riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

孤高の画家田中一村展

 
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美しい現代アートのようではありませんか。
 
 
明治41(1908)年、栃木県に生まれる。幼い頃から画才を発揮し、7歳の時、父の濔吉(号稲村、稲邨)より「米邨」の号を与えられる。大正15年東京美術学校入学後、わずか2か月余りで中退、その後南画家として活動する。第19回青龍展に「白い花」を出品入選するが、その後中央画壇に入選することはなかった。昭和33年50歳で奄美大島に移住。紬工場で染色工として働き、蓄えができたら絵を描くという生活を繰り返し、亜熱帯の植物や動物を描き続け、独特の世界をつくりあげた。絵描きとして清貧で孤高な生き方を通した一村は、昭和52(1977)年69歳でひっそりとだれにも看取られずにその生涯を閉じた。
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 昨年奄美大島の一村の美術館訪問予定が急病で入院してしまい
あえなくキャンセル
 
長年待っていた一村展
この夏、滋賀県の佐川美術館に来てくれました。
同時に箱根の岡田美術館(コレクション展)や奄美の美術館でも展示されています!
 
更に奄美に行きたくなります。
 
「評伝 田中一村」の著者で日曜美術館に出演された大矢鞆音氏はなんと60回も奄美に通われています。
 
初めてちゃんと認識したのは鑑定団(笑)
 
日本画とは思えない斬新なデザイン、南の島の植物や鳥の絵に魅了されました。
その後、切手にもなりました。
 
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↑「もっと知りたい田村一村」大宅氏の著作を購入
 
図録や大型ハンカチは高価です。
 
 
 
 
 
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一村の父は
彫刻家の田中彌吉(号は稲村)。若くして南画水墨画)に才能を発揮し「神童」と呼ばれ[1]、7歳の時には児童画展で受賞(天皇賞、もしくは文部大臣賞)。また10代にして既に蕪村木米などを擬した南画を自在に描き得た。
 
父から絵を教えてもらうが直されるとその部分を切り取るぐらい
7歳でもう雅号を貰う子供の絵とは思えないうまさ。
 
白梅やハマグリの絵は画家の作に見えます。
神童といわれるはずです。
 
 
今の東京芸大に進むも、もう南画の時代ではなく2ヵ月でやめる。「君には教えることがない」
夢二もそうでした、先生の型にはまらないのがいいです。
 
藤田嗣治も絵に関しては反抗的でした。そのぐらいでないと大成しませんね。
 
昨日見学した「樂吉左衛門館」にも先人の教えは学ぶが、そこから離れ独自の作品を作り上げるのが大事だと。
 
 
 
1947年 - 「白い花」(この絵も好きです)が川端龍子主催の第19回青龍社展に入選。この時、初めて一村と名乗る。しかし一村は川端と意見が合わず、青龍社からも離れる。
 
私が自然に惹かれるのはこういう不遇、反骨の人です。
 
一村を支え作品を守った方も一人ではない。
 
その一人の千葉の医師の家の襖絵は始めて観たせいか鳥肌でした。
 
 
国立療養所 奄美和光園の中の官舎に住むのを許してくれた園長、松原さん
その子が描いてる一村の背中に飛び乗った思い出をお兄さんが語りました。
 
小笠原医師を始め園を支えた人々と精神的な深い交わりが出来て、話が尽きなかったという。
 
魚やさんの熱帯魚も熱心に描き鱗も持ち帰ったと言う。
 
地元の人たちが島の自然は当たり前のものでその美を感じなくても一村はそれをとらえました。
 
家族にも会えなくなったハンセン病の人の集合写真から家族の肖像画も描いた一村、絵の中でよい着物を着せてあげて。
喜ばれました。
 
鑑定団に村の人の肖像画が出たことあります。
当時は1万円ぐらいで今では
 
絵だけでなく彫刻や日傘までありました、花の絵でした。
仏画、天井絵(これは展示無し)も描いた一村
 
色紙に描いても大きな絵に見える一村の絵。
 
鳥を愛し飼ってもいたがアカショウビンが現れるのを何時間もまっていた。
 
薄い絹の上に厚塗りするのは難しい上に絵の具、画材代もかかるので紬工場で働いた一村。
 
結婚話も彼を支えた姉も未婚だったので遠慮してしまった。
長身でさっそうとしていたようである。
 
 
 
 
 
 
 
 
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板谷波山も演じた榎木孝明はこの一村も演じた
この2本とも映画観ました。
波山のアールヌーヴォーの作品も好みです。
 
