<span itemprop="headline">女性初のエベレスト登頂、田部井淳子さんが死去</span>
女性初のエベレスト登頂、田部井淳子さんが死去
読売新聞 10月22日(土)17時53分配信
引用です。
田部井淳子さんたちが達成した偉業の裏側には、一般には知られていない困難な壁がたくさんありました。
それは、女性であることや、技術的なことということだけではありませんでした。
当時、エベレスト登頂を目指すとなると、その費用は4000万円以上が必要でした。
40年前の平均的な女性の初任給といえば約4万円程度。つまり月給の1000倍もの費用を用意しなければならなかったのです。
その為、節約できることは、どんなことでもされたそうです。
例えば、手袋を廃材を切って自作でつくるなどといったこともしなくてはならないほど、お金の問題は大きかったのです。
田部井淳子さん達のエベレスト登頂女性登山隊は、世界一経済的に恵まれない状況でエベレストに挑戦する極貧の女性登山隊でもあったのです。
そんな試練と立ち向かう過酷な準備期間に4年を費やし、やっとの想いでエベレストに挑んだ女子山岳隊。
田部井淳子さん、がんと診断、医者から余命3カ月と宣告
田部井淳子さんの身体に異変が生じたのは、2007年の夏。
アルメニアのアラガツ山(標高4090m)
登山中にコットンで体を拭いていると、胸にポッコリとした膨らみがあることに気付きました。もしこのときタオルで汗を拭いていたら気付くのが遅れていたと言われるくらい小さな膨らみだったそうです。
帰国して、診察を受けた結果、がんと判明。
早期乳がんでした。
乳房温存手術を受けて一旦落ち着きます。
幸い、リンパ節にも、他の臓器にも転移が見つかりませんでした。
驚いた事に、この手術の10日後には
手術の抜糸もされていなかったそうです。
驚異的な心身の持ち主だということが伺えますね。
東日本大震災の翌年、田部井淳子さんがん再発余命3カ月と診断
最初のがんから5年ほど経過した2012年。
再び田部井淳子さんの身体に異変が生じます。
お腹のあたりが針で刺したようにチクチクした痛み。
しばらくすると忘れてしまうが、また痛みが。
1カ月ほどこれを繰り返した後に医者である兄の元へ。
診断の結果、がん性腹膜炎でした。
がん細胞が腹腔の中でちらばっており、ステージⅢC(他臓器への転移の状態)と診断。
余命は3カ月と宣告されました。
そして抗がん剤治療を開始。
歩くことが生きること
子供の頃から山が好きだった
これまで世界七大陸の最高峰にも挑戦し、登頂に成功してきた田部井淳子さん。
がんの治療で投与した抗がん剤の副作用で足をあげることすらキツイ中、彼女はそれでも山に登りました。
登山と登山のあいまに、がんの治療。
彼女にとって、山を登るということが生きることそのものなのです。
これまで68カ国の最高峰を登攀してきた田部井淳子さん。
余命3カ月と言われた2度目のがんから約3年経過
数々の著書を出版されました。
それらは、山を登る人だけでなく、がんと向き合う人達、さらには人生の苦難と向き合う人達にたくさんの勇気を与えてくれています。
山を通じて人生を語るその口調には、気取りがなく
むしろ、あるがままをさらけ出していることからも田部井淳子さんの信条が伝わって来ます。
やはりショックです。私も大病にかかりもうすぐ5年です。
私もやりたいことをやらせてもらい、生まれてきて良かったと思っています。
友人にメールしたら何と田部井さんと繋がってました!
田部井さんのお姑さん?が友人の母の実家のお寺に来てこぼしていたそうです、山登りなんて危ない事して、やらないと言う約束で結婚したとか何とか。