浜松市動物園に転出することになり、公開最後の日の2月13日、多くの人が訪れました。

 真っ白な雪が降り積もった飼育施設の中で、雪と戯れるユキヒョウの「リーベ」。

 「リーベ」はメスの14歳で、これまで円山動物園で3頭の子を産んでいます。

 今回、繁殖のため浜松市動物園に転出することになり、13日が円山動物園での公開最後の日でした。

 訪れた人:「雪で後ろが白いとすごく映える。雪がいっぱいの所にいると、よりかわいいという感じ」

 「リーベ」は16日、浜松市に向かって、出発します。
引用終わり
 
 
東山のサン
 
 
 
 
 
多摩動物園のこの環境、うらやましい
 
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これも多摩
 
 
 
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東山のカワウソ
 
 
 
 
 
 
 
 
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東山のカバさん
 
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舞台人の熱い思い・ミュージカル『HEADS UP!/ヘッズ・アップ!』

 
ようやくこの日が来ました。
名古屋で公演したら満員になったのに
名古屋は何やってるのでしょうか。
初めて刈谷の劇場まで友人と電車で行きました。
公式ホームページ:http://www.m-headsup.com/

ライトの向こうに俺たちがいる―― 一万人を熱くさせた奇跡のバックステージ・ミュージカル再び!2017年12月~2018年3月、神奈川・東京他全国各地で上演。
 
 
自分にとって”運命的”なタイミングで出会えた作品/ミュージカル『HEADS UP!』中川晃教インタビュー
普段、表舞台に登場することのないバックステージで働く舞台スタッフの奮闘を、心弾む音楽に乗せて贈るミュージカル『HEADS UP!/ヘッズ・アップ!』は、ラサール石井が原案・作詞・演出を手掛けた日本オリジナルのミュージカル。役者を中心に舞台裏の騒動が繰り広げられる“バックステージもの”とは異なり、本作は新人とベテランふたりの“舞台監督”をはじめ、裏方のスタッフを中心に展開する。オリジナルミュージカルとしての質の高さが評価され、第23回読売演劇大賞 演出家部門 優秀賞を受賞。2年の時を経て、ほぼ初演時のキャストによる再演が決定した。
https://ilip.jp/I0003004
今回は、劇場付雑用係・熊川義男役の中川晃教にインタビュー。『HEADS UP!』やミュージカル、自身のエンターテインメントに対する熱い思いを語ってもらった。
この作品はやはり原案・作詞・演出のラサール石井さんの手腕がフルに発揮されていると思います。ラサール石井さんはどのように人を笑わせて、どのように心を揺さぶっていくかを具体的に緻密につくっていく方です。そしてジェットコースターに乗っているような感覚で次から次へと笑いの爆弾が投下されるので、すごく笑えるんです。けれどもその笑いが最後、涙に変わっていくところが、この作品の一番の魅力かなと思います。

素舞台からセットが立ち、お客様が入り、幕を開けて、バラして、また素舞台に戻すまで、そこで人がどのように命を懸け、魂を燃やして舞台の幕を開けているのかというところにスポットライトを当てたストーリーです。その着想は、ラサール石井さんにしか思い描けなかった人間ドラマ、ラサール石井さんにしか生み出すことができなかった作品なんだということが、関われば関わるほどよくわかってくるんです。だから『HEADS UP!』=ラサール石井さん自身、とも思えることがあります。
ラサール石井さんの演出はどのような感じなのでしょうか?
俳優それぞれの個性や役との化学反応も含めて、役者に全信頼をおき委ねてくださっているので、俳優としてはすごく嬉しいです。その反面、何を狙っているのかが稽古で浮き彫りになり、自分の任されている役割を自覚するほど、厳しいものがはっきりと目の前に見えてくるので、決して甘い現場ではないと思います。ひとりでは生み出せないのが舞台で、幕が開いたらやはり全員で完走しないと感動につながらないので、そこがラサール石井さんの作品のコメディ性、センスの個性に直結してくることを実感しながら稽古をしています。
―前回は賞も受賞していらっしゃる作品です。
読売演劇大賞 演出家部門 優秀賞をいただいたことは、観てくれた方々が評価してくださって、自分たちがやっていることは間違っていなかったんだと背中を押してもらえるきっかけになりました。

