riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

驚き、マイセンのエンジェルコンプリート!

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26体コンプリートしているのは凄い。1877~80年、造形師ハインリヒ・シュワーベがデザインしたもの。これより前、18世紀に有名な造形師アシエがキューピッドのシリーズを作っている。いかにも愛の神という感じだが、それに対して依頼品のLシリーズは人間臭さが加味されている。人間の色々な行動をキューピッドの姿を借りて表しているものが多い。物乞いのキューピッドは足を隠して片足のふりをしていたり、壊れたハートを直そうとしているものなどデザインが面白い。
https://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/kaiun_db/otakara/20200107/01.html

物乞いのキューピッドまであるとは!
昨日話題の映画「パラサイト」を観ました。

監督が主演のソン・ガンホに「残酷だけど良いのかな」と聞いたら「現実はもっと残酷だから」と答えたそうです。
格差社会も極まれり。
「そろそろ左派は経済を語ろう」を読み始めました。

 

 

私が持ってるカップ以外のマイセンはこれだけ。わんこが可愛くて、今は買えません(T-T)

クリント・イーストウッド「運び屋」立派!

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なんと後味、良いのでしょう、運び屋が主人公なのに、幸福感とまで思えるなんて。
脚本、監督、俳優優秀。
硫黄島からの手紙」「グラントリノ」など素晴らしく共感できる良い作品を撮り続けているクリント・イーストウッド、今回もメキシコ人やレズビアンにも自然体で。
彼自身家族をないがしろにしていたのだが。

映画の主人公、最後にはきっちり責任を取る。口ばかりの日本の自民党とは違います。

ユリ作りの人というのも好ましい。

WOWOWの w座からの招待です。
前々回は京都、今回は大阪の雰囲気、独自性のある単館映画館を紹介。

次回は私もよく通う伏見ミリオンが登場、楽しみです。

地方の映画館巡りとても良い企画です。

巨匠クリント・イーストウッドが自身の監督作では10年ぶりに銀幕復帰を果たして主演を務め、87歳の老人がひとりで大量のコカインを運んでいたという実際の報道記事をもとに、長年にわたり麻薬の運び屋をしていた孤独な老人の姿を描いたドラマ。家族をないがしろに仕事一筋で生きてきたアール・ストーンだったが、いまは金もなく、孤独な90歳の老人になっていた。商売に失敗して自宅も差し押さえられて途方に暮れていたとき、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられたアールは、簡単な仕事だと思って依頼を引き受けたが、実はその仕事は、メキシコの麻薬カルテルの「運び屋」だった。脚本は「グラン・トリノ」のニック・シェンクイーストウッドは「人生の特等席」以来6年ぶり、自身の監督作では「グラン・トリノ」以来10年ぶりに俳優として出演も果たした。共演は、アールを追い込んでいく麻薬捜査官役で「アメリカン・スナイパー」のブラッドリー・クーパーのほか、ローレンス・フィッシュバーンアンディ・ガルシアら実力派が集結。イーストウッドの実娘アリソン・イーストウッドも出演している。

 

第二次大戦に従軍した退役軍人が、デイリリー(ユリ科の植物)の栽培でいったん成功するも時代の変化に取り残され没落、80過ぎでメキシコの麻薬カルテルから運び屋としてスカウトされる――という大筋はほぼ実話。シェンクはそこに、外面はいいものの家族を顧みず見放された男が、懸命に罪滅ぼしをして元妻や娘との絆を取り戻そうとするサイドストーリーを織り込んだ。30近くで人気スターになったイーストウッドは派手な私生活を送り、結婚歴は2回だが6人の女性との間に8人の子がいるとされる。最初の妻との間に生まれた実子アリソン・イーストウッドが本作でアールの娘アイリスを演じていて、父親に対する彼女の冷ややかで激しい態度には映画と現実の境界を歪ませるようなすごみがあるし、イーストウッドも作品を通じて家族への謝意を示しているように見える。

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イヨネスコ「犀」人形劇を観る

aichi-puppet.net

 

「犀(さい)」
■「犀(さい)」
愛知人形劇センター・ひまわりホール30周年記念制作~犀になれない僕こそが怪物なのか、人間なのか~ウジェーヌ・イヨネスコ『犀(さい)』を世界初、人形劇化。不条理演劇の旗手・イヨネスコの傑作に、若手演出家と俳優が挑戦。犀(さい)に変貌する人々を、段ボールの人形~オブジェクトで表出する。
動画あり
ネットでこの音楽を聴いたら観たくなってしまいました。
松本まで川本喜八郎の実演鑑賞に行き、地域の人形劇も、平常の舞台にも惹かれたのに、
その後、人形劇をなかなか観る機会ありませんでした。
土曜日の夜行ったら暗くて会場がわからず、人に聞いても「知らないな」どと答えてくれたのは同年配の人だけ、カップルも知らん顔でした。数人に全く無視されるのは初めて。
地下鉄の駅からすぐのはずが時間迫りタクシーに頼んでしまいました。
不条理劇など苦手なのですが、「犀」は豊橋で普通の演劇として上演もされています.
私は全く知らなかったていたらく。

