riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">原発を推進する方法はひとつだけある。</span>

 
一昨日の6/1に「福島原発事故をどう考えるか、ある政治家の行動。 」と題し生活の党代表の小沢一郎氏が京都大学原子炉実験所助教小出裕章氏に専門家の意見を伺うという対談映像をUPしました。
http://blogs.yahoo.co.jp/zudonosan/32765381.html

ご覧頂き、その模様をお聴きになれば分かりますが、福島原発事故の収束はその道筋すら発表されず、今後長期間に亘って人々の体を蝕む状況が懸念されるわけですが、政府はこれを無視しているようです。
 
一民間企業が起こした事故といえど、国策として政府の肝いりで行った電力事業です。

日本という国は、少なからず民主主義国家の体裁をなしているはずです。

福島原発事故の現状はどうなっているのかを逐一国民に知らせる義務があるはずです。
 
海外で飛行機事故や自動車事故などが起きると、マスコミは「日本人はいない模様です」と言って、その後の報道は他人事のように報道しなくなりますが、この福島原発事故は日本で起き、今も放射能汚染は続いているし、核燃料棒をどのように封じ込めるかの工程を示せないでいるわけです。
 
チェルノブイリ原発事故は一基の原発が爆発を起こし大惨事になりましたが、日本の福島原発事故は1~4号機まで4つの原発が事故を起こしたわけです。
 
そして陸続きであるドイツはその事故の惨状から原発を廃止しようとしましたが、途中で断念しました。
しかし再度、福島原発事故をみて、これはもう原発は駄目だ。と悟り原発廃止に進んでいるわけです。
 
日本はなぜ原発廃止へと進まないのか。
 
福島原発事故ぐらいで原発を廃止してはいけないというのか。
事故による直接の死者が出ていないから原発廃止するなどとんでもない。というのか。
それこそとんでもない。

福島原発事故の周りの地域では多くの人たちが町や村に帰れないで生活が困窮しているではないか。
今後、子供たちの甲状腺がんが広まる恐れが出てくるのに、それすらも「ありません」とも「あるかも知れません」とも何のコメントも出せないでいるではないか。

あの、当時の枝野とかの官房長官が言った「ただちに健康に影響はありません」という言葉は本当は「ただちに(は)健康に影響はありません」と言いたかったのだが(は)と入れてしまうと「ただちには」の時期はいつまでか。ということが言及されるので出来るだけ長い時間を稼ぎたいから(は)を入れずに発言したのだろう。
 
人間とは「慣れる」ということに非常に寛容な動物です。

では「電気」はいつごろ使われ始めたのか。とあらためてググってみると、1878年(明治11年)に銀座で始めて「電気」というものが灯されたのですが、それは電球ではなく「アーク灯」というもので、+と-の炭素棒の端に電気を通すことでスパークする火花を「灯り」として使ったものですが、翌年の1878年エジソンが初めて「電球」を発明しその原理が今も続いているわけです。

生活に「電灯」として使われるのはず~っと後の明治20年頃ですから120年くらい前のことです。
それも東京を中心にした都市部からで地方や農村に電灯が灯るのは戦後のことです。
今でも電気の通じない山小屋などでは「石油ランプ」が使われています。
 
その電気を作る「発電」は「水力」であり後に「火力」であるわけですが、いずれにしても電気を起こす「タービン」を回すことが原理なわけです。
これは原発も同じ構造であるわけです。
 
では、日本で原子力発電を始めたのはいつごろかというと、戦後、東海村の試験を経て全国に54もの原発が作られたわけですが、その経緯は、次のようです。
 
1945年(昭和20年)8月15日の第二次世界大戦終戦後、日本では連合国から原子力に関する研究が全面的に禁止された。
しかし、1952年(昭和27年)4月にサンフランシスコ講和条約が発効したため、原子力に関する研究は解禁されることとなった。

日本における原子力発電は、1954年(昭和29年)3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。
この時の予算2億3500万円は、ウラン235にちなんだものであった。

1955年(昭和30年)12月19日に原子力基本法が成立し、原子力利用の大綱が定められた。
この時に定められた方針が「民主・自主・公開」の「原子力三原則」であった。
 
そして基本法成立を受けて1956年(昭和31年)1月1日に原子力委員会が設置された。
初代の委員長は読売新聞社社主でもあった正力松太郎である。
 
正力は翌1957年(昭和32年)4月29日に原子力平和利用懇談会を立ち上げ、さらに同年5月19日に発足した科学技術庁の初代長官となり、原子力の日本への導入に大きな影響力を発揮した。
このことから正力は、日本の「原子力の父」とも呼ばれている。
 
この時原子力委員であった日本人初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹は、抗議のため委員を辞任した。

1956年(昭和31年)6月に日本原子力研究所(現・独立行政法人日本原子力研究開発機構)が特殊法人として設立され、研究所が茨城県那珂郡東海村に設置された。
これ以降東海村は日本の原子力研究の中心地となっていく。

1957年(昭和32年)11月1日には、電気事業連合会加盟の9電力会社および電源開発の出資により日本原子力発電株式会社が設立された。

日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年(昭和38年)10月26日で、東海村に建設された動力試験炉であるJPDRが初発電を行った。
これを記念して毎年10月26日は原子力の日となっている。

日本に初めて設立された商用原子力発電所は同じく東海村に建設された東海発電所であり、運営主体は日本原子力発電である。
 
1974年(昭和49年)には電源三法電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺地域整備法)が成立し、原発をつくるごとに交付金が出てくる仕組みができる。
 
正に国として取り組んだ電力事業です。
以上ネットより抜粋。
 
そして、地方の知事や市長が金が欲しいからと原発に名乗りを挙げ「おらがおらが」で原発を作るお膳立てに協力してきた法律が前に述べた1974年(昭和49年)の「電源三法」にあるわけです。
 
その原発が出来て約40年ですが東電を初め全国の電力会社は大手マスコミを使い「原発は安全でクリーンな電力です」と安全をことさら声高にアピールしてきたのですが、福島原発事故を起こした東電に「原発は安全でクリーンな電力です」と言った根拠な何ですか?と聞きたい。
 
 
しかし、原発を推進する方法はひとつだけある。
使用済み核燃料の放射能を1年くらいで「無害化」できれば、もろ手を挙げて推進に賛成する。
その研究まで止めろとは言わない。
全世界が待ち望んでいることがだから。

それまでは原発は廃止し旧来と新たな発電に国として取り組むことが肝要ではないか。

 


 
   東京新聞2013.6.3 朝刊より


転載元: country-gentleman