riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">高野聖 2</span>




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今回の『夜叉ヶ池』と『高野聖http://www.kabuki-bito.jp/news/2008/07/__photo_105.htmlについては演劇ブログの皆様がプロなみに渾身のレポをアップされていらしゃるので気が引けますが。

玉三郎が舞台を降りて客席を回るというのはかつてなかったといいます。

それだけ力も入ってるのでしょう。池畠さんhttp://blogs.yahoo.co.jp/ikeike_mayumiが拙ヤフーブログへのコメントでもおしゃるように保守的な劇評家からは猿之助玉三郎は非難され続けてきました。

彼らが歌舞伎界の孤児でもあったから風当たりは強かったでしょう。

でも宙乗りでも昔からあったそうで歌舞伎は斬新でなくてはつまりません。

今ようやくやりたいことがおできになれるようになったのです。

「アマテラス」カーテンコールでの楽しそうな玉様のお顔は忘れられません。

玉三郎のやりたいものが観たいのです。




玉三郎のコメントによると…

「鏡花作品は常識にとらわれない自由な言葉の綾なす面白さ、奇想天外な面白さに満ちています。清濁併せ持つ中に浄化された世界が紡ぎ出されており、『海神別荘』も『天守物語』みんなつながっていると思います」。

今回の『夜叉ヶ池』と『高野聖』は対の物語で,短歌の上の句と下の句を詠むように観て頂ければ面白いのかなと思います。それらの作品に描かれ、そこから立ち上がってくる女性像、その女性像に映る男性像が鏡花先生の理想かも知れませんね」。


鏡花の作品には早くなくなった母の面影が理想化されているのでしょうか。

9歳のとき母をなくしその1年半後に松任の摩耶夫人にもうでたことから麻耶夫人信仰があったそうです。

2作とも舞台は深山幽谷、主役は超人的な力を持つ女性。

『夜叉ヶ池』の白雪姫は洪水を起こす。

高野聖では洪水から生き残り、手をかざして病を治す力がある女性、野卑な心を持つ男を馬や牛、こうもり、ヒキガエルにするという。

『夜叉ヶ池』の百合と『高野聖』の女は米を研いで食事の支度をする。

何でもないような場面の意味。

体の不自由な次郎に優しく接する女を僧は「嬢様」と呼び喜ばせる。



煩悩を断ち切ろうと修行する旅の僧、女を不憫に思い助けたいと思う。

女を『白桃の花だと思います』と言う。

百合を生贄にしようとする村人、代議士、村長の醜さ

これは今もある話。

「熊に乗って,黒髪を洗いに来た山女の年増がござった。裸身の色の白さに,つい,とろとろとなって,面目なや,…」鯰の和尚が言うのもリンクします。



「水は,美しい。何時見ても……美しいな。」という百合の夫晃。

水は生き物になくてはならぬもの、その水が洪水を起こし汚れたものどもを飲み込んでしまう。

高野聖http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/archive/2008/8/1