お客様の目には見えない裏側ですが、関わる人たちの作品への思いや愛が、「この作品は愛情があるね」「みんな楽しそうだね」「みんな仲良さそうだね」という雰囲気となって作品の根幹と直結しています。各々がやるべきことをちゃんと全うした時に初めて、あの感動が生まれているんだなと実感できる現場です。
―現場での印象的なエピソードなどはありますか?
座長の哀川さんのプロ意識を垣間見ることができるだけでも現場にいて幸せですね。哀川さんは舞台というよりは、一世風靡やVシネなどで、日本のエンターテインメントの中でのブームを作った方。初めてご一緒して、その中でどういう在り方をするんだろう、どうやって作品と向き合うんだろうと気になっていたのですが、プロ意識の一面が見えて、こういう作り方もあるんだなとか、こういう存在もいるんだなと教えられた時に、哀川さんと一緒に仕事ができることに対して、この経験を今後に生かせるように頑張ろうと思えるだけでもすごく幸せです。
―具体的には哀川さんのどのようなところに感銘を受けましたか?
押し付けないところ、そして、相手を尊重するところです。
哀川さんは、相手に求めるのではなく、委ねることで物事を進めていくんです。座長として、その俳優が選んだ選択肢を僕たちの間で共有し合いながら引っ張っていってくださる。だからといって長年の経験だけを頼りにするわけでもないですし、親しみを感じさせながらも、演出家の求めること、演出家が導こうとしているところへしっかり応えていこうとする。もう唯一無二ですよね。真似しようと思ってもできないことだと思いますし、そうやって人の心が動いていく様を間近に見ていると、哀川さんじゃなければこの作品はここまでこなかったと思います。信頼できる方で憧れますし、居方、牽引の仕方などもすごく勉強になりました。
―中川さんが演じる役についてもお聞かせください。熊川は始めに舞台の素晴らしさを観客に伝えるという重要な役ですよね。
僕の演じる役・熊川は、人の思いや心、を伝えるような役割のような気がするんです。
別の言い方をすると、日常の中でも人の思いが人の心を動かす瞬間はあると思うのですが、熊川が体現しているこの思いはラサール石井さん自身とも重なる気がして、熊川という役は“ラサール石井さんの思い”ともとれるなと思いました。

同時に、熊川は役なんだけれども、僕の実体験というか、自分自身ともとれるんです。お客様に感動を届け、夢をお見せする。そして「ああ、今日観に来てよかった」「また明日からがんばろう」って思ってもらえる。これってエンターテインメントの要だと思うんです。スキル・経験値もすごく重要なんだけれども、この作品に携わる自分がどんなふうにこの作品と共に生きるのか、公演時間をどう生ききるか、ということまで含めて考えさせてくれるので、俳優個人としても、出会えてすごく幸せだなと思える作品です。
―様々な舞台にご出演経験のある中川さんにとっても、特別な作品。
役者にとって作品との出会いって本当に奇蹟だと思うんです。僕自身も色々な作品、現場を経験させていただきながら、ようやくそう思えるところに片足を突っ込んだくらいの感覚ですけれども。

今回の再演をきっかけにより幸せに感じるのは、今までも色々な現場でエンターテイナーとしての気づきを経験させていただきましたが、自分自身のエンターテイナーとしての気づき、エンターテインメントとはどういうものなのか、そして、そのエンターテインメントがちゃんとお客様に伝わったときの感動まで含めてこの作品にはあるんですよね。その気づきがあったときに、こういう作品、こういう役、こういうカンパニーと出会えることは役者としてすごく幸せなんだなって思いました。
―再演についてはどのようにお考えですか?
今回の再演で、初演ではうかがえなかった場所で公演ができることもこの作品の持っている魅力かなと思っていて、色々な劇場をまわることもすごく大切だと思うんです。東京はいい意味でもそうでない意味でも色々なものが集中していますから、恵まれているけれども、恵まれている分見えないこともある。でも、東京から一歩外に出て、初めてエンターテインメントに触れるお客様の空気感を目の当たりにしたときに、本当の意味で自分自身が試されると思うんです。

この作品に関わった以上、そういうことも含め、『HEADS UP!』が日本全国で感動をお届けできうる作品として成長していくために自分は何ができるか、ということはすごく考えています。特にミュージカルが熱い、流行り始めている今だからこそ、海外の輸入ミュージカルとは一味違う、日本人が作ったオリジナルのミュージカル『HEADS UP!』を知っていただきたいと思う気持ちは強くなりました。「『HEADS UP!』を観に来てください」って言えるのは、やっている自分自身が本当にそう思えるからだと思うんです。