実在した画家、田中一村の生涯を『地雷を踏んだらサヨウナラ』や『HAZAN』の五十嵐匠監督が映画化したヒューマンドラマ。自らも画家として筆をとる榎木孝明が、芸術家として孤高の人生をまっとうした天才画家を怪演する。その姉役に『この胸いっぱいの愛を』の古手川祐子。共演は『理由』の村田雄浩や『ウィニング・パス』の加藤剛などシブい役者が勢ぞろいした。才能を正しく評価されることなく逝った天才画家の魂の叫びが胸に突き刺さる。

あらすじ

昭和22年、田中一村榎木孝明)は第十五回北斗展に出品するが落選し、審査会場で主宰の山上氏(中村嘉葎雄)に落選理由について詰問する。そのことで彼は国内の画壇から無視され続け、公募展でも落選を繰り返すことになる。ついに彼は生活の面倒をみてくれていた姉の喜美子(古手川祐子)とも別れ、奄美大島に渡ることを決意する。

佐川美術館とめちゃさわれる動物園

  • サーバルの親、もう1匹は寝ていました。三つ子は別室です。

 

昨日滋賀県のメチャ触れる動物園と佐川美術館へ行きました。
サーバルの三つ子たちは親より、大きくなってました。
 佐川美術館茶室見学は初めてです。
田村一村の襖絵に鳥肌、やっぱり奄美に行きたくなります。
 

 

凄い「菊とギロチン」

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キネ旬の映画評でも絶賛されています。
私もお勧めします。見ごたえあります。
 
今の危機に闘えと言われています。
 
あの困難な時代に自由と平等のために闘った女性と社会主義者たち。。
 
愛知県では上映がないとあったのに、
市内の映画館で上映しています!
 
この題名だけで観たかった!
 
 
正力松太郎も登場!
 
映画で初めて観る東出昌大は詩人でアナーキズムの青年役。
 
 
 
最近又女相撲が話題でしたが、それをじっくり見せてくれます。
 
力相撲や歯力のような大力芸、「腹の上の餅つき」
女相撲甚句踊りを見せる女性、歌や踊り相撲を観るだけでも圧巻
 
暴力夫や遊郭から逃げ出して相撲部屋に入る女性。
強くなりたい男の思うままになりたくない!
休憩なしの3時間!
 
男や政府、法律に虐げられ蹂躙されていた女性たち。
 
国を奪われ、関東大震災のどさくさには6000人も殺された朝鮮人
この事実、この映画観ても朝鮮人を悪しざまに言えますか。
 
大震災の時に毒など井戸に入れる暇あるのでしょうか。
間違った警察情報で自警団は無実の朝鮮人や間違えて日本人を
残酷に殺してしまった
 
 
労働組合運動者も大杉栄伊藤野枝、甥の橘少年も甘粕大尉に殺されました
 
甘粕はすぐ許されて、満州に渡り映画会社を造り李香蘭等を使い、国策映画を造りました。
のちに李香蘭が恥じる映画を。
 
これではアナーキズムの青年が言った通り国なんてない方がいい
 
ジョンレノンのイマジン
想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...
 
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チラシ右の青年寛一郎はあの三国連太郎の孫
 
前頭の十勝川玉枝は是枝監督「誰も知らない」などの韓英恵
 
小桜はるは「花子とアン」の個性的な作家演じた山田真保、せりふ回しが上手いと思ったら声優でもある。声で覚えている人。
 
在郷軍人役、見覚えあると思ったら「キャタピラー」の大西信満
 
こういう半民間人で「非国民」探しだして断罪する人間は始末におえない。
朝鮮人にまで「天皇陛下万歳」と言わせる
 
大杉栄を支えた村木源次郎は井浦新
 
沖縄独特の髪型の与那国うしは播田美保
一人雰囲気が違います
 
大関梅の里つねは前原麻希、巨体の力士、当時は大関が最高位
男の相撲に遠慮?江戸時代も大関が最高位だったような。
 
十勝川を連行しようと乗りこんできた在郷軍人にもひるまず立ち向かう小天龍よしは持田加奈子
 
実在の大関若緑は女性で唯一男相撲の土俵にも上がった
 
高砂部屋親方は地方巡業の土俵に大関若緑をあげたのです。
 
日照りの時、神様を怒らせ雨が降るように女相撲を招いたと言われる。
 
 
 
