<span itemprop="headline">原発を推進する方法はひとつだけある。</span>
一昨日の6/1に「福島原発事故をどう考えるか、ある政治家の行動。 」と題し生活の党代表の小沢一郎氏が京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏に専門家の意見を伺うという対談映像をUPしました。
http://blogs.yahoo.co.jp/zudonosan/32765381.html
http://blogs.yahoo.co.jp/zudonosan/32765381.html
ご覧頂き、その模様をお聴きになれば分かりますが、福島原発事故の収束はその道筋すら発表されず、今後長期間に亘って人々の体を蝕む状況が懸念されるわけですが、政府はこれを無視しているようです。
一民間企業が起こした事故といえど、国策として政府の肝いりで行った電力事業です。
日本という国は、少なからず民主主義国家の体裁をなしているはずです。
福島原発事故の現状はどうなっているのかを逐一国民に知らせる義務があるはずです。
海外で飛行機事故や自動車事故などが起きると、マスコミは「日本人はいない模様です」と言って、その後の報道は他人事のように報道しなくなりますが、この福島原発事故は日本で起き、今も放射能汚染は続いているし、核燃料棒をどのように封じ込めるかの工程を示せないでいるわけです。
日本はなぜ原発廃止へと進まないのか。
福島原発事故の周りの地域では多くの人たちが町や村に帰れないで生活が困窮しているではないか。
今後、子供たちの甲状腺がんが広まる恐れが出てくるのに、それすらも「ありません」とも「あるかも知れません」とも何のコメントも出せないでいるではないか。
あの、当時の枝野とかの官房長官が言った「ただちに健康に影響はありません」という言葉は本当は「ただちに(は)健康に影響はありません」と言いたかったのだが(は)と入れてしまうと「ただちには」の時期はいつまでか。ということが言及されるので出来るだけ長い時間を稼ぎたいから(は)を入れずに発言したのだろう。
人間とは「慣れる」ということに非常に寛容な動物です。
では「電気」はいつごろ使われ始めたのか。とあらためてググってみると、1878年(明治11年)に銀座で始めて「電気」というものが灯されたのですが、それは電球ではなく「アーク灯」というもので、+と-の炭素棒の端に電気を通すことでスパークする火花を「灯り」として使ったものですが、翌年の1878年にエジソンが初めて「電球」を発明しその原理が今も続いているわけです。
生活に「電灯」として使われるのはず~っと後の明治20年頃ですから120年くらい前のことです。
それも東京を中心にした都市部からで地方や農村に電灯が灯るのは戦後のことです。
今でも電気の通じない山小屋などでは「石油ランプ」が使われています。
その電気を作る「発電」は「水力」であり後に「火力」であるわけですが、いずれにしても電気を起こす「タービン」を回すことが原理なわけです。
これは原発も同じ構造であるわけです。
これは原発も同じ構造であるわけです。
しかし、1952年(昭和27年)4月にサンフランシスコ講和条約が発効したため、原子力に関する研究は解禁されることとなった。
この時の予算2億3500万円は、ウラン235にちなんだものであった。
この時に定められた方針が「民主・自主・公開」の「原子力三原則」であった。
このことから正力は、日本の「原子力の父」とも呼ばれている。
これを記念して毎年10月26日は原子力の日となっている。
以上ネットより抜粋。
その原発が出来て約40年ですが東電を初め全国の電力会社は大手マスコミを使い「原発は安全でクリーンな電力です」と安全をことさら声高にアピールしてきたのですが、福島原発事故を起こした東電に「原発は安全でクリーンな電力です」と言った根拠な何ですか?と聞きたい。
その研究まで止めろとは言わない。
全世界が待ち望んでいることがだから。
全世界が待ち望んでいることがだから。
それまでは原発は廃止し旧来と新たな発電に国として取り組むことが肝要ではないか。
東京新聞2013.6.3 朝刊より
転載元: country-gentleman