そういう実感を持って関わる人たち全員が動き始めたときに、初めてブームになる、ひとつのムーブメントが生まれる。そのムーブメントが評価されたときに本物になっていくんだと思うんです。『HEADS UP!』はエンターテインメントのシーンが盛り上がっていく上で、役者、創る側にとっても、まさにターニングポイントと言えるような作品だと僕は思っています。
―この作品に対する中川さんの強い思いを感じます。同時に、エンターテイナーとしてのこだわりもすごく伝わってくるのですが、中川さんにとってエンターテインメントとは何でしょうか?
エンターテインメントは職人の仕事と同じ、専門の仕事だと思います。例えば家を作るとすると、家によってそれぞれ職人の技術って変わってくると思うんです。そのすべてを本当の意味で網羅できる人がいるとするなら、エンターテイナーというのはそういう人たちなんじゃないかなって。専門がそれぞれにあって、人を感動させ喜ばせるという意味では、どれも自分の中では一定のクオリティーを保っているけれども、「自分の一番はこれです」というものをしっかり持っていることが重要なのかなと。専門性を持っていることがその道のプロであり、エンターテインメント全体を盛り上げていくために実は一番必要なピースではないだろうかと最近思うようになりました。

僕は本物のエンターテイナーになりたくてここまでがんばることができましたが、そう思わせてくれたのはこれまで出会ってきた先輩方や仲間たちです。今の時代は、何が自分にとって必要なのか、何が自分にとって欠けているのかということを教えてくれる、気づかせてくれる仕事やチャンスは10年前と比べても増えてきていますし、この先エンターテインメントに関わっていく上で、本物というものを広い目で見ていきたいなとは思っています。同時に、そこでしっかりと自分の役割を果たせるように経験を積んでいきたいと思っています。

 

 

 
劇場の前では綺麗でスタイルも歌唱力も高い、女性のアカペラ
ショーが有り楽しませてくれました。
 
『HEADS UP!/ヘッズ・アップ!』は、ラサール石井が原案・作詞・演出を手掛けた日本オリジナルのミュージカル
読売演劇大賞 演出家部門 優秀賞受賞
 
裏方さんに光当てています。
大河直虎でも活躍された劇団新感線の橋本じゅん
熱いですね。
中川君見あてに行きましたが今さんのオペラ歌手のような歌唱に酔いました
 
中川君の歌は又聞きたいです。
ここでは地味目の役ですがわけありです。
 
元宝塚トップも男役の時はダークな雰囲気でお綺麗で
さすがカッコいい。
 
以下は又中川インタビューの続きです、
私の覚えなのでスルーされてください。
―中川さんほどの経験のある方がそうおっしゃるのは意外でした。
結局自分が携われる作品ってそんなに多くはないじゃないですか。例えば3か月間に100作品の公演があるとして、その中でできる作品は物理的に限界がある。やっぱり自分が関わった作品を多くの方に観てもらいたいと思うには、自分の中で確固たるビジョンがないと、と思うんです。なぜ自分がこの作品に出ているのかがわからなくなってしまったり、自分にはやりたいことがある、ということを見失いそうになった時に、ふと立ち止まって考えることは増えました。
―それは年齢的なものもあるのでしょうか。
今は35歳から40歳に向かって行くターニングポイントでもあると思うんです。自分が関わり大切にしていた役を次の世代にバトンタッチする立場にもなってきていますし、そういう時の流れというか時間の積み重ね、砂時計で言ったら砂の中に埋もれていくのではなく、絶えずその砂時計を循環し続けられるように、エンターテインメントという全体の枠組みの中での自分の役割を見据え、自信を持てるようにならないと、どこか置いていかれるような感覚に苛まれるんだろうなと感じるようにはなりました。不安ではないんですけど。そうなった時の現場での居方や自分自身の言動を振り返るようにはなりましたし、今はそういう時期ですね。
―そのようなターニングポイントで、今回『HEADS UP!』の再演が決まった。
本当にいいタイミングで再演が決まりました。再演を決めるのもエンタメ業界では決して簡単なことではないですから、色々なものがピタッとハマった気がします。今そこに存在できている自分をもう一度振り返ったときに、改めて『HEADS UP!』と出会えて良かったと思いますし、ここからまた新たな一歩が始まると思った時の色々な気づきが、この作品により深みを持たせる動機ともつながってきていると思います。