「64 ロクヨン」の瀬々敬久監督が、「ヘヴンズ ストーリー」以来8年ぶりとなる自身のオリジナル企画として手がけた青春群像劇。大正末期、人びとが閉塞感にあえぐ関東大震災直後の日本。ある日、東京近郊に女力士たちに交じって、元遊女などワケあり娘が集う女相撲の一座「玉岩興行」がやって来る。新人力士の花菊は、夫の暴力に耐えかねて家出をして女相撲に加わり、「強くなって自分の力で生きたい」という一心で厳しい練習を重ねていた。興行当日、会場には師と仰ぐ思想家の大杉栄が殺害され、その復讐を画策するためにこの地に流れ着いた中濱鐵と古田大次郎らアナキスト・グループ「ギロチン社」の若者たちの姿があった。「格差のない平等な社会」を標榜する彼らは、女力士たちの戦いぶりに魅了され、彼女たちと行動を共にするようになる。新人力士・花菊役の木竜麻生のほか、東出昌大、寛一郎、韓英恵らが出演。ナレーションを永瀬正敏が務める。
 
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この女性のお孫さんの記事、品が有ります。

菊とギロチン瀬々敬久監督インタビュー。「大正末期と今は似ている」

伝統とは、自由とは何か。

ヘヴンズ ストーリー』や『64 -ロクヨン-前編/後編』の名匠、瀬々敬久監督の念願の企画である映画『菊とギロチン』が7月7日より公開される。
 関東大震災直後の大正末期、混沌とした社会情勢の中、急速に不寛容な社会へと向かう時代に実在したアナキスト集団「ギロチン社」の若者たちと、女であるだけで厳しい扱いを受けた時代にあって、強くありたいという思いを糧に女相撲に挑む女たちの姿を描いた青春映画だ。
 彼らは出会い、互いに共鳴しあうが、軍部が権力を強め、世の中から自由が失われていく中、ギロチン社の若者たちはそんな社会を革命しようと孤高に戦い続ける。女相撲の力士たちは、自分の力で生きていきたいという切なる願望に動かされ、差別のはびこる社会と向き合う。https://www.huffingtonpost.jp/hotaka-sugimoto/movie-20180702_a_23472120/

 

8月の天体ショーとペンギン、シロクマ

昨夜火星や金星ご覧になられましたか。
 
 
 
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今日はメチャ暑いのに、運動不足で動物園に。
 
先日観損なったライオン一家のご飯タイムを観に行きました。
それは後日に。
 
ペンギン舎の一部が新しくなっていました。
鳥インフルエンザのためかずっと網がかぶっていました。
 
立ってる皇帝ペンギンさんの所アデリーペンギンが~
 
ペンギンの種類間違っていたら教えてください。
 
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登ってきました。
 
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行ってしまいました。
涼しい冷蔵庫?にもペンギンがいます。
 
観てる方は暑くて長居は出来ませんでした。
 
 
 
白クマのサスカッチさんもこんな状態。
 
 
すっかり時代遅れになった白クマ舎
でももうサスカッチさんは高齢で1頭しか残っていないから。
 
もうこんな暑い名古屋に連れてこないでね。

 

英雄たちの選択・沖縄SP2・笹森儀助辺境の声を聞け

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こんな立派な人を知らなかった(恥)
 
【司会】磯田道史杉浦友紀,【出演】赤坂憲雄角幡唯介飯田泰之,【語り】松重豊
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 風通しの良い芭蕉布の着物をはしょり、団扇、蝙蝠傘を持ち、(アンチテーゼ!)沖縄の島々の民衆の中に。
お顔がやはり素晴らしい。
 
このスタイルで沖縄の人たちの心がつかめる。
 
道なき道を短刀で切り開いて命がけで踏破、
 
ハブ、マラリア感染の恐怖
 
砂糖増産を図る政府直々の依頼だった。
 
笹森は探検だけでなくジャーナリズム、日本のありようを鋭く見つめた人。
すぐれた思想家だった。
 
幕末、笹森は藩士の息子、国政改革の提言書を藩主の机に置く大胆な行動
 
田中正造もそういう人だった。
 
笹森は家禄の3分の2を召しあげられ禁固にその後許される。
 
これは時代錯誤の藩だった。
 
明治になり議会が始まると胸を躍らせ一日も欠かさず帝国議会を傍聴、
しかし国のためどころかと党利党略に励む政治家に失望。
 
洋式牧場を開き困窮した武士たちの受け皿を造ろうと奔走。
 
70日間の貧乏旅行、足の皮がめくれうむほど歩いて
 
農民から聴き取り調査!
 