アル中の頼りない青年だけが最後までサイにはならず考えさせられます。
ファシズム批判。ほとんど満席で頼もしいです。
流されない人。それも怪しいかもしれないが、一人でも頑張る人がいて、そこから社会は変わる。

段ボールがいくつも飛び交い、人形も段ボール。

www.hananoe.jp

Ionescu_a1

 ウージェーヌ・イヨネスコの『犀』は、1959年11月のドイツ初演後、1960年1月にフランスで上演され、センセーションを巻き起こした。フランス公演で演出と主演を務めたのはジャン=ルイ・バローである。1950年に『禿の女歌手』でデビューし、『授業』『椅子』で注目されていた不条理演劇の旗手イヨネスコは、この『犀』によって名声を確立した。

イヨネスコの言語観は悲観的である。重ねれば重ねるほど意味を失い、関節がはずれて、空疎になっていく言語。噛み合わず、ぶつけ合うだけで、やがて無意味な叫びや暴力へと傾斜していく会話。その悲劇性は、デビュー作『禿の女歌手』からはっきりと打ち出されている。イヨネスコは自作を「言語の悲劇」と呼んだが、それは、言語を扱う人の悲劇であると同時に、言語自身が言語に意味がないことに気付いてしまう悲劇でもある。言語自体を否定する言語が、劇中に散乱している。
 犀は政治の世界だけでなく、どこにでもいる。犀は「過ぎたるは及ばざるがごとし」という言葉など知らない。狡猾なメディア戦略、執拗な情報操作と印象操作、偽善の裏にある支配欲と排他主義。あの手この手で私たちの視界を覆い尽くそうとする犀をはねのけるのは、返り討ちにされないレベルの高邁かつ強靭な批評精神を有する人か、孤独になるのも厭わないほど己の審美眼を磨いている人か、もしくは、梃子でも動かないような鋼鉄の無関心を保っている人のみである。むやみに的外れな攻撃をしても、相手の想定内にとどまるような批判を繰り返しても、「話題性」に収斂されるのがオチだ。団体を作って対抗しても、綻びが生じれば、その団体ごとファシズムにくみこまれる可能性もある。同志だと思っていた人間が変節し、裏切られた側が戦意を失って変節せざるを得なくなるという例は、世にいくらでもあるだろう。

 全員が犀になって騒いでいるのに、自分だけ無関心を貫くのは容易なことではない

のんほいパークでイノシシを、ライオンに与える、「イノシシかあちゃんにドキドキ」


右下はうりぼうたちが母ちゃんのおっぱいに吸い付いてる、観察者の前で寝転がってる!写真。
今これを読んでいたらのんほいパークでこんな環境エンリッチメントがありました。

のんほいのライオン夫妻は自死防止写真ができたぐらい仲良かったのですが、今はオスハヤテは亡くなりました。
ご長寿でした。

 

 

 

出典元:「のんほいパーク」ホームページ

 


愛知県豊橋市豊橋総合動植物公園「のんほいパーク」で22日、「害獣」として駆除されたイノシシ1頭が雌ライオンのオトに与えられました。 このイノシシは九州で駆除された個体で、病気の感染性の高い頭と内臓を取り除き、冷凍殺菌されたものです。これは「環境エンリッチメント」という取り組みで、動物の飼育環境を野生に近づけようと、農作物に被害を与えるとして駆除された動物が有効活用されています。 のんほいパークの獣医・吉川雅己さんは「食べてる様子は全く違う。食べる速度もゆっくりで効果はあると思う」と話していました。 のんほいパークでは、将来的に地元で駆除されたイノシシやシカを、動物たちのエサとして取り入れたいとしています。中京テレビNEWS動画あり
九州のイノシシ,
頭と内臓は取り除いている

 

引用始め

私的読書メモ3328
猪親子の観察記録。子育ての様子、それぞれに個性がある猪たち、子別れの儀式、連綿と続く生命の営み――非常に考えさせられるものがありました。方言による語りもなんとも味があっていいです。ただ、終盤の行政に対する批判と提案は、私としては首肯しかねるものが多かったですが、それはそれとして見過ごせない知見に富んでいると思いました。引用終わり

 

イノシシに対する愛情いっぱいの著者、野生動物と交流できるなんて。
イノシシは人間を恐れている、害獣ではない。
害獣は人間。
子供を育て上げ追い出す、命の営み