人生の限られた時間の中で命を燃やして自分が与えられた目的を全うするというのは、役者だけではなく色々な人たちに通ずることだと思うんですけれども、その瞬間をライブで見ることができる舞台があるからこそ、しっかりと舞台に立ち続けることができるように頑張っていきたいと思っています。

ミュージカル『HEADS UP!/ヘッズ・アップ!』
2018/3/2~12 TBS赤坂ACTシアター
http://www.m-headsup.com/
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中川晃教プロフィール
1982年11月5日生まれ。宮城県出身。
シンガーソングライター/俳優。2001年8月1日、自身が作詞作曲の「I Will Get Your Kiss」でデビュー。同曲にて第34回日本有線大賞新人賞を受賞。2002年ミュージカル「モーツァルト!」でタイトルロールを演じる。
以後、音楽活動と並行して俳優としても活動を開始。2016年に出演したミュージカル「ジャージー・ボーイズ」では第24回読売演劇大賞最優秀男優賞、第42回菊田一夫演劇賞を受賞。近年の主な出演作品に「グランドホテル」「フランケンシュタイン」「きみはいい人、チャーリー・ブラウン」「ビューティフル」など。出演のみならず楽曲提供としても舞台に携わっている作品多数。また舞台のみならずNHK大河ファンタジー「精霊の守り人 最終章」ではラダール役にて出演。
6月より『銀河鉄道999』〜GALAXY OPERA〜 星野鉄郎役で出演。また9月よりミュージカル「ジャージー・ボーイズ」の再演が控える。

真央さんと宇野君、羽生君、前川さん、ナチス前夜

今フリーを観ました。おめでとう
皆さんの頑張りに泣けてきます。美しい音楽と芸術的な滑り。
最後に滑りおわった宇野君が「あぶねえ」と、
樋口コーチの笑顔はいつもいいですね。机叩いて応援
 
真央ちゃん追って15年 フィギュア・宇野、メダルへ滑走 
2018/2/17 朝刊
http://chuplus.jp/pic/113/o/527439_0_00.jpg
スケートを始めたころの宇野昌磨選手(左)と浅田真央さん=名古屋市で(宇野選手の家族提供)
 【江陵(カンヌン)=原田遼、安福晋一郎】日本人選手の華麗な滑りが観客と一体になった。平昌(ピョンチャン)五輪のフィギュアスケート男子ショートプログラム(SP)で、羽生結弦選手(23)が首位、宇野昌磨(しょうま)選手(20)が三位につける好発進。十七日のフリーで目指すのはダブル表彰台だ。
 珍しくガッツポーズをつくった。SP三位の宇野選手。「完璧でなかったけど、満足している」。先輩から受け継いだ不屈の魂で力をつけ、大舞台で伸び伸びとした演技につなげた。
 五歳のとき。名古屋・大須のリンクでスケート教室に参加すると、近くで滑っていた中学生のお姉さんが近づいてきた。「君かわいいね。フィギュアやりなよ」。両親から「浅田真央ちゃん」と教わったその人は、誰より高く跳び、くるくる回転していた。教室の講座を半年ほどで終えると、「真央ちゃんと同じがいい」と両親に伝えた。
 山田満知子コーチが率いるグランプリ東海クラブに入団。すでにトップ選手だった浅田さんを追いかけ回した。練習中、ずっと後ろをついていき、ジャンプに合わせて自分も跳んだ。
 先輩は目の前で何回も転んだ。すぐ立ち上がり再び挑む。「これだけ頑張らないとフィギュアの選手になれないんだと思い知った」
 浅田さんへの憧れが猛練習への基礎となった。思うようにできず、いつも泣きながらジャンプに挑んだ。整氷時間を知らせるアナウンスが流れても一人残った。浅田さんの代名詞だったトリプルアクセルは五年がかりで身に付けた。
 山田コーチとともに二人を教えた樋口美穂子コーチは「真央は淡々と跳び続けたけど、昌磨は練習中にグワーと気持ちが出る」と比較し、「二人とも努力を惜しまなかった」と共通点を挙げる。
 まだあどけなさの残る二十歳は「フリーもこうやって笑顔で終える一日にしたい」。その先に、「真央ちゃん」も首にかけた輝くメダルが待っている。
 
 
宇野君、すごい写真ですね
 
 
 
 
 