生きていく権利、民権を実現するにはどうしたら良いのか。
 
 
 
 
千島探検をし記録を残す、アイヌを友人と呼んだ。
政府のアイヌ人に対する弾圧を批判(政府はアイヌの人に農業をやらせ人数が激減)
 
千島探検が評判を呼び、政府から砂糖増産の可能性調査を依頼される。
 
沖縄の島々を危険を冒して踏破。
 
明治政府により過酷な生活を強いられていた人々。
 
奴隷的な人頭税(貧しい人ほど過酷になる)
許しがたい税制
 
コメがとれないのに米で税を納めよと!
 
強制移住させ移動の自由もない
 
砂糖がほしいから。
 
明治政府の過酷さあまりにも理不尽。
 
 
笹森は石垣島の毅然として村人を導く濱崎与利に感動
 
宮古島では人頭税反対農民の抵抗運動が始まっていた。
 
民衆がたちあがった今こそ世に問うべきだと笹森。
 
マラリアにかかった沖縄人もいないとする政府。
 
沖縄の人が上京して井上薫に直訴、
 
その結果、沖縄の窮状が判明。
 
人頭税明治36年廃止された260年続いていた。
 
笹森は大島紬を名産として育てようと、サンプル集を作った。
生産者の名も記された貴重なもの。81種のデザイン
 
笹森のように現場に行って人と接すれば差別的な言動は出来ない、角幡唯介(カクハタユウスケ)
日本のノンフィクション作家・探検家
 
 
 
引用始め。
沖縄に着いた笹森は、沖縄本島慶良間諸島宮古島石垣島西表島与那国島石垣島宮古島沖縄本島と各島を回り、製糖の実情やその他農業水産業の調査、伝存文書の発掘などを実行しているが、そのかたわらで笹森が見たものは、悲惨な生活に追い込まれている住民の姿であった。当時の沖縄では、琉球王国時代の支配者層への懐柔策として旧慣温存政策が行なわれており、過酷な税金身分制度が多く残っていたのである。中でも、人頭税が課されていた先島諸島は特に悲惨であり、例えば宮古島で笹森が見たものは、薄暗い織屋に懲役人のように座って、人頭税である先島上布を折り続ける娘たちの姿であった。鳩間島新城島黒島などといった小島は、の栽培ができないにもかかわらず人頭税として米が徴収されていたため、これらの島の住人はサバニ西表島まで出かけて米の耕作をしなければならなかった。この他、小学校も開けないような僻地から学校税が取り立てられることさえあった。その一方で、こうして集められた税金で旧支配者層である士族達は豊かな生活を送っていた。また、八重山ではマラリアの蔓延もひどいものであり、石垣島では半分以上の集落が、西表島に至っては島全体がその巣となっていた。そして、そのような状態であるにもかかわらず、住民は代の請求を恐れて病気を言いだすことができず、人々が次々と死んでいくことから島には廃屋があふれていた。
笹森は、このような集落を丹念に訪ねてまわり、その様子を詳細に記録する。東京に帰還後、笹森はこの沖縄行の様子を『南嶋探験』という書に著したが、その中でこの惨状の最大の原因は人頭税だとしてその廃止を訴えた。これは、同年に宮古島で起こった人頭税の廃止運動にも大きく影響を与えている。政府の意向での沖縄行であったにもかかわらず、『南嶋探験』が政府および沖縄県庁の無策を糾弾する内容となっていることは、「笹森は保守的な傾向をもっていたとはいえ、自分の見たものを言葉または文章で裏切らないという点で、その精神はまさしく革新的であった。そのことが今日でもこの書を不朽のものとならしめている」と評価されている 引用終わり
 
 
2018/07/26(木) 
英雄たちの選択 琉球スペシャル第2弾▽辺境の声を聞け!探検家・笹森儀助の挑戦[字]
明治12年琉球藩は廃止され、沖縄県が誕生する。しかし、人々は、重い税と風土病に苦しんでいた。探検家・笹森儀助は、沖縄の島々をめぐり、その窮状を世に訴えた。
詳細情報
番組内容
探検家・笹森儀助は、青森県弘前の士族の家に生まれた。日本中を旅行し、北海道の千島探検の記録を出版して、天皇に奏上されるほど評価を得た。これを契機に、時の内務大臣から、沖縄の調査を依頼され、沖縄探検に出発する。ハブとマラリアの地への決死の思いの旅だった。ところが、現地で、笹森が眼にしたものは、厳しい自然だけでなく、人頭税という重い税に苦しむ人々の姿だった。探検家・笹森儀助の苦悩に迫る。
出演者
【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】赤坂憲雄,角幡唯介,飯田泰之,【語り】松重豊
 

