<span itemprop="headline">「蟹工船」とJ・フィリップ</span>
昔読んだこの原作がクローズアップされ新作映画の上映も間近い。
「蟹工船」がブームと聞いて驚いたけれど、団結するために、多喜二を知ってもらうためには喜ばしい。
警察は心臓麻痺といっていた。
枕もとには作家や同志たちが。その中には女優の原泉さんもいた。
多喜二の母は「それ、もう一度、立たねえか、みんなの為にもう一度立たねえか」といって自分の頬を多喜二の頬に押し付けてこすった。
1953年、「フランス映画祭」が東京で開かれJ・フィリップも来た。
彼は日本に到着するや否や川喜多かしこ夫人に10本の日本映画リストを携えていて見たいと希望した。
その大部分は1950年代の進歩的な独立プロ作品、かしこさんは連日、フランス語の同時通訳をして試写。
彼は日本に到着するや否や川喜多かしこ夫人に10本の日本映画リストを携えていて見たいと希望した。
その大部分は1950年代の進歩的な独立プロ作品、かしこさんは連日、フランス語の同時通訳をして試写。
フィリップは一つひとつの作品に熱い感動を込め「蟹工船」についてはラストの労働者の眼に言及「これらの映画がフランスに来たならば戦争直後、イタリアのネオ・リアリズムが現れたような重大な啓示をもたらすだろう」と結んだという。
多喜二は「戦艦ポチョムキン」にあこがれる熱烈な映画ファンだった。
戦前の日本では革命映画は輸入すら禁止。
今、格差社会の本質、偽りの仕組みを知り、同じ仲間が団結して闘えば、必ず前途が開ける心理に思いいたっている。
私たちがいつの間にか忘れている心理をこの若者たちが80年前の小説を通じてつかみ始めている。