 
前川さんが名古屋に18日も。200人では入れないかも。
 
本当に怖いナチス前夜
 
 ■為政者の濫用、いかに危険か
 衆議院が解散され、22日には投票が行われる。自民党はかねてより「緊急事態条項」を憲法に設けようとしてきた(2012年発表「自民党憲法改正草案」)。総選挙では表立った争点とはならないとしても、緊急事態条項の新設は「9条加憲」とともに、自民党などの改憲アジェンダの柱にな…
 

 

久しぶりの知多半島・温泉とランチと梅(笑)

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連休明けに久しぶりに知多半島、野間の梅の湯へ。
 
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メチャ風が強い!神島など良く見えます。
 
画面に映っていない右の方の波が驚くほど高い。
内海の祖父母の座敷にいても風が強いのは良く覚えてます、
満天の星、あれ以来観ていないような。
 
真っ暗な夜は母屋から別棟の座敷に行く時は怖いほど。
 
海辺は針箱の針もさびるほどと聞いてました。
 
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海老フライなどで有名なまるは本店、一度横浜の女性(知多半島案内頼まれて)と宿泊したことが有ります。
朝は魚をバラまいて鳥を呼びます。
 
 
日帰り温泉は露天風呂がないせいか、600円と安い。
 
 
 
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今回は混むまるは食堂避けて魚広場へ
 
でも…
 
連休など混むのが嫌いな夫はこういう日に出掛けるからお目当ての魚広場はお休み
 
野間~大井、河和に廻り、魚太郎の手前にオープンした新しいお店に。
 
魚太郎はいつも大賑わい、大府の温泉の魚太郎のブイヤベースが美味しかったのですが、その後なかった。
 
ここの魚太郎には美うやベースあります。
魚太郎では魚買っただけ。
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これは魚魚魚さん、魚太郎とは大違いの規模です。
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鴨肉やかきの旨煮は美味しかったけどブイヤベースが好き、
寒くて汁ものがいい。
 
今日も家で薬膳スープ作りました、私、以外食べません
矢場町の薬膳お粥の店でスープの素を買います。
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平日限定のランチについていた梅です。夫がこれは花開くと言って(笑)貰ってきました。
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今日は寒さが緩んで楽でしたね。
 
追記
神島は三島由紀夫の「潮騒」で有名、何回も映画化されました。
 
知多半島は江戸時代から海運、醸造業で栄えますた。
ミツカン酢の黒塀は黒沢監督のロケ地となりました。
 
半田の赤レンガの旧カブトビール、洋館、など立派な建物が残っています。
 
カブトビールでは田正和の兄が軍需工場に動員されていた時、米軍の空襲にやられました。
銃弾の後も残っています。

東山にしかいないメキシコウサギ、ウォンバット、タヌキ,ラーテル

www.youtube.com

やる気のないカンガルー & おもしろい飼育員さん / 東山動物園

笑えます、なんだか人間のような顔に見えてきます、
ママの袋の中の赤ちゃん写せたのは1回だけ
 
 
 
 

 

www.youtube.com

2013/09/28 に公開
アスカさんにこんなことしていいのと思ったら飼育員さんでした(笑)
 
チャゲとアスカについてはこちら↓
 
 
2014/05/11 に公開
飼育員さんがジャガーをイジってくれて面白かったです。ジャガーの前足はかなり強力のようです。名前はアスカ。オス。その他の動画はこちら(動画一覧)→https://www.youtube.com/channel/UC3w1...
2013/09/28 に公開
2013年9月15日、名古屋市東山動植物園メキシコウサギが一般公開されました。メキシコ市のチャプルテペック動物園から贈られました。体長約30cmで、ウサギの仲間としては最も小さい種類の一つで、耳が小さく足も短いです。かって上野動物園で飼育されていたこともありましたが、現在は国内で見られるのは東山動植物園だけです。
 
 
 
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始めはどこにいるかわからなかったメキシコウサギさん、
何回か観ているうちのお隣のウォンバット大ファンの3人(ファミリーではないようです、うち一人は女性)さんのうちのお一人にウサギの居場所教えてもらいました。
東山でしか観られないうさぎさんとは
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多摩動物園で会えなかったウォンバット
前におきてる時の画像はどこ
池田市の無料の動物園の何頭ものウォンバットさん、テレビで拝見http://www.satsukiyamazoo.com/
 