驚き、三橋美智也 23回忌追善メモリアルコンサートに  玉三郎が出演

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まっぴらごめんなすってさんの記事↓
「それではお待たせいたしました~っ!」と宮川アナの呼び出しで
玉三郎さんが、きれいなブルーのキラキラしたジャケット(あのゴールドの衣裳と
デザインが似ています)と黒いパンツ、光沢のある黒のシャツでご登場。
左手の薬指には三橋美智也さんの形見の指輪、そして形見の腕時計。
ご縁があっていただいた指輪は、偶然、誕生石のエメラルドでした、と。
遠目ながらもキラリ
と石が輝いていました。

1曲目は、ポルトガルの民謡で越路さんの「世界の恋人たち」に収録されている
ノスタルジア」を歌われました。「私は持ち歌がありませんので(笑)」と。
三枝伸太郎さんのピアノ(もう玉三郎さん専属ですね)の前奏が鳴り、
玉三郎さんの第一声で、それまでの空気が一瞬で塗り替えられました。
しっとりとまろやかで、ドラマティックな玉三郎さんワールド全開!
うわぁー!と鳥肌でした。まるで別世界へと誘われたのです。
三橋さんの写真を見上げて、思い深く、語りかけるように歌われて。
力強く、優しく、大きな愛で包み込むように、♪寂しそうに、佇んでいる~♪と。
歌声にコクがあって、よかった~!すごくすごくよかったです。

2曲目は、シャルル・デュモンの曲に岩谷時子さんの歌詞の「人生は歌だけ」を。
「三橋先生は子供の頃からずっと歌っていらして歌だけが生きがいだったのでは
ないでしょうか、偉大な歌い手でいらした。それでこの曲を選びました」と。
艶のある声で高らかに、玉三郎さんの力強くのびやかな歌声が、スーッと、
天国の三橋さんの所まで届いていくよう。味わい深くて、ロマンティックで、
切なくて。歌詞がすみずみまでくっきりと心に届きました。素晴らしかったです。
2曲とも三橋さんの追悼にふさわしい歌で、胸が熱くなりました。
引用終わり
 
このコンサートに玉三郎丈が参加されるのは知ってましたがそんな交流があったとは、驚きです。
 
三橋さんの形見の指輪に時計

トナカイのトナが死んでしまいました+マヌル猫、ジャガー、カラカル

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2018年07月27日(金)動物園
 
左が7月14日のトナ君、右はメスのカリー、2012年生まれ
私もこの姿に驚きました、目にも力なく…いかにもつらそう。
 
ツンドラ地帯に住んでるトナカイを亜熱帯のような名古屋に連れてくるなんて。
 
クリスマスのイベントのために
 
マヌルネコも極寒のモンゴルやロシアに住んでるのに。
 
もう動物を苦しめないで。
 
 
マヌル猫のレフ君
 
 
 
左レフ君とハニー
 
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ハニ――もライオンと同じくまんまる目、
家猫は光が多い時は針のように細くなりますが。
 
のんほいパークのライオンの餌やりトークでは針のようになる目の方が性能がいいそうです。
 
のんほいのライオンも高齢、どうしているでしょうか、
雌雄同居しています。その時に東山のライオンは別居していたので残念に思いました。
 
ライオンの雌雄は猫のようにスリスリして仲良さそうですから。
 
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シンガポール動物園の北極熊も2月暑そうでした。
 
ジャガーのアスカさん、西日が当たるのに場所にいました。
 
 
 
ユキヒョウは奥にいたのに。
 
アスカさんはすでに連れ合いのチャゲさんを見送りました
 
セグロジャッカルも死にました。
 
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カラカルジャガーの隣にいます、耳が特徴、この子も1頭だけ。

体長 55 - 90cm、尾長 20 - 30cm、体重 8 - 23kgで、長くほっそりした四肢を持つ。体毛は短く、地色は赤褐色で顎、胸、腹にかけて白色である。耳は三角形で大きく黒く、先端に特徴的な房毛がある。
カラカルを検索していたらこんな可愛い子が~
 
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マーゲイは、哺乳綱食肉目ネコ科に分類される南アメリカ原産の動物。種小名はドイツの探検家マクシミリアン・ツー・ヴィート=ノイヴィートに献名して名付けられた。木登りがとても上手く、樹上生活を主とする。Wikipedia