 
本土タヌキさん、しまった、赤ちゃんの時見逃しました
行ってもどこにいるかわからない時も多い。通よって粘らないとないと駄目ですね。
2017/09/19 に公開
ホンドタヌキの子どもが9頭生まれました(別のペアには5頭生まれたとか)。
もう、しっちゃかめっちゃか。楽しい時間は続きます。
ママは9頭の授乳でお疲れなのでしょう。寝ちゃってます。
 
 
1月3日の動物園、この子たちは箱に2匹仲良く入ってました。
 



 
 
 
絶望のまなざしのセグロジャッカルさんも昨年亡くなりました。
 
昨日UPしたサーバルのムサシさんもその凄いジャンプ力等
発揮は出来ないまま?おじいちゃんに。
いつからあそこにいたのか。教えてほしいです。
 
 
 
 
 

 

サーバルのムサシさん♪

 
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高齢のムサシさん、本当はもっと可愛い
最後に私には撮れない画像あります。
 
 
 
 
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これは東山動物園公式サイトから拝借
サーバルLeptailurus serval)は、食肉目ネコ科Leptailurus属に分類される食肉類。本種のみでLeptailurus属を構成する[4]
中型の肉食獣である。レプタイルルス属はセルヴァル種のみで構成され、セルヴァル種は18亜種(現生は17)からなる。ハイブリッド(サバンナキャット)は分類の外にある。毛皮を取るために狩猟され、個体数は時代を追うごとに減ってきている[要出典]
 

志村ふくみ展 命の色に導かれ

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凄い女性だとは聞いてはいましたが
詳しいことは知りませんでした。
 
友人の妹が住み、ヴォーリズ建築で有名な近江八幡に生まれた方です。
 
2歳で養女にいったのに(昔はよくあることで本人には、内緒で)実子として育てられたのでしょう。
実母は別にいると知った時は衝撃受けたことでしょう。
その実母が民芸運動に参加した染色家青田五良に師事した体験を持つことから織物に興味を持ち、31歳で本格的に
染色の世界へ。
 
美しく優しい雰囲気の着物、
庶民の普段着だった紬が芸術に。
糸箪笥の中の絹の染め糸、ほれぼれするような色のマジック
特に惹かれるのが紫と赤です。
 
女は紺屋には入れなかった時代
 
源氏物語に着想を得た着物コレクション
 
植物染料にこだわり手機で
一本一本丁重に織り上げた
色彩豊かな着物。
 
中日新聞にのりました。
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離婚を機に専業主婦から染織の道へ。愛する娘をあずけ、飛び込んだ工芸の世界の厳しさ
 2歳で伯母のもとへ養女にいった志村さん。戦火が迫る時代、そんな彼女に大きな影響を与えたのは、5歳年上の兄でした。画家の卵だった兄は、終戦の頃結核に倒れます。命の限りをぶつけるように描いた燃えるような絵は、志村さんの心を強く打ちました。
 志村さんは16歳で機織りに出合います。しかし結婚後は専業主婦へ。その後、夫の不倫が原因で離婚し、娘二人を抱えてシングルマザーとなりました。
 働いて二人の娘を食べさせなければならない決断を迫られたとき、志村さんが選んだのは「染織」の世界でした。
例えば絵を描いたり文章を書いたりするみたいな心の表現という意味の仕事をしたかった。そうしたらもう織物しかなかったんですね。
出典:http://www.tamasaburo.co.jp/kangae/taidan/taidan05.html
 決意をして訪ねた生母は、かつて染織を学んでいました。話をするうちに、若い頃出合った機織りへの情熱に火がつきます。愛する娘を養父母にあずけて生母から染織を学びましたが、工芸の世界は厳しく、「母親として無責任」と周囲からの風当たりは強いものでした。
 母親は夫や子に人生を捧げるべきと考えられていた時代、30歳を超えて工芸を一から学ぶという志村さんの決断は孤独なものだったはずです。それでも貫き通す強さを支えたのは、幼い頃に別れた母の「染織をさせてやりたい」という想いでした。
 一時は離れていても、母から娘へ、そして我が子へ連なる情が胸のうちに熱く燃えていたからこそ、志村さんは単身工芸の世界へ飛び込めたのではないでしょうか。

変わったきっかけ
死に物狂いの努力が切り拓いた工芸の道。生命と向き合い続ける染織で人間国宝

 染織の世界に飛び込んでから4年、研鑚を続けてきた志村さんの作品は、卓越した色彩世界が高く評価されるようになります。たゆまぬ努力は実を結び、志村さんは日本伝統工芸展で次々に受賞を重ね、1990年には人間国宝に